1.再び廃墟へ
朝の空気は、思ったより冷たかった。
東門の石畳にはまだ薄く朝露が残っていて、踏みしめるたびに靴裏へ静かな感触が返ってくる。
門の前まで来たところで、俺もハナも同時に足を止めた。
「……え?」
ハナが小さく声を漏らす。
そこに止まっていたのは、一台の魔導車やった。
黒い車体の側面には、銀の紋章。
ヴァルムント伯爵家の家紋。
昨日、伯爵家へ向かうときに乗ったものと同じや。
思わず口から出る。
「……これで行くん?」
隣でハナも目を丸くしていた。
「調査にも使えるんだ……」
正直、徒歩で行くもんやと思ってた。
その横で、銀の髪が朝日に揺れた。
リゼルや。
こちらに気づくと、静かに一礼する。
「おはようございます」
「おはよう」
ハナも少し慌てて頭を下げる。
「おはようございます」
俺はもう一度、車へ視線を戻す。
「これ……伯爵家のやろ?」
「はい」
リゼルは落ち着いたまま答えた。
一拍。
「本来、調査用に外部の方へお貸しすることはほとんどございません」
「……やっぱそうやんな」
そこで、ほんの少しだけ柔らかく続ける。
「移動で体力を消耗していただきたくありませんでしたので、私の判断で、手配いたしました」
一瞬、言葉が止まる。
……ああ、そういうことか。
ただ伯爵家の権力を見せるためやない。
俺らの負担を減らすために、リゼルさんが動いてくれたんや。
隣でハナも少し驚いた顔をしていた。
「……ありがとうございます」
リゼルは静かに首を振る。
「同行する以上、お二人の安全と消耗管理も私の役目です」
思わず少し口元が上がる。
「よう出来た侍女さんやな」
「恐縮です」
この一言で、胸の中の警戒が少しだけほどけた気がした。
全部を信用したわけやない。
でも少なくとも、
俺らを便利に使うだけの相手やないかもしれへん。
リゼルは続ける。
「森の外縁までは、こちらで向かいます」
「そこから廃墟までは徒歩で五、六時間ほどを見込んでおります」
リゼルが地図を指先でなぞる。
「到着は昼過ぎを見込んでおります」
「その後、調査を行えば帰路は夜になりますので」
「本日は廃墟周辺にて一泊し、明朝の帰還を前提に準備しております」
……せやろな。
調査して、そのまま夜の森を戻るんはさすがに危険や。
「ほな、今日は野宿確定やな」
思わずそう言うと、ハナが少しだけ表情を引き締める。
「……夜の森は、できれば避けたいね」
門番が重い門を開く。
東の空から差し込む朝日が、街道をまっすぐ照らしていた。
目の前には、なだらかな丘。
その向こう、遠くに森の影が広がっている。
さらに右手前方、はるか遠くには火山の稜線が朝焼けの中にぼんやり浮かんでいた。
あの森の先に、またあの廃墟がある。
俺は魔導車へ乗り込みながら、小さく息を吐く。
(……今日で、少しでも核心を掴んだる)
青い花。
カイルとミーナ。
そして、俺たちが最初に立っていた場所。
今度こそ、全部、確かめに行く。
隣でハナも座席に腰を下ろした。
少し緊張してる顔やけど、目は前を向いている。
「いよいよやな」
俺が言うと、ハナが小さくうなずいた。
「うん」
少し間を置いて、ハナが続ける。
「……でも、ちょっと楽しみかも」
「せやろ?」
思わず口元が上がる。
「ここまで謎だらけやと、逆に答え知りたなるわ」
ハナもふっと笑う。
リゼルが扉を閉める。
「それでは、出発いたします」
魔導車が静かに動き出した。
車輪の音が石畳を滑り、東門の外へ出る。
丘の向こうへ続く街道を、まっすぐ進んでいく。
その先に広がる森の向こうに、またあの廃墟が待っている。
今度こそ、全部、確かめに行く。
魔導車が静かに揺れる。
石畳を離れ、土の道へ入ると、揺れが少し大きくなった。
窓の外では、丘の斜面を朝日がゆっくり照らしていく。
街並みはもう後ろへ流れ、視界の先には遠く森の影が見えていた。
しばらくは誰も口を開かなかった。
車輪の音と、魔石駆動の低い唸りだけが車内に響いている。
やがて、向かいに座るリゼルが静かに口を開いた。
「本日の調査任務について、改めてご説明いたします」
俺とハナは自然と顔を上げる。
リゼルは膝の上に広げた地図へ視線を落とした。
「あの青い花につきまして、現時点で確認されているのは発生そのもののみです」
一拍。
「ですが、古い文献では、あの花は瘴気濃度の上昇と関連している可能性が高いとされています」
窓の外へ目を向ける。
遠くの森が、朝靄の向こうにぼんやり浮かんでいた。
やっぱり、ただの珍しい花やない。
リゼルは続ける。
「そのため伯爵家としては、魔物増加やスタンピードの前兆が起きていないかを確認する必要があると判断しております」
ハナが小さく身を乗り出す。
「……つまり、まだ起きてるか分からないけど」
「その兆候を見に行くってこと?」
「はい」
リゼルはうなずく。
「加えて、瘴気上昇の原因を特定し、可能であれば現地で対処いたします」
なるほどな。
ただ見に行くだけやない。
原因を突き止めて、止められるなら止める。
思ったより、ちゃんとした調査任務や。
「原因って、やっぱ廃墟都市の中にあるんかな」
思わず口に出る。
リゼルは少しだけ視線を上げた。
「可能性は高いと考えております」
「青い花の発生地点が廃墟都市周辺である以上、内部に何らかの要因があると見るのが自然です」
胸の奥が、わずかに張りつめる。
あの廃墟都市のどこかに、答えが眠っとる。
そう思うと、むしろ足が早うなりそうやった。
「……楽しみやな」
思わず口から漏れる。
ハナがこっちを見る。
「え?」
「いや、こういうのってさ」
少し笑う。
「謎があるなら、答え知りたいやろ」
ハナも少し笑った。
「それは、うん」
リゼルが静かにこちらを見る。
「ダイキ様は、怖くはないのですか」
「怖いで」
即答する。
「でも、放っとくほうが気持ち悪い」
「それに、街に被害出るかもしれんのやろ」
「なら、なおさらや」
リゼルは少しだけ目を細めた。
何かを見定めるような視線やった。
少しだけ車内が静かになる。
でも、さっきまでの緊張とは違う。
何をしに行くのか。
何を確かめるのか。
それが少しずつ形になってきた。
魔導車は静かな振動を残したまま、東の森へ向かって進んでいった。
遠くの木々が、少しずつ大きくなっていく。
魔導車がゆっくりと速度を落とす。
やがて静かに止まった。
扉が開く。
外へ降りた瞬間、空気が変わった。
湿った土の匂い。
草の青い香り。
木々のざわめき。
目の前には、森の入口が広がっていた。
高い木々が並び、その奥は薄暗い緑に沈んでいる。
リゼルが荷物を整える。
「ここから先は徒歩になります」
「いよいよやな」
小さくつぶやきながら、森へ足を踏み入れる。
しばらく歩いた、その時やった。
ハナの足がぴたりと止まる。
「……いる」
声に迷いがない。
俺もすぐに立ち止まる。
「どこや」
「後ろ」
ハナが振り返らずに答える。
「距離はある」
「四人……たぶん、もっと」
すぐには近づいてこない。
一定の距離を保ったまま、ついてきている。
……尾行やな。
「やっぱユリウスか」
思わず低くつぶやく。
「せやけど、なんで森って分かったんや」
ハナが小さく答える。
「ギルドで花の話を聞いてれば、森までは分かるんじゃない?」
「せやな」
短くうなずく。
「でも、方角までは話してへんで」
そこで、ふと頭に引っかかる。
「……あ」
思わず声が漏れる。
「最初に街来た時や」
「門番に、東から来たって言うてもた」
リゼルが小さく目を細める。
「なるほど。門の記録を見られれば十分推測可能です」
ハナはまだ後ろへ意識を向けている。
その様子を見て、リゼルが静かに口を開いた。
「……気配感知魔法ですか?」
ハナが少し首をかしげる。
「うん」
「どんな人がいるかとか、そういうのが分かるの」
ハナが少しだけ眉を寄せる。
「……でも、なんか場所だけじゃない気がする」
「後ろの人、少し焦ってる感じがする」
リゼルの目がわずかに変わる。
「気配だけで、そこまで分かるのですか?」
「え?」
ハナが少し戸惑う。
リゼルは続ける。
「その魔法を、ステータスで確認はしましたか?」
「……してない」
「では、一度ご確認ください」
ハナが小さくつぶやく。
「……ステータス」
一瞬、視線が止まる。
次の瞬間、目を見開いた。
「……あれ?」
「どうした」
俺が聞く。
ハナが驚いたように顔を上げる。
「気配感知じゃない」
「共感感知って書いてある」
一瞬、空気が止まる。
リゼルが小さく息を呑んだ。
「……共感感知」
その言葉を、確かめるように繰り返す。
「私も魔法には詳しいつもりでしたが、聞いたことのない魔法です」
一拍。
「かなり上位の魔法だと思われます」
「少なくとも、通常の感知魔法とは別格です」
「……それってすごいの?」
ハナが目を丸くする。
リゼルは静かにうなずく。
「だとすると、察知だけで終わる魔法ではないかもしれません」
リゼルの視線が鋭くなる。
「感覚の共有や、対象の動きの予測に繋がる可能性もあります」
ハナの表情が少し変わる。
ただ見るだけの魔法やない。
戦い方そのものが変わるかもしれへん。
敵は今のところ襲ってくる気はない。
……つまり、場所を探っとる。
俺は小さく口元を上げる。
「なら、逆に利用したろか」
森の奥で、風がざわりと鳴った。




