2.海竜を喰らう蜘蛛
海竜の死骸の上に、“それ”はいた。
赤黒い無数の目が、ゆっくりこちらを向く。
周囲の白蜘蛛達も、壁や天井に張り付いたまま動かない。
白潮旅団は、白い繭の中でもがいていた。
「…………」
誰も喋らない。
静かだった。
息が詰まりそうなくらい。
「……お食事中でしたか」
思わず口から漏れる。
「すいませんねー」
そっと扉を閉めた。
ゴッ。
重い音が響く。
しばらく、誰も動かなかった。
「デカすぎでしょアレ!」
ミラが勢いよく言う。
「ボス食べてたよね!?」
「食うてたな!」
「しかも周りにも、めっちゃおったよ!?」
「おったな!!」
「何あれ!?蜘蛛の宴会場!?」
「楽しそうに言うなや!」
ハナが、少し引いた顔で呟く。
「……あれ、一匹で食べる量じゃない」
「そこ気にするんや……」
ノクティスは、ぼんやりした顔のまま首を傾げた。
「海竜、美味しそうだったね」
「何て言えば、分けてくれるのかなあ?」
「何で蜘蛛からご飯分けてもらおうとしてるねん!?
てか、結局みんな飯の話しかしてへんやないか!」
ナオユキだけが、静かに壁へ背中を預けていた。
「……想定以上だ」
低い声だった。
「……撤退するべきだな」
壁にもたれたまま、静かに続ける。
「今の戦力では危険すぎる」
誰も、すぐには反論しなかった。
あの部屋の光景は、それくらいヤバかった。
白蜘蛛だけでも数が多い。
その上、ボスを食ってたボス蜘蛛までいる。
「……でも、放っといたらもっとヤバいやろ」
口を開く。
「白潮旅団、あのまま死ぬかもしれん」
「それに、あのボス蜘蛛」
頭に浮かぶ。
食い荒らされた海竜の死骸。
「ダンジョンボスって、一定期間で復活するやろ」
「え、そうなの!?」
ミラが目を丸くする。
「もし、あいつがずっとここ独占したら」
「ボス湧くたび、延々レベル上がり続けるんちゃうか?」
ミラの顔から、さっと血の気が引いた。
ナオユキは冷静だった。
「白潮旅団はプレイヤーだ」
「死ねば戻る可能性が高い」
「今ここで無理をするより、一度戻って体勢を整えるべきだ」
短く息を吐く。
「そもそも、勝ち筋が見えない」
それから、静かに続けた。
「……覚えてるか」
低い声だった。
「俺たちの理想はな」
「全員が、その時に持ってる力を全部出して、パーティとして最大の力で戦うことだ」
少し間を置く。
「そうやって、勝つべくして勝つ」
「だが、今の相手は違う」
「今の俺たちが全力を出し切れたとしても、勝ち切れるイメージが全く見えない」
その言葉に、誰も反論できなかった。
「……倒す必要、ないんじゃない?」
ハナが、小さく口を開いた。
全員がそっちを見る。
ハナは、少しだけ迷いながら続けた。
「目的って、白潮旅団を助けることだよね」
「蜘蛛を倒すことじゃなくて」
空気が、少しだけ変わった。
救出。
討伐じゃなく。
助けて、逃げる。
ナオユキが、静かに目を細める。
「……その救出方法がない」
ナオユキの声は冷静だった。
「繭を切る前に、あの数の白蜘蛛が来る」
「ボス蜘蛛まで動けば、撤退も難しい」
確かに、その通りや。
あの部屋へ突っ込んだ瞬間、囲まれる。
白潮旅団を助ける前に終わる可能性の方が高い。
「うーん……」
ミラが腕を組む。
「普通に斬るのは無理そうだったよね」
「糸、めちゃくちゃ太かった」
しばらく考えてから、ぽつりと呟く。
「……蜘蛛の糸って、燃えるんじゃない?」
全員がミラを見る。
「燃える?」
「ほら、糸だし」
「火には弱そうじゃない?」
「その理論で戦うの怖いんやけど」
思わずツッコむ。
でも。
「……試す価値はあるか」
腰のポーチから、小型ランタンを取り出す。
火を灯すと、橙色の光が暗い通路を揺らした。
近くの壁には、細い白糸が少しだけ残っている。
ランタンの火を近づけた。
じゅっ。
小さな音と一緒に、白い糸が黒く縮れる。
そのまま、ぷつりと焼き切れた。
「……おお」
ミラが目を丸くする。
ハナも、小さく息を呑んだ。
「燃えた」
「しかも、結構あっさり」
ナオユキが焼け跡を静かに見る。
「細い糸なら、一瞬だな」
「太いのは、もう少しかかりそうやけど……」
白潮旅団を包んでいた繭を思い出す。
簡単ではない。
でも、突破はできる。
「……助け出すだけなら、いけるかもしれんな」
さっきまでとは、少しだけ空気が変わっていた。
「……で、一番の問題がある」
ランタンの火を消しながら言う。
全員の視線が、ノクティスへ向いた。
ノクティスは、いつも通りぼんやりしている。
「ノクティスちゃんは戦闘参加なしや」
「うん」
即答だった。
あまりにも素直すぎて、逆に少し不安になる。
「とりあえず、扉の外で待機」
ナオユキが静かに言う。
「もし危険を感じたら、すぐ離れろ」
ノクティスは、小さく頷いた。
「わかった」
少しだけ間が空く。
それから、当たり前みたいに続けた。
「もし帰ってこなくても、大丈夫だよ」
「……は?」
思わず聞き返す。
ノクティスは、ぼんやりした顔のまま言った。
「わたし、一人で戻れるから」
「敵、避けられるし」
「一階まで行ける」
誰も、すぐには喋らなかった。
七層から十層まで、ほとんど敵と遭遇せずに来られた。
迷うことはあった。
変な方向へ行くこともあった。
でも。
危険な場所だけは、ちゃんと避けていた。
ナオユキが、静かに息を吐く。
「……少なくとも」
「俺たちより生存率は高いだろうな」
「複雑やなそれ……」
頭を掻く。
ノクティスは、本当に一人で帰るつもりなんやろ。
無理してる感じはない。
ただ、普通にそう出来ると思っている。
しばらく黙る。
扉の向こう。
白潮旅団。
大量の白蜘蛛。
ボス蜘蛛。
ゆっくり息を吐いた。
「……よし」
全員を見る。
「助けるで」
扉の向こうは、
たぶん地獄や。
それでも。
静かに、扉へ手をかけた。




