8.限界突破
「リゼルさん……!」
ハナが青い花畑へ駆け出そうとする。
その腕を、俺は咄嗟に掴んだ。
「待て」
「でも、リゼルさんが……!」
ハナの目が、銀髪の消えた石壁へ向く。
俺だって、今すぐ追いかけたい。
せやけど、空から翼の音が近づいてくる。
「ハナ。リゼルさんの気配、分かるか」
ハナは唇を噛み、こめかみへ指を当てた。
数秒後、強張っていた肩がわずかに下がる。
「……いる。遠いけど、まだ感じる」
生きてる。
なら、先にこいつを止める。
「今、背中向けたら全滅や」
俺は空を見上げた。
ガーゴイルは、もう俺たちの真上へ戻っていた。
赤い目が細まり、両手が開く。
「ソロソロ終ワリニシヨウカ」
「集エ、灼熱ノチカラ――」
俺とハナの間に、赤い火種が灯った。
さっきと同じ《大爆炎》や。
逃げ込める壁は遠い。
今度はリゼルの水槍もない。
「ハナ、水球を二つ出せるか」
「さっき試したでしょ。二つ目を出すと、一つ目が崩れる」
「別々に動かそうとするからちゃうか」
俺は頭上のガーゴイルを指した。
「曲げた時みたいに、一つの場所だけ見ろ。二つともあの火へ飛ばすんや」
「そんなの、やったことないよ」
「俺の背中にぶちまける練習よりは、役に立つはずや」
「あれは事故!」
言い返した声で、ハナの震えが少し止まった。
空では赤い火種が膨らみ続けている。
「失敗しても、俺がおる」
俺は棍棒を握り直した。
「せやから、やってみてくれ」
ハナが俺を見て、一度だけうなずく。
「……分かった」
杖の先に、青い水球が浮かんだ。
ハナが左手を上げる。
二つ目の水球が形を作り始めた瞬間、一つ目の表面が大きく揺れた。
「あかん、崩れる!」
「分かってる……!」
ハナはガーゴイルを見上げたまま、こめかみに指を当てる。
その視線が、俺たちの間で膨らむ火種へ止まった。
「……あの火に、あいつの敵意が集まってる」
「ほな、水球やなくて、その敵意だけ追え!」
「一つだけ……」
ハナが赤い火種を見据える。
揺れていた水球が止まった。
二つ目も、崩れずに浮かぶ。
「できた!」
「まだや。あの火を消すには足りへん!」
「無茶言わないでよ!」
ハナは叫びながら、杖を振った。
三つ目。
四つ目。
一つ増えるたび、ハナの膝が沈む。
それでも水球は、全部同じ火種へ向いていた。
五つ目。
最後に、六つ目が浮かぶ。
「燃エヨ、爆ゼヨ、スベテヲ灰ヘ変エヨ――」
ガーゴイルの詠唱が終わる。
「今や、ハナ!」
「全部、そこへ行って!」
六つの水球が、一斉に赤い火種へ飛んだ。
飛びながらぶつかり合い、一つの大きな水塊へ変わる。
「大爆炎」
赤い光が弾けた。
水塊が炎を包み、白い蒸気が花畑を駆け抜ける。
熱風に押され、ハナの身体が後ろへ傾いた。
俺はその肩を抱え、棍棒を地面へ突き立てる。
炎は水を食い破りかけ、最後に濡れた石畳だけを残して消えた。
「……消せた」
ハナが杖にしがみついたまま息を吐く。
「もう一回は無理やからね」
「俺も六個は頼まへん」
蒸気の切れ間に、ガーゴイルの影が見えた。
魔法を放った直後で、高度が落ちている。
それでも、跳躍だけでは届かへん。
俺は濡れた背中をハナへ向けた。
「一個でええ。俺の背中へ撃ってくれ」
「……何言ってるの?」
「水球で、もう一段上へ押し上げる」
ハナの顔が引きつった。
「怪我するよ!」
「水耐性がある。プロテクションもかけてくれ」
「耐性って、そういう使い方するもの?」
「濡れたズボンよりは役に立つやろ」
ハナが一瞬、言葉を失う。
それから、諦めたように杖を構えた。
「ほんと、あとで痛いって言っても知らないから」
「それはたぶん言う」
「プロテクション!」
淡い光が俺の身体を包む。
ガーゴイルが蒸気の中で翼を打った。
逃げられる前に、俺は石畳を蹴る。
「跳躍!」
身体がガーゴイルへ向かって跳ね上がる。
まだ足りへん。
広げた翼が、頭の上にある。
「ハナ!」
「ウォーターボール!」
背中へ青い水球がぶつかった。
防御の光が軋み、身体の中まで衝撃が突き抜ける。
「ぐっ……!」
痛い。これはあとで絶対言う。
せやけど、届いた。
俺の身体が、ガーゴイルの頭より高く上がる。
「打ち下ろし!」
全体重を乗せ、棍棒を右の翼の付け根へ振り下ろした。
石が砕ける。
翼が折れ、亀裂が右肩から胸まで走った。
ガーゴイルが真下へ落ちる。
俺は少し離れた石畳へ向かって落ちていく。
(……こっちもあかん)
地面へ叩きつけられる寸前、下から水球が駆け上がってきた。
水が背中を受け止め、落下の勢いを削る。
それでも肩から石畳へ転がり、息が詰まった。
「ダイキ!」
ハナが駆け寄ろうとする。
「来るな!」
俺は棍棒を杖にして、無理やり立ち上がった。
土煙の向こうで、ガーゴイルが片膝をついている。
右の翼は折れ、肩から胸へ深い亀裂が残っていた。
それでも赤い目は消えてへん。
爪を石畳へ突き立て、巨体を起こす。
「……ヤッテクレタナ、人間」
「そっちこそ、リゼルさんをようもやってくれたな」
俺は真正面から踏み込んだ。
ガーゴイルの右腕が、亀裂をかばうように上がる。
「打撃!」
棍棒と爪がぶつかり、火花が散った。
重い。
翼を折っても、力はまだ向こうが上や。
左の爪が横から迫る。
俺は棍棒を引き、身体を沈めた。
「ダイキ、右脚を狙ってる!」
その声と同時に、右から石の脚が迫る。
ガーゴイルの蹴りが石畳を削った。
一歩下がり、ぎりぎりで避ける。
ハナには、次にどこを狙うか分かる。
なら、俺がそこへ動けばええ。
「次も頼む!」
「うん。左上から来る!」
振り下ろされた爪を、棍棒で外へ流す。
空いた右肩の亀裂へ、棍棒を叩き込んだ。
石片が飛ぶ。
あと少しで、右腕を落とせる。
ガーゴイルが身体をひねり、亀裂を俺から隠した。
同時に、折れていない左の翼を盾のように広げる。
「見えへん!」
「でも、分かる。右腕を振り上げてる!」
翼の陰から、爪が真横に飛び出した。
俺は棍棒で受け止める。
ガキィンッ!
両腕がしびれ、足が石畳を滑った。
「ハナ、一個だけ撃てるか!」
「一個なら……!」
「ガーゴイルの右足や。動きを止めてくれ!」
ガーゴイルが俺を押し潰そうと、右足へ体重を乗せる。
「ウォーターボール!」
水球が右足の関節へぶつかった。
石の足が濡れた地面を滑る。
巨体が右へ傾き、隠していた亀裂が目の前へ戻った。
「打撃!」
棍棒を右肩へ叩き込む。
ひびがつながり、右腕が石畳へ落ちた。
ガーゴイルの咆哮が花畑を震わせる。
「ダイキ、左の爪! 下から!」
残った左の爪が、下から跳ね上がった。
棍棒を下げて受ける。
同時に避けようと、左足へ力を入れた。
その瞬間、腕と足が止まった。
頭では分かっているのに、身体だけがついてこない。
狼を前にした時と同じや。
ガーゴイルの爪が、棍棒ごと俺の身体を押し上げる。
金属が軋む音も、ハナの声も、急に遠ざかった。
青い花畑から色が抜け、視界が白く塗り潰される。
◇ ◇ ◇
蛍光灯の白い光。
一定の間隔で鳴る、低い電子音。
その下に、病院のベッドがあった。
薄い病院着を着た男が、仰向けに横たわっている。
腕には管がつながっていた。
頬は痩せ、口はわずかに開いたままや。
布団の外へ出た右手は、手首の骨が浮いている。
指は力なく曲がり、一本も動かへん。
胸だけが、かすかに上下していた。
生きてる。せやけど、眠っているだけには見えへん。
見覚えがないほど痩せた顔やった。
それでも、その男を見た瞬間、なぜか分かった。
「……俺や」
声にした途端、喉の奥が塞がった。
ハナから、聞いていた。
意識は戻っていない。指一本、自分では動かせない。
知っているつもりやった。
何も知らんかった。
SEEDでは走れた。
跳べた。笑えた。棍棒を振って、魔物まで倒せた。
せやから、どこかで簡単に考えとった。
誰よりも動けばええ。最強になれば、いつか治る。
簡単なわけ、ないやろ。
目の前の俺は、目を開けることさえできてへん。
この身体へ戻っても、声が出ないかもしれない。
二度と、自分の足では立てないかもしれない。
その先を考えた途端、息が吸えなくなった。
目を逸らしたくても、痩せた右手が視界から離れへん。
――ここにいるのも、ダイキ。
この世界へ来たばかりの俺に、ハナはそう言った。
病院の俺を見たあとでも、迷わず言い切った。
せやのに。
俺が先に、この身体を俺やないことにしてどうすんねん。
最強になるとか、そんなんはまだ先でええ。
まず、あの指を一本動かしたい。
目を開けたい。
自分の声で、ハナの名前を呼びたい。
自分の足で立って、あいつの隣を歩きたい。
病院のベッドに、俺を置き去りにしたくない。
「絶対に、取り戻す」
動かへん身体へ、まっすぐ手を伸ばした。
「それは、俺の身体や」
白い病室に、見慣れない文字が浮かんだ。
《神経同期率 急上昇》
《現実身体への運動指令を検出》
《運動経路の再構成を開始》
ベッドの上の指は、まだ動かない。
それでも俺は、伸ばした手を引かなかった。
◇ ◇ ◇
耳元で、金属が激しく軋んだ。
青い花畑と、ガーゴイルの赤い目が一気に戻ってくる。
左の爪が、棍棒を胸へ押し込んでいた。
現実の指は動かへん。なら、まずこっちで命令を通す。
「右手で押さえる。左足を引く。腰を回す」
俺は一つずつ、身体へ言い聞かせた。
右手の指が、棍棒を握り直す。
左足が半歩下がり、腰が遅れて回った。
爪の力を、棍棒の横へ流せる。
押し返すんやない。受け流すんや。
《右上肢・左下肢・体幹への同時運動指令を確認》
《神経同期率 規定上限を超過》
爪が外れた。
俺は倒れかけた身体を、右足で踏みとどめる。
《運動経路の再構成に成功》
《ユニークスキル生成》
《ユニークスキル獲得》
《可塑覚醒》
《可塑覚醒により、基礎スキル上限を突破しました》
身体が急に強くなったわけやない。
さっき失敗した動きだけが、今度ははっきり分かる。
握る位置。
足を置く幅。
爪を流す角度。
「ダイキ、左から来る!」
「分かっとる!」
左の爪が胸へ迫る。
半歩だけ内側へ入り、棍棒の柄で外へ流した。
一度目より軽い。
ずれた足を直し、そのまま懐へ踏み込む。
「打撃!」
胸の亀裂へ、棍棒がめり込んだ。
ガーゴイルが左腕を引く。
俺も一歩下がり、爪の先から逃れる。
「次も爪、下から!」
ハナの声に合わせ、棍棒を斜めに差し込む。
受けて、流す。
空いた脇腹へ打ち返す。
最初は爪を正面から受けて、両腕がしびれた。
今は棍棒を斜めに当て、爪の力を横へ逃がせている。
右足が滑ったら、次の踏み込みでは歩幅を狭める。
爪を受けるたび、踏み込むたび、身体の動かし方を一つずつ直していく。
ガーゴイルの左膝が沈んだ。
胸の亀裂が、首の付け根まで広がっている。
「ダイキ、そこ!」
ハナが、胸の亀裂を指した。
ガーゴイルも気づき、左腕で胸を隠そうとする。
俺は正面から行くふりをして、右へ踏み込んだ。
爪が俺を追う。
一歩目で沈みすぎた膝を、二歩目で直す。
爪の内側へ潜り込んだ。
もう、胸を守る腕は間に合わへん。
「――打ち下ろし!」
両手の棍棒を、亀裂の一番深い場所へ振り下ろした。
石の巨体が、胸から縦に割れる。
赤い光が一度揺れ、そのまま消えた。
ガーゴイルの残骸が、青い花畑へ崩れ落ちる。
俺は棍棒を地面へ突き、どうにか倒れずに立っていた。
「……倒した?」
ハナの掠れた声が聞こえる。
「二人でな」
振り返ると、ハナがその場へ座り込んだ。
「もう水球、ほんとに一個も出せないからね」
「十分や。大爆炎と落下で、二回も命を助けられた」
「背中に撃ったのは?」
「あれは助けたんやなくて、寿命を削った方や」
「でも、あれがないと届かなかったでしょ」
「……ほな、手柄と痛みで相殺やな」
「何その数え方」
ハナが笑い、すぐに肩で息をした。
視界の端に、戦闘結果が流れ込んでくる。
《レベルアップ Lv15→20》
《スキル取得:炎耐性 Lv3》
《スキルレベルアップ 水耐性 Lv1→5》
《スキルレベルアップ ダッシュ Lv12→14》
《スキルレベルアップ 跳躍 Lv7→9》
《スキルレベルアップ 姿勢制御 Lv2→5》
その向こうで、花を踏む足音がした。
誰かが、青い花畑をこちらへ歩いてくる。
俺は荒い息のまま、ゆっくり顔を上げた。
___
ダイキ
職業 なし
レベル 15→20
スキル
打撃 Lv20→53、打ち下ろしLv6→32
ダッシュLv12→14、ステップLv10、跳躍Lv7→9
回避Lv7、姿勢制御Lv2→5、予測Lv6
毒耐性Lv3、覚悟Lv2、水耐性Lv1→5、炎耐性Lv3
ユニークスキル
可塑覚醒
ハナ
職業 なし
レベル 6→9
スキル
ウォーターボールLv8→12、ヒールLv4→6、プロテクションLv2→3
ダッシュLv1→2
共感感知Lv2→3
炎耐性Lv1
魔力操作Lv1、多重展開Lv1




