4.港の薬屋街
名前を口にした瞬間、ハナの指が地図へ伸びた。
ナオユキも地図へ顔を寄せる。
「知ってる相手?」
ミラに聞かれ、俺は頷いた。
「前に戦った相手や。細身の男と一緒なら、たぶんガレスもいる」
「仲良く再会したい相手ではない、と」
「二度と会いたくなかった方やな」
けど、レティシアさんの足取りが消えた店へ、あの二人が入った。偶然とは思えへん。
「戦い方は?」
ナオユキが盾の留め具を確かめながら聞く。
「ガレスは速い。武器が見えんでも、拳と蹴りで一気に間合いへ入ってくる。ギルはその逆や。でかいハンマーで押してくるし、棍棒で吹っ飛ばしても起き上がった」
「素手の速い方と、倒れない大男か。狭い店で会いたくない組み合わせだな」
ハナの指が、地図の赤い印に触れた。
「レティシアさん一人だったら、逃げられないよ」
二人がレティシアさんを連れて動く前に、店へ着きたい。
ここで遅れたら、また消えた足取りだけを追うことになる。
「すぐ行きましょう」
ハナが薬屋街の地図を掴んだ。
女性職員は止める代わりに、机の呼び鈴を二度鳴らす。
「現場へ向かってください。ただし、店舗へ入る許可はまだ下りていません」
「待っている間に逃げられたら?」
ナオユキの問いに、職員は若い職員へ書類を渡した。
「目撃者には、店の前後を離れないよう頼んでいます。港湾管理へ緊急の立入確認を申請してください。白潮旅団にも連絡を」
若い職員が部屋を飛び出す。
女性職員は俺たちへ向き直った。
「皆さんは先に薬屋街へ。許可と鍵は、追って届けます」
「よし、走るで」
俺が扉へ向かうと、ナオユキが横へ並んだ。
「店を見つけても、一人で入るなよ」
「まだ何もしてへんやろ」
「今、扉を蹴る顔してた」
否定しきれず、口を閉じた。
ギルドを出ると、潮の匂いと船の鐘が一気に押し寄せてきた。
大通りでは荷車が列を作り、船乗りたちが怒鳴り合っている。その間を縫って、俺たちは港の東側へ走った。
薬屋街へ続く曲がり角で、白い外套が手を振る。
「こっちだ、恩人一行」
ドイルだった。
顔色はまだ白いのに、口元だけはいつものように笑っている。隣ではズーリンが、細い銀縁眼鏡を押し上げながら地図を広げていた。
「もう動いて大丈夫なんですか」
ハナが足を止める。
「大丈夫じゃない。でも、助けられた直後くらいは格好つけたい」
「格好をつけるなら、まず医師の指示を守ってください」
ズーリンの声は静かだった。
ドイルが俺たちにだけ見えるよう、肩をすくめる。
「な?」
「俺らに同意を求めんな」
ズーリンは俺たちのやり取りを待たず、地図の細い路地をなぞった。
「目的の店は、この通りの奥です。正面は薬屋街、裏手は荷運び用の路地。その先で倉庫街へ抜けます」
「見張りは?」
ナオユキが聞く。
「正面に二人、裏手に三人。倉庫街へ出る角にも置きました」
「店を囲んでくれたんですか」
「皆さんが来るまでの監視だけです」
ズーリンは店を示す印を指先で押さえた。
「対象が危険人物なら、焦って正面から入る方が逃げ道を与えます」
今すぐ扉を開けたい。けど、俺が先走って裏から逃がしたら、レティシアさんを助けに来た意味がない。
「逃げた場合、俺たちが止める」
ドイルは笑ったまま、倉庫街へ抜ける道を指で塞いだ。
「ただし追い回しはしない。昼の薬屋街で戦闘になったら、客と店員が巻き込まれる」
「俺が店の正面。ミラは窓と屋根、ハナは店内の気配を見てくれ。ノクティスはハナのそばを離れるな」
ナオユキの指示に、三人がそれぞれ頷く。
正面と裏を押さえてから入るなら、俺もナオユキの後ろで待てる。
「見張りを切らさんまま、店まで行く」
俺たちは配置を崩さず、薬屋街へ急いだ。
大通りを外れると、潮の匂いに乾いた薬草と油の匂いが混じり始めた。
店先には船酔い止めの小瓶、水仕事で荒れた手に塗る軟膏、傷口を洗う薬が並んでいる。買い物かごを提げた船員や宿の使いが、狭い道を行き交っていた。
「おお、来たなァ!」
路地の角から、赤いモヒカンが顔を出した。
「声」
俺が指を口に当てると、赤モヒカンも慌てて自分の口を塞ぐ。
「……来たなァ」
「小さくしても圧がすごいね」
ミラが半歩引く。
赤モヒカンの後ろには、黒い腕章をつけた仲間が四人いた。二人は通りと店の正面を見張り、一人は裏路地へ立っている。残る一人が、小さな帳面へ荷車の時刻を書き込んでいた。
「最初の売り子から話を聞いたぜェ」
赤モヒカンが、今度こそ声を落とした。
「眼鏡の女が酔い止めを探してた。どれが効くかだけじゃなく、使ってる薬草まで細かく聞いたらしい」
「レティシアさんらしい」
ハナの返事が早かった。
薬を買うだけで終わらず、成分まで確かめる。その姿が簡単に浮かぶ。
「売り子じゃ答えられなくて、奥の店を教えた。港じゃ効く薬を出すって評判だったらしいぜェ」
「その店、レティシアさんが訪ねた翌朝から、ずっと休業したまま?」
ズーリンが尋ねる。
「そうだァ。しかも、閉めた後も荷が入ってる」
帳面を持ったモヒカンが前へ出た。
「昨日の夕方に二台、夜に一台。どれも箱へ店の印が付いてねェ。正規の仕入れなら、そんな隠し方はしねェよ」
「なんでそこまで分かるんですか」
ミラが目を丸くする。
「現実じゃ輸入と倉庫をやってんだわ」
帳面の男が胸を張った。
「この辺の店からも薬を仕入れる。正規の荷なら、店の印を隠したりしねェよ」
帳面の男が帳面を閉じ、店の裏手へ目を向けた。
「裏手へ入った男は二人。細ぇ方は、一度だけ戸口から顔を出した」
笑い声が消える。
「周りを見て、すぐ引っ込んだ。大男の方は、でけェハンマーを背負ってた」
「細身の方、武器は?」
「見えなかったなァ。軽装で、立ち方が妙に静かだった」
ガレスや。
武器が見えなくても油断できへん。
あいつは拳も蹴りも短剣も使って、死角から一気に間合いへ入ってくる。
「それから外へ出た奴は?」
俺が聞く。
「正面も裏も、誰も出てねェ」
赤モヒカンが、路地の奥を指した。
「まだ中だ」
指先から力が抜けた。
間に合った。
レティシアさんが一緒かは分からない。それでも、二人を押さえれば消えた先を聞き出せる。
「行こう」
ハナが俺の袖を引いた。
急ぎたいのは同じや。それでも走り出さず、ナオユキが先頭へ回るのを待っている。
俺たちは見張りの横を抜け、路地の奥へ進んだ。
古びた木の看板が見える。
船酔い止め、滋養薬、軟膏、消毒薬。どこにでもありそうな品書きの下で、正面の戸は固く閉ざされていた。窓も内側から布で塞がれている。
ただ、戸の下から細い灯りが漏れていた。
ノクティスが、ぴたりと足を止める。
「この店、寝たふりしてる」
「店は寝えへん」
「でも、閉まってるのに、奥だけ起きてる」
ノクティスが店の奥へ顔を向けた。
耳を澄ます。
船の鐘と荷車の音に紛れて、店の奥から低い音が聞こえた。
ずるっ。
何かを床の上で引きずっている。
続けて、硬いものが床を叩いた。
ハンマーの柄かもしれない。
それとも、運び出そうとしている荷か。
音は一度止まり、さっきより遠い場所でまた鳴った。
正面にも裏にも出ていないのに、店の奥へ遠ざかっている。
「許可は、まだか」
ナオユキが盾へ手をかけたまま、見張りへ聞く。
「港湾管理の職員が鍵を持って来る! もうすぐだァ!」
「もうすぐじゃ、遅い」
ハナが走った。
俺の横を抜け、閉じた戸へ向かう。
「ハナ、待て!」
ナオユキの声が飛ぶ。
けど、俺も追っていた。
中にレティシアさんがいるなら、運ばれる前に。
いないなら、痕跡を消される前に。
どっちでも、遠ざかる音を聞いて待つ理由はない。
ハナが戸の取っ手を掴む。
引いても、戸は開かなかった。
「鍵かかってる!」
「下がって」
棍棒を抜き、錠前へ狙いをつける。
ズーリンの鋭い声が背中へ飛んできた。
「待ってください。無許可で壊せば、こちらが処罰されます」
「中で人が運ばれてたら、待った方が後悔する」
ミラが弓を手に、俺たちの後ろへ走ってくる。
「私、そっちに一票」
「若いねえ。嫌いじゃない」
ドイルも短剣を抜いた。
赤モヒカンたちは、なぜか一斉に拳を上げる。
「扉代なら俺らが払うぜェ!」
「そういう問題ではありません!」
ズーリンの声が初めて大きくなった。
「ダイキ、やめろ! 二人だけで入るな!」
そう怒鳴りながら、ナオユキは盾を構えてこっちへ走っていた。
「ほな、全員で入ればええな」
「そういう意味じゃない!」
棍棒を振り下ろす。
錠前が弾け、金具が石畳を跳ねた。
ハナが待ちきれずに戸を押す。
ドイルとミラが左右につき、モヒカンたちは後ろを塞ぐ。ズーリンも額を押さえながら追ってきた。
「行くで!」
俺とハナが、薄暗い店へ踏み込む。
奥へ遠ざかっていた音が、ぴたりと止まった。




