2.盤上の誤算
部屋に、わずかな沈黙が落ちる。
さっきまで軽く笑っていたガイオが、ふと腕を組み直した。
「で」
短い一言。
けれど、それで十分だった。
リゼルは背もたれに身体を預け、指先で肘掛けを軽く叩く。
どこから話すべきか。
……まあ、順番にでいいか。
「あの二人は、思ったより素直に動いてくれたわ」
口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。
「伯爵家に招いて、理由を作ったの」
エリオンが静かに視線を上げる。
「発見地点の再調査依頼ですね」
「ええ」
リゼルは頷いた。
「“発見地点まで案内し、原因を突き止める”」
「表向きは、ただの再調査」
指先を止める。
「でも、本命は別」
その目が細くなる。
「青い花の場所を、自然に案内させること」
「それと、向こうの背後を炙り出すこと」
ガイオが鼻で笑う。
「相変わらず回りくどいな」
リゼルは肩をすくめた。
「正面からやっても面白くないでしょう?」
実際、あの時点ではまだ、ただの駒だった。
属性なしの男。
同行する少女。
報告書の上では、それだけ。
けれど。
一輪だけとはいえ、花を持ち帰った。
その一点だけが、妙に引っかかっていた。
ただの偶然か。
それとも、こちらの想定を越える何かを持っているのか。
そこは、この目で確かめたかった。
ガイオがふっと笑う。
「で、最悪どこまで荒れる想定だった?」
リゼルは小さく笑った。
「スタンピードが起きるなら起きるでいいわ」
一拍。
「ただ、ノースポートが消えるのは少し面倒ね」
エリオンが静かに口を開く。
「局所的な試練であれば、成長には寄与します」
……ほんと、この人はぶれない。
リゼルは思わず笑みをこぼした。
「ほんと、あなたらしいわね」
その目が、ゆっくりと細くなる。
「でも、優先順位は別」
「花の回収」
「向こうの背後の確認」
「それが先よ」
言い切った瞬間、胸の奥に小さな熱が灯る。
そして、結果として。
あの二人は、想像以上に面白かった。
リゼルは椅子の背にもたれたまま、ゆっくりと足を組み直した。
「あの二人が動くこと自体は、もう見えていたわ」
指先で肘掛けを軽くなぞる。
「問題は、その後」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ締まる。
「ユリウス側は、行き先を知らない」
「だから、こちらから見せてあげる必要があったの」
ガイオが片眉を上げた。
「ユリウス?」
リゼルは小さく笑った。
「そう名乗っていた男よ」
一拍。
「まあ、まず偽名でしょうけど」
ガイオが口元を吊り上げる。
「餌を撒いたってわけか」
リゼルは小さく笑った。
「ええ、少し派手にね」
市場の喧騒が脳裏によみがえる。
人の流れ。
荷車の軋む音。
朝の冷たい空気。
その中で、あえて目立つように旅支度を整えた。
食料。
水。
長距離移動を思わせる装備。
そして、わざと早い時間から東門へ。
――見ていれば、嫌でも気づく。
ユリウス側が動くなら、ここしかない。
その確信はあった。
エリオンが静かに口を開く。
「東へ向かうことを、意図的に認識させたのですね」
「そう」
リゼルは頷いた。
「前日までに、“東”という情報は流しておいた」
「なら、あとは待ち伏せしやすい地点まで、こちらが誘導してあげればいい」
ガイオが鼻で笑う。
「性格悪ぃな」
その言葉に、リゼルの口元がわずかに上がる。
「街を出てからは、あえて真っ直ぐ東へ」
「しかも、身を隠しやすくて追跡もしやすい場所まで、魔導車を進めたの」
森の入口近く。
岩陰と木立。
身を潜めるにはちょうどいい。
ユリウス側がこちらを見失わず、なおかつ手を出しやすい地点。
あの場所なら、必ず来る。
来なければ、その程度。
そのどちらでも、損はない。
ガイオが小さく笑った。
「で、ちゃんと食いついた」
リゼルはゆっくりと頷く。
「案の定ね」
胸の奥で、あの時の感覚が蘇る。
盤面が、思った通りに動く感覚。
それは何度味わっても、少しだけ楽しい。
リゼルは肘掛けに頬杖をついたまま、小さく笑った。
「最低限の収穫はあったわ」
ガイオが腕を組んだまま口元を吊り上げる。
「食いついた上に、何か拾えたんだろ」
鋭いわね。
思わず口元が緩む。
「ええ」
「あの男の顔を、この目で見られた」
部屋の空気が少しだけ変わる。
エリオンの視線が静かに向く。
「ユリウス、と名乗った男ですね」
「そう」
リゼルはゆっくりと頷いた。
あの時の薄い笑み。
こちらを値踏みするような目。
――名前はどうでもいい。
むしろ、あれが本名である方が不自然だ。
「まず偽名でしょうね」
「でも、顔を見られたのは大きいわ」
ガイオが鼻で笑う。
「なら、その場で潰しとけばよかったんじゃねえのか?」
その言葉に、リゼルは小さく首を傾げた。
「もったいないでしょう?」
一拍。
「そこで潰しても、手駒が一人減るだけ」
「末端を切っても、盤面は見えない」
その目がゆっくりと細くなる。
「少し泳がせた方が、ずっと面白い」
胸の奥で、あの時の言葉がよみがえる。
――生きてる限り、やり直せるし、変われる。
ふっと笑みが漏れた。
……少し、影響されたかもしれないわね。
エリオンが静かに口を開く。
「追跡は継続しますか」
「ええ」
リゼルは頷く。
「ノースポートで動いている連中を辿れば、いずれ背後まで届く」
「焦る必要はないわ」
ガイオが口元を吊り上げる。
「珍しいな」
リゼルは肩をすくめた。
「私も少し学んだの」
「どこまで変わるのか」
「積み上げて、あと一歩で届くと思った瞬間に崩れる」
「それを見届ける方が、きっと面白いわ」
ガイオが口元を吊り上げた。
「で、本命の方はどうだった」
短い一言。
けれど、そこに含まれる意味は十分伝わる。
青い花。
今回の、本当の目的。
リゼルは背もたれに身体を預け、ゆっくりと目を細めた。
「花畑までは、想定通りだったわ」
あの廃墟の奥。
青く揺れる花の群れ。
あれを見た瞬間、ようやくここまで来たと思った。
……あそこまでは、完璧だった。
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「ただ」
その笑みが少しだけ薄れる。
「一つだけ、予想外があった」
ガイオの眉が上がる。
「何だ?」
リゼルは小さく息を吐いた。
「知能個体のガーゴイルよ」
部屋の空気が、ほんの少しだけ張る。
エリオンが静かに口を開く。
「失礼ながら、その程度であれば処理は容易だったはずです」
「ええ」
リゼルは小さく笑った。
「簡単だったわ」
一拍。
「でも、そこで終わらせるのは少し惜しかったの」
胸の奥に、あの時の感覚が蘇る。
せっかくここまで侍女を演じた。
せっかく、あの二人をここまで連れてきた。
ここで全部ひっくり返してしまうのは、少しつまらない。
「最後まで見てみたくなったのよ」
その声に、わずかに熱が混じる。
「あの二人が、あの状況でどう動くのか」
「どこまで足掻くのか」
「それをね」
ガイオが吹き出す。
「ほんと趣味が悪ぃ」
リゼルの口元がわずかに上がる。
……否定はしないわ。
一拍。
「ただ、問題は別だった」
視線が少しだけ鋭くなる。
「あの二人に気づかれずに、どうやって花を回収するか」
そこだけは、少しだけ頭を使った。
それが、あの場で一番面白かったかもしれない。
リゼルはふっと笑みをこぼした。
「あれは、ちょうどよかったの」
ガイオが片眉を上げる。
「何がだ?」
「あの攻撃よ」
あの瞬間の風圧。
翼が唸る音。
視界の端で揺れる青い花。
すべてが、思った以上に都合がよかった。
リゼルは、何でもないことのように言った。
「わざと受けたの」
部屋に、一瞬だけ沈黙が落ちる。
ガイオが思わず吹き出した。
「お前……」
リゼルは肩をすくめた。
「だって、その方が自然でしょう?」
「戦線から外れる理由ができる」
「あの二人の視線も、全部ガーゴイルに向く」
そこまで言って、小さく笑う。
本当に、あの瞬間は綺麗だった。
あの二人の意識が、完全に敵へ向いた。
だからこそ、迷いなく動けた。
「花畑へ吹き飛ばされたふりをして」
「そのまま回収したわ」
エリオンが静かに目を細める。
「どの程度、確保できたのですか」
リゼルの口元に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。
「見える範囲は、ほぼ全部」
ガイオが笑う。
「全部持てたのかよ」
「最近のマジックバックを舐めないでちょうだい」
少しだけ楽しそうに言い返す。
むしろ。
どこまで入るのか、少し試したくなったくらい。
青い花が、次々と闇の中へ吸い込まれていく。
あの感覚は、思いのほか心地よかった。
「……正直」
ほんの少しだけ、笑みが薄れる。
「戻った時には、全部終わってると思っていたわ」
リゼルの笑みが、ほんの少しだけ変わる。
「でも」
その一言に、部屋の空気が静かになる。
「終わっていなかったの」
あの光景が、今も鮮やかによみがえる。
崩れた石畳。
舞い上がる砂塵。
倒れ伏したガーゴイル。
そして、その前に立つ二人。
――一瞬、思考が止まった。
正直、あれは予想していなかった。
ガイオが腕を組んだまま眉をひそめる。
「……倒してたのか?」
「ええ」
リゼルは小さく頷いた。
「知能個体を」
その言葉に、ガイオの笑みが止まる。
「レベルは十から二十程度」
「属性なし」
「基礎スキルのみ」
短い沈黙。
それから、ガイオが思わず吹き出した。
「そんなの、無理に決まってるだろ」
その反応が、むしろ心地よかった。
そう。
私もそう思っていた。
だからこそ、あの瞬間は面白かった。
想定を越えてくる。
計算の外から、結果だけを持ってくる。
それは偶然なのか。
それとも。
まだ見えていない何かがあるのか。
リゼルの目が、ゆっくりと細くなる。
「あの二人は、ただの駒じゃない」
胸の奥に、わずかな熱が灯る。
「……本当に、面白い人たち」
短い沈黙が、部屋に落ちる。
さっきまで胸の奥で揺れていた熱が、ゆっくりと静まっていく。
リゼルは椅子から静かに立ち上がった。
「……目的は二つとも達成したわ」
その声に、部屋の空気がわずかに和らぐ。
ガイオが口元を吊り上げる。
「上出来ってわけか」
リゼルは窓の外へ視線を向けた。
遠く、王都の方角。
夜の向こうに、次の盤面が見える気がした。
「ええ」
「十分すぎるくらいね」
青い花は手に入った。
ユリウス側の顔も見えた。
そして。
あの二人という、想定の外側の存在も。
胸の奥で、ふっと笑みが灯る。
……本当に、退屈しない。
エリオンが静かに一礼する。
「薬学研究者の選定は、すでに進めております」
その言葉に、リゼルの口元がゆっくりと上がる。
仕事が早い。
そういうところは、本当に助かる。
「なら、戻りましょう」
一拍。
その瞳が、静かに細くなる。
「青い花から、狙い通りの作用を持つ薬が作れるのか」
「そろそろ試す時よ」
窓の外に広がる夜を見つめながら、
リゼルは小さく笑った。
銀髪が、窓から差し込む月明かりを受けて淡く光る。
次は、王都。
そして、その先へ。
……これだから、生きてるって面白いのよね。
第一部を最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第一部の最後は、あえてリゼルたちの側から締めました。
ダイキとハナが必死に掴んだ勝利を、別の誰かは盤上の出来事として見ていた。
その温度差を感じていただけたら嬉しいです。
第二部では、舞台が廃墟から港町へ移ります。
新しい仲間との出会いによって、二人の旅と世界がさらに大きく動き始めます。
ダイキたちをこの先も見届けたいと思ってもらえたら、ブックマークしてもらえるとうれしいです。
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