1.レティシア未到着
王都の研究所に、レティシアさんは着いていない。
その話が、ただの連絡違いであってほしかった。
宴会の翌朝。海霧迷宮の報告書へ最後の署名をするために来たギルドで、俺たちは女性職員に呼び止められた。
広間の端にある相談卓には、二枚の書類が並んでいる。一枚は王都薬学研究所からの照会。もう一枚には、アクアポートから王都へ出た船の名前と到着時刻が書かれていた。
「まず、予定を確認させてください」
ナオユキが椅子へ座らずに聞いた。
「レティシアさんは、いつ王都へ着くはずだったんですか」
「アクアポートを発った日の夕方です」
職員の背筋は伸びたままだった。けれど、書類を押さえる指先に力が入っている。
「本部が未着に気づいたのは?」
「到着予定日の翌朝です。最初の照会も、その日に届いています」
職員は、王都薬学研究所からの照会を指で押さえた。
「当初は予定の変更か、研究員本人からの連絡漏れと考え、関係する施設や立ち寄り先を確認していました」
「どこにも連絡がないと判明し、正式な捜索要請へ切り替わったのが昨夜です」
「それは……ありそう」
ミラが小さく呟く。
ハナもすぐには否定しなかった。
「薬草を見つけたら、時間を忘れそうな人だったから」
「せやな」
街道でも、珍しい草を見つけるたびに止まっていた。俺が赤い草を引き抜いて魔物を呼んだ時も、怒るより先に根の状態を気にしていたくらいや。
どこかの店で薬草を見つけた。
調べているうちに船へ乗り遅れた。
今頃は別の便で王都へ向かっている。
そういう話なら、あとで全員で呆れたらいい。
そうでなければ、俺たちが港で見送ったあと、知らない場所で何かに巻き込まれたことになる。
それだけは、考えたくなかった。
「その日の便、遅れてたんですか」
俺が尋ねると、職員は首を横に振った。
「いいえ。王都行きは三便とも定刻内に到着しています」
船が遅れただけ、という逃げ道がそこで消えた。
「ほな、次の日の便は?」
「翌日以降の乗船名簿も確認しました。レティシア・ハルシオンという名はありません」
「偽名で乗ったとかは?」
ミラの問いに、今度はナオユキが首を振る。
「研究所の出張で、わざわざ名前を変える理由がないだろ」
「だよね……」
ミラの声がしぼむ。
俺は二枚目の書類へ目を落とした。船の名前が整然と並んでいる。どれを見ても、レティシアさんが無事だと分かる一行はなかった。
「荷物は?」
ハナが聞いた。
「あの人、荷物がすごく多かったんです。研究道具とか、薬の瓶とか」
職員が一枚目をめくった。
「革張りの箱と大型の旅行鞄は、出港前に船会社へ預けられています。どちらも最初の便で王都へ届いていました」
椅子の背を掴んでいたハナの指が止まった。
「荷物だけ……?」
「はい。本人は乗っていません」
喉が乾いた。
レティシアさんは、試験瓶の入った革鞄を他人へ渡すのにも迷う人やった。まして研究道具を王都へ送り、自分だけ行き先を変えるとは思えへん。
船に乗り遅れただけなら、荷物を追って次の便へ乗るはずや。
それすらしていない。
俺たちが迷宮で戦って、助かったと騒いで、昨日の夜は酒場で笑っていた間も、あの人は王都に着いていなかった。
もし、今もどこかで助けを待っているなら。
これ以上、理由も分からないまま待つのは嫌やった。
「最後に姿を見たのは、船会社の人ですか」
声が低くなる。
職員は俺を見てから、短く頷いた。
「出港手続きの担当者です。レティシアさんは荷物を預けたあと、『買い物を一つ済ませてくる』と告げて船着き場を離れています」
「戻ってこなかった?」
「出港時刻までには」
「船会社は探さなかったんですか」
ハナの声が強くなった。
「呼び出しは行っています。ただ、乗船券を購入した客が船へ戻らないこと自体は、珍しいことではないそうです」
職員の答えを聞いても、ハナの手は椅子から離れなかった。
「でも、レティシアさんは戻るつもりだった」
小さな声やった。
「荷物を先に載せてる。王都へ行く気だった。なのに戻れなかったんですよね」
職員は答えなかった。
答えられないんやと思う。
「俺は、レティシアさんを探したい」
俺はハナたちを見回した。
「みんなも、それでええよな?」
ハナが真っ先に頷く。
「うん。放っておけない」
「もちろん。何を見つけて寄り道したのかも気になるし」
ミラも続き、ノクティスはハナの隣で小さく手を上げた。
「私も行く」
ハナが隣を見る。
「ノクティス、レティシアさんとは会ったことないよ?」
「うん。でも、ハナが心配してる人」
ナオユキが登録証を取り出す。
「決まりだな」
俺はギルドへ登録できない。正式に依頼を受けるのは、登録証を持つ仲間の誰かや。
ナオユキは登録証を卓へ置き、職員を見た。
「捜索依頼、俺たちが受けます。正式な受注者は俺でお願いします」
職員は登録証を確認し、書類の端を揃えた。
「分かりました。ナオユキさんのパーティへの正式依頼として、手続きを進めます」
「ありがとうございます」
職員は照会状を二枚取り出し、それぞれへギルド印を押した。
「港湾管理と商人ギルドへ、聞き取りと店舗記録の確認を申請します。返答が来るまでは、証言集めと外からの確認だけです。店舗や倉庫へ無断で入ることはできません」
ナオユキが二枚の照会状を見て頷いた。
「分かりました」
今すぐ港中を走り回りたい気持ちはある。
けど、ナオユキの言う通りや。焦って追える道を減らしたら意味がない。
「それで」
俺は書類を指した。
「買い物って、何を買いに行ったんですか」
「船会社の担当者は、そこまでは聞いていません」
職員はそう言って、別の紙を取り出した。
「ただし、船着き場を離れた後の証言が一つあります」
紙には、港の売り子の印が押されていた。
「眼鏡をかけ、革の小物入れを肩から下げた女性が、船酔い止めについて詳しく尋ねてきたそうです」
「船酔い止め……」
ハナと顔を見合わせる。
アクアポートへ着いた日、港中に売り声が響いていた。
――船酔い止めありますよー!
その横で、レティシアさんは王都行きの船を見ながら、露骨に嫌そうな顔をしていた。
「間違いないと思う」
ハナが言う。
「レティシアさん、船に乗るの、本当に嫌がってたから」
「それで薬を買いに戻ったんか」
無事だという証拠ではない。
それでも、船着き場を離れた直後までの足取りは地図に残った。
「その売り子が、最後に見た人ですか」
職員は地図を卓へ広げた。
王都行きの船着き場。
売り子のいた大通り。
そこから内陸側へ折れた、細い道。
「レティシアさんは、売り子の薬を買っていません。成分と効能を尋ねたあと、もっと効果の高い薬を扱う店はないかと聞いたそうです」
「ああ……」
ミラが額を押さえる。
「会ったことないけど、研究者として気になって、買う前に質問攻めにしたんだ」
「たぶん、それやな」
職員の指が、細い道の先で止まる。
「売り子が紹介したのは、この一帯です」
地図には、小さな店の印が密集していた。
「最後に姿を見たという証言は、王都行きの船ではありません」
指先が、一つの区画を囲む。
「港の薬屋街です」
海へ出たと思っていた足取りが、港の中に残っていた。
「ほな、行こか」
地図へ手を伸ばしたところで、職員に止められた。
「お待ちください。薬屋街で調査を始める前に、済ませていただきたいことがあります」
「まだ何かあるんですか」
ハナの声が焦る。
職員は奥の廊下にいた若い職員を呼び、印を押した二枚の照会状を渡した。
「港湾管理と商人ギルドへ。至急です」
若い職員が書類を抱えて走っていく。
「返答を待つ間に、皆さんは職業判定を受けてください」
「今から?」
ミラが目を丸くした。
「店に何があるか分かりません。戦闘になった時、使える力を知らないまま入る方が危険です」
「でも、レティシアさんが消えてるんですよ」
ハナが食い下がる。
「承知しています。判定室はこの建物の中です。今の二通が戻るまでに終わらせます」
今すぐ薬屋街へ走りたい。
けど、どの店へ入ったのかも分からず、店の中には勝手に入れへん。ギルドが関係部署を動かしている間に、こっちも準備を終わらせる。その方が早い。
ナオユキが地図から手を離した。
「分かりました。先に判定を済ませます」
「ミラとハナは、初めての職業判定だな」
ナオユキが奥の廊下を見ながら言う。
「海霧迷宮であれだけ普通じゃない戦い方をしたんだ。レア職が出るかもしれないぞ」
「レア職?」
ミラの目が輝いた。
「それなら、ちょっと見てみたいかも」
「レティシアさんのこと、忘れてへんやろな」
「忘れてないって。でも、出るなら欲しいでしょ」
ハナも薬屋街の地図を気にしながら、少しだけ笑った。
「すぐ終わるなら、私も少し気になる」
職員が奥の廊下へ続く扉を開けた。
その先では、壁に埋め込まれた石板が水面みたいな光を放っている。
《職業判定室》
「お前もレベル二十だろ」
ナオユキの視線が、俺へ向いた。
「属性なしでも、これまでの戦い方から何か候補が出るかもしれないぞ」
「期待かけんな。何も出えへんかった時、きついやろ」
冗談みたいに返した。
けど、本当は俺も、何か出てほしかった。
属性なしのままでは、レベルも基礎スキルも二十で頭打ちになる。
海霧迷宮で、俺はその二十に届いてしまった。
職業候補が出れば、まだ先へ進める。
何も出なければ――俺の成長は、ここで止まる。




