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2.銀の水面、市場の糸

同じ夜。

王都の高い塔、その最上階。


執務室の窓から、夜の街が見えていた。

リゼルは椅子へ深く腰掛け、机の上の報告書を読んでいる。


向かいに立つのはエリオンだけだ。

ガイオのいない部屋は、珍しいほど静かだった。


「海霧迷宮の異常個体は討伐されました。白潮旅団も全員帰還しています」

エリオンが淡々と報告する。

「迷宮は現在、調査と安全確認のため封鎖中です」


「討伐したのは?」


「救援に入った複数のパーティです。中心に、ダイキとハナがいました」


報告書をめくっていた指が止まる。

「あの二人が?」


「迷宮へ入った時点では、どちらもレベル二十未満。職業もありません」

「白潮旅団を捕らえていた相手に、ハナが力の集まる場所を見抜き、ダイキが最後の一撃を与えています」


リゼルの口元が、少しだけ上がった。

「やっぱり、面白い子たちね」


「個別に監視を付けますか?」


「いらないわ。見られていると気づけば、選び方が変わってしまうもの」

リゼルは報告書を閉じた。

「大きな事件や戦闘記録に名前が出た時だけ教えて」


「承知しました」

エリオンが次の報告書を机へ置く。


表紙には、アクアポート市場報告と記されていた。


「市場は?」


「沈静化しています」


「なら、一件落着ね」

リゼルが背もたれへ身体を預ける。


だが、エリオンは報告書を置いた手を引かなかった。

「もう一件あります」


「なに?」


「迷宮最深部のダンジョンコア付近から、大量の誘引薬草が発見されました」


リゼルの指が、肘掛けの上で止まった。

「自然に生えたものではないわね?」


「はい。誰かが運び込んだ可能性が高いとのことです」


「市場の最初の報告を、もう一度見せて」


エリオンがアクアポート市場報告を開く。


リゼルは先ほど閉じた迷宮の報告書も引き寄せ、二枚を机の上へ並べた。


片方には、海霧迷宮で異常が発生した日。

もう片方には、アクアポートの商人たちが流通経路を巡って揉め始めた日が記されている。


同じ日だった。


「早すぎるわね」


エリオンが頷く。

「通常なら、採取隊の帰還遅延や資源の搬入不足が知れ渡ってから、市場が反応します」


「でも、商人たちは異常が起きた直後から動いていた」

リゼルは二枚の日付を指先で順になぞった。


迷宮の中に誘引薬草を置いた者は、いつ異常が起きるか知っている。

市場を最初に煽った者も、誰より早く資源不足を口にしていた。


「偶然では説明しにくいですね」


「ええ。片方を辿れば、もう片方へ届くかもしれない」


エリオンが市場報告へ目を落とす。

「迷宮を異常化させ、値を動かして利益を得る。それが目的でしょうか」


「それだけなら、少し綺麗すぎるわね」

リゼルは市場報告の端を指で叩いた。

「利益を得た者と、最初に噂を流した者が同じとは限らないもの」


「では、どちらを追いますか」


「最初に動いた者」

リゼルは迷わなかった。

「値を吊り上げた者。素材を買い占めた者。同じ噂を別々の商会へ流した者」


少し間を置き、もう一つ付け加える。

「港の商人も、帰還魂の商人集団も区別しないで。噂がどこから来たのかを辿らせなさい」


「マルチェロへ伝えます」


「ええ。目的だけ伝えて。現地で誰を使い、どう調べるかは彼に任せるわ」


エリオンが静かに一礼した。

「承知しました」


報告書をまとめかけたエリオンを、リゼルが呼び止める。

「それにしても」


「はい」


「海霧迷宮で蜘蛛騒ぎが起きたと思ったら、結局追う先は商人なのね」


「いつものことです」

エリオンは間を置かずに答えた。


リゼルは思わず吹き出した。

確かに、戦争でも宗教でも貴族同士の争いでも、最後には金の流れへ行き着く。


「そうね。いつものことだわ」


エリオンが部屋を出たあと、リゼルは二枚の報告書をもう一度並べた。


迷宮異常。

市場の混乱。


同じ日付を、細い線で結ぶ。

線の先には、最初に市場を動かした者の名を書くための空欄が残った。


窓から差し込む月明かりが、机の上で銀色に揺れている。

リゼルは空欄へ指を置き、いつもの笑みを浮かべた。


「誰が糸を引いているのかしら」


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