4.青い花の噂
森の空気が、ようやく少し落ち着いた。
倒れたガレスたちをその場に残し、俺たちは再び廃墟都市へ向けて歩き出す。
足元の土を踏む音だけが、静かに続いていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
さっき聞いた話が、まだ頭の中で引っかかっている。
長く一緒に動いてる連中ですら、
ユリウスが何をしてる男か知らへん。
……気持ち悪い。
「なぁ」
俺が前を向いたまま口を開く。
「結局、なんであいつは青い花を狙っとるんやと思う?」
隣のハナも小さく首をかしげる。
「確かに……理由は分からないままだよね」
少し前を歩いていたリゼルが、わずかに歩調を緩めた。
周囲を一度だけ確かめるように視線を巡らせる。
それから、声を落とした。
「……ここだけの話で、秘密にしていただきたいのですが」
思わずハナと顔を見合わせる。
リゼルはそのまま続けた。
「今回の調査依頼とは別に、伯爵様ご自身も青い花そのものを求めておられます」
一瞬、言葉が止まる。
……伯爵も?
リゼルは静かにうなずく。
「青い花には、古くから特別な薬効の噂がございます」
一拍。
「秘薬」
「延命」
「不老長寿」
森の空気が少し冷たく感じた。
「貴族社会では、その手の噂に価値を見出す者は少なくありません」
そのまま、静かに続ける。
「おそらくユリウスは、その動きを探っていたのでしょう」
「伯爵様が花を確保する前に、場所を押さえる」
「あるいは、先に奪う」
「その意図であれば、今回の尾行にも説明がつきます」
「あくまで可能性の一つですが」
……なるほど。
確かに、それなら筋は通る。
ハナも少し納得したようにうなずく。
「伯爵家の動きを見て、先回りしようとしてたんだ」
「はい」
リゼルは静かに答える。
「少なくとも、現時点ではそれが最も自然です」
俺は小さく息を吐く。
一旦は、納得できる。
せやけど。
胸のどこかで、まだ少しだけ引っかかりが残っていた。
森の木々が少しずつまばらになってきた。
枝葉の隙間から、遠く灰色の影が見える。
……廃墟都市や。
まだ少し距離はある。
せやけど、もう目の前と言ってええ。
「ここで一度、休憩を入れましょう」
リゼルが足を止めた。
近くの大きな根元に、腰を下ろせそうな岩がある。
「見張りは私が行います」
リゼルが周囲へ視線を巡らせる。
「お二人は体力の回復を優先してください」
そう言って、少し離れた木陰へ移動する。
ついさっきまで冷たい刃を向けていたのに、
こういうところはやっぱりよう気が回る。
ハナが岩に腰を下ろし、小さく息を吐いた。
「……さっきの、すごかったね」
「リゼルさんの?」
俺が聞く。
ハナがこくりとうなずく。
「うん」
「全部見えてるみたいだった」
少し考えるように目を細める。
「……なんだか、綺麗だった」
その一言に、思わず少し笑ってしまう。
「綺麗、か」
確かに、あの金色の瞳と、迷いなく飛ぶ指示は、
戦ってる最中やのに妙に整って見えた。
「ほんまにな」
「あれは俺もびっくりしたわ」
一拍。
そのまま、少し笑ってハナを見る。
「でも、ハナもすごかったで」
「え?」
少し目を丸くする。
「追尾や」
「正直、あれ決まった時、勝ったと思った」
ハナが少し照れたように笑う。
「……ほんと?」
「ほんまや」
俺は素直にうなずく。
少し間を置いて、ハナがそっと手を前に出す。
小さな水球が、ふわりと浮かぶ。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
木漏れ日の中で、小さな青い星みたいに揺れていた。
「……さっき戦ってる時に気づいたんだけど」
「前より、こういうのもできるようになってた」
右の水球がぽんと少し大きく膨らむ。
「大きさも変えられるし」
真ん中の水球がすっと前へ滑る。
「速さも、ちょっとなら調整できる」
思わず目を見開く。
「……え、すご」
思わず声が漏れた。
水球が木漏れ日の中で、静かに揺れている。
「ハナ、それかなりすごいで」
俺は水球を見ながら言う。
「複数同時に維持して、しかも大きさも速さも変えられるんやろ」
少し笑う。
「かなり上位の制御やと思う」
ハナの表情がぱっと明るくなる。
「……えへへ」
その笑顔を見て、こっちまで少し肩の力が抜けた。
ええことや。
そのまま、俺はそっと意識を内側へ向ける。
「……ステータス」
視界に文字が浮かぶ。
――打撃 Lv20
その下に続く。
――基礎スキル上限到達
小さく息を吐く。
……来るべき時が来た、か。
分かってはいた。
基礎スキルの上限は20。
せやけど。
実際に目の前へ突きつけられると、
胸の奥が少し重くなる。
この先、もっと強い相手が出てきたら。
その不安が、静かに胸へ沈む。
……せやけど。
逆に言えば、ここから先は
“次の段階”へ進まなあかんということや。
しばらく、森には静かな時間が流れていた。
ハナがふと小さく笑った。
「ねぇ、さっきの追尾」
「現実でもあんなふうにできたら面白いのにね」
思わず苦笑いが漏れる。
「それは無茶やろ」
俺は肩をすくめる。
「現実で水飛ばせるとしたら、せいぜい水鉄砲や」
少し笑ってから、ふっと息を吐く。
「……まあ、今の俺はそれすら無理やけどな」
ハナの表情が、少しだけ揺れる。
「……うん」
俺は視線を少し落とす。
「現実じゃ、まだ指ひとつ思うように動かへんし」
少しだけ沈黙が落ちる。
その時。
少し離れた場所で見張りをしていたリゼルが、こちらへ歩み寄ってきた。
「周囲に異常はございません」
そう言って、少しだけ距離を詰める。
ちょうど、そのタイミングで。
ハナがふとリゼルを見る。
「……リゼルさんって、プレイヤーなの?」
素朴な声やった。
リゼルは一瞬だけ目を瞬かせる。
それから、静かに答える。
「いいえ」
「私は循環魂です」
その言葉に、ハナが少し首をかしげる。
リゼルは続けた。
「死ねば、記憶も力もすべて失い」
「別の存在として、この世界に生まれ変わります」
森の空気が少し静まる。
やっぱり、この世界の死は軽くない。
リゼルの視線が、そのまま俺たちへ向く。
「お二人は、帰還魂なのですね」
「死んでもすぐに戻ってくる」
その言葉に、俺とハナは自然と顔を見合わせた。
俺は小さく息を吐く。
「……まあ、そんな感じや」
はっきりとうなずく。
「死んでも、また戻ってくる」
ハナも小さくうなずいた。
「うん」
リゼルは静かにうなずいた。
その反応は、驚きよりも納得に近かった。
休憩を終え、俺たちは再び歩き出した。
森の木々はさらに薄くなり、遠くの廃墟都市がはっきり見えてくる。
崩れた塔。
灰色の石壁。
静まり返った街。
もう、すぐそこや。
足元の土を踏みしめながら進んでいた、その時や。
ハナの足が、ぴたりと止まった。
「……待って」
その声に、俺もリゼルも足を止める。
「どうした」
俺が低く聞く。
ハナは少し目を閉じるように意識を集中させる。
「……いる」
一拍。
「強いのが、ひとつ」
胸の奥が、わずかにざわつく。
敵。
そう言い切るには、まだ何も分からへん。
せやけど、さっきの雑魚連中とは明らかに違う。
そんな空気だけは伝わってきた。
リゼルも静かに表情を引き締める。
「……廃墟の中、ですか?」
ハナがゆっくりうなずく。
「うん」
「中にいる」
「かなり強い」
森の空気が、少しだけ冷たく感じた。
俺は棍棒を握り直す。
廃墟は、もう目の前や。
せやけど。
ここから先は、
もう“調査”やない。
何かが、俺たちを待ってる。
そんな予感がした。




