3. 第七層の静けさ
第七層へ降りた瞬間、空気が変わった。
冷たい。
湿った空気が服の隙間から入り込んできて、思わず肩を回す。
(……なんやこれ)
「……寒っ」
ミラが小さく呟いた。
俺も周囲を見渡す。
「なんか、空気重ない?」
「ああ」
ナオユキが短く返す。
第六層までとは明らかに違う。
通路は広いのに、妙に圧迫感があった。
響くのは、俺たちの足音だけ。
魔物の気配が、ほとんどない。
……静かすぎる。
ここまで下りてきたのに、気配が増えるどころか減ってる。
普通やない。
ここまで来る間にも、魔物はほとんど見ていない。
ハナが小さく目を閉じる。
少し間を置いて、ゆっくり口を開いた。
「前方も、ほとんど反応ない」
俺は眉をひそめる。
「こんなん、逆に落ち着かへんな」
その言葉に、全員が無言で頷いた。
通路の壁には、ところどころ大きな傷が残っていた。
何かが叩きつけられたような跡。
砕けた石。
少し先には、モンスターの死骸も転がっている。
けれど、周囲に冒険者の痕跡はない。
……白い蜘蛛が、この階層の魔物と戦ってるんか。
床には、白い糸みたいなものも張りついている。
白い蜘蛛は、死んだ瞬間に糸も消える。
……まだ消えてへん。
ってことは、糸を出したやつも生きてるんか。
思わず、周囲へ視線を走らせた。
ミラが小さく言う。
「……ここ、なんかあったよね」
「あった、じゃない」
俺が低く返す。
「今も続いてる」
誰も否定せえへん。
ナオユキが盾を持ち直す。
静かすぎる第七層を、俺たちは慎重に進み始めた。
少し先で、ナオユキが足を止めた。
「荷物」
通路の端に、革の腰袋が転がっていた。
近づいて確認する。
破れた袋から、中身が半分ほど散乱していた。
保存食。
空の水筒。
割れた回復薬。
ミラが眉をひそめる。
「……冒険者の?」
「ああ」
ナオユキが短く返した。
さらに奥へ進むと、今度は床に血痕が残っていた。
量は多くない。
けれど、点々と奥へ続いている。
誰かが負傷したまま移動したみたいやった。
その横には、何かを引きずったような跡もある。
俺はしゃがみ込み、床へ触れる。
もう乾いてる。
けど、完全に古い血って感じでもない。
「かなり最近やな……」
思わず声が漏れる。
通路の奥へ進むほど、冒険者の痕跡は増えていった。
壊れた装備。
散乱した荷物。
壁に叩きつけられたような血痕。
しかも、進行方向は全部同じや。
逃げながら戦ってる。
そんな感じがした。
「急ぐで」
俺は無意識に足を速める。
血痕を追うように進んでいた時だった。
前を歩いていたナオユキが、急に足を止める。
「……いた」
声が低い。
俺たちも反射的に動きを止めた。
鉄臭い。
空気が、さっきまでと明らかに違う。
嫌な予感が、一気に膨らんだ。
急いで角を曲がる。
そこは少し開けた空間になっていた。
そして。
「……っ」
ミラが息を呑む。
四人。
冒険者が倒れていた。
周囲の壁は大きく抉れ、床も砕け散っている。
激戦やったんやろ。
見た瞬間に分かった。
先頭にいた男。
痩せた長身。
灰色の外套。
片目にかかった黒髪。
見覚えがある。
あの時は、薄く笑ってるのに目だけが笑ってへん、妙に嫌な男やった。
けれど今は、苦痛に歪んだ顔のまま動かない。
残りの三人も倒れている。
派手じゃない装備。
なのに妙に威圧感のあった連中。
それが今は、誰一人動かへん。
その近くには、白い脚みたいな破片が転がっていた。
蜘蛛の外殻。
しかも、今まで見たやつより明らかに大きい。
「……オセル隊」
思わず声が漏れる。
ミラが慌てて駆け寄った。
「ま、待って!
まだ気絶してるだけかも!」
俺も息を詰める。
そうや。
プレイヤーなら、死んだら教会に戻る。
ここに残ってるなら、まだ生きてる可能性が――
ミラの動きが止まった。
手首に触れ、首筋に指を当てる。
「……ミラさん?」
返事がない。
数秒遅れて、小さく声が漏れた。
「……脈がない」
空気が止まる。
ナオユキが、ゆっくり目を細めた。
「……死んでるのに戻ってない」
その言葉で、頭の中が一気に繋がった。
プレイヤーやない。
こいつら、NPCなんか。
死んだら終わり。
教会にも戻れへん。
思わず喉が詰まる。
その瞬間、頭に浮かんだ。
「……あの女の子……ノクティスは?」
反射的に周囲を見回す。
けど、どこにもいない。
その瞬間、ハナが弾かれたみたいに顔を上げた。
「いた!」
全員が振り向く。
ハナは通路の奥を見たまま、強く言う。
「この先!
まだ戦ってる人がいる!」
ハナの声と同時に、全員が走り出した。
通路を曲がるたび、戦闘跡が増えていく。
砕けた石。
壁に突き刺さった爪痕。
白い糸。
けれど、さっきまでとは少し違った。
「……これ」
ミラが周囲を見回す。
通路の一部が、不自然に崩れていた。
いや、崩したんや。
わざと。
ナオユキが低く呟く。
「通路封鎖か」
その先には、土の壁が残っていた。
完全には塞げていない。
けれど、足止めには十分や。
「土壁生成……」
俺は壁へ触れる。
急ごしらえ。
しかも、一回やない。
少し進むたび、同じ痕跡がある。
通路を塞ぎ、壊されたら次を作る。
逃げながら、何度も繰り返してる。
その途中には、蜘蛛の死骸も転がっていた。
しかも、位置が妙や。
通路の狭い場所ばかりで倒れてる。
「……誘導してる?」
ミラが呟く。
「ああ」
俺も周囲を見る。
広い場所では戦ってへん。
わざわざ、狭い通路へ引き込んでる。
一対多数にならんよう、戦場を選んでるんや。
(……うまい)
ギリギリのはずや。
追われてる側のはずや。
なのに、崩れてへん。
ただ逃げてるだけじゃない。
ちゃんと考えて、生き残ろうとしてる。
その時だった。
ハナが強く顔を上げる。
「近い!」
声が変わった。
「もうすぐそこ!
人がいる!」
直後。
遠くから、低い衝突音が響いた。
まだ戦ってる。
衝突音を追うように、通路を駆け抜ける。
途中から、白い糸が目立つようになってきた。
壁や床、天井のあちこちに、無理やり引きちぎったみたいな跡が残っている。
「……これ、突破しながら逃げたんか」
思わず声が漏れる。
ミラも周囲を見回しながら、小さく顔をしかめた。
その先で、通路が土壁で半分ほど埋められていた。
左右を塞ぎ、通れる幅を無理やり狭めている。
蜘蛛が一気に押し寄せられへんよう、侵入口を絞ってるんや。
しかも、一枚やない。
少し奥にも、同じような土壁が見える。
「……防衛線か」
ナオユキが低く呟く。
直後、奥の方、土壁の向こう側から怒鳴り声が響いた。
「右だァ!!
来やがったぞ!!」
続けざまに、何かが砕ける音。
まだ戦ってる。
俺たちは顔を見合わせ、狭くなった入口を抜ける。
その瞬間、視界が一気に開けた。
広場や。
広場の壁際には、土壁で築かれた即席の陣地があった。
背後は石壁。
左右も土壁で塞がれ、正面だけを無理やり戦場にしている。
その周囲を、白蜘蛛が取り囲んでいた。
壁、天井、通路。
逃げ道ごと、全部や。
「っ!」
思わず息を呑む。
「おい!!
ノクティスって女の子はいるか!?」
俺が叫ぶ。
陣地の奥から、聞き覚えのある声が返ってきた。
「ヒャハッ!!
援軍かよォ!!」
「あァ!?
マジで人来やがった!!」
あのモヒカン連中や。
「生きてっぞ!!
ギリギリだけどなァ!!」
その直後、カツ、と硬い音が響いた。
広場の奥。
他の蜘蛛より一回り大きい白蜘蛛が、ゆっくり壁を這っていた。
脚が一本欠けている。
外殻には、何本もの傷。
それでも、動きは鈍っていない。
むしろ、
傷ついた分だけ凶暴さが増しているように見えた。
ナオユキが盾を構え直した。
「……来るぞ」
陣地の中から、掠れた声が漏れる。
「気ぃつけろ……
そいつが親玉だ」




