8.東門の朝
屋敷を出る頃には、空はすっかり夜の色に沈んでいた。
街灯代わりの魔石灯が、通りを淡く照らしている。
さっきまでの空気を思い出して、小さく息を吐く。
「……なんや、あいつ」
ハナも顔をしかめていた。
「すごく嫌な人だったね」
ほんま、それや。
人の命より金。
呼びつけておいて脅迫。
胸の奥に残るざらつきが消えへん。
その横で、リゼルが静かに口を開く。
「今後の予定についてお伝えいたします」
俺たちは足を止めた。
「必要物資はすべてこちらで手配いたします」
一拍。
「明日はギルドにて正式な緊急依頼をお受けください」
さらに続ける。
「出発は明後日の朝。東門にて集合をお願いいたします」
それだけ言って、確認もなく話を進める。
俺たちの都合を聞く様子はない。
……伯爵の部下やし、そういうもんか。
「……分かった」
そう答えるしかなかった。
翌朝。
ギルドへ入ると、いつもより空気が張っていた。
受付の奥では職員たちが慌ただしく動いている。
いつもの受付嬢が、俺たちを見るなりすぐに背筋を伸ばした。
淡い水色の制服。
きっちりまとめられた髪。
昨日までと同じはずなのに、今日はその表情に硬さがあった。
「ダイキ様、ハナ様」
……様?
昨日までそんな呼び方やなかったやろ。
違和感を覚えながらカウンターへ向かう。
受付嬢が一枚の書類を差し出す。
「緊急調査依頼です」
そこには大きく書かれていた。
【緊急調査依頼:東方森林外縁部異常調査】
やっぱり来たか。
報酬欄を見て、思わず目が止まる。
「……五百万?」
思わず声が漏れる。
ハナも小さく目を見開いた。
「また……高いね」
せやけど、伯爵家直轄の緊急依頼や。
この額自体は不自然やない。
問題は。
昨日の話が、そのまま一晩でギルド全体に通っていることやった。
やっぱり、この街での伯爵家の力は大きい。
受付嬢が書類を差し出したまま、少しだけ視線を落とす。
「……どうか、お願いいたします」
声が、少しだけ震えていた。
「最近、街の外れで魔物の数が増えております」
一拍。
「このままでは、街まで被害が及ぶかもしれません」
顔を上げる。
そこにあったのは、これまでの冷たさやなく、純粋な不安やった。
……この人も、この街を守りたいだけなんや。
宿に戻った夜。
荷物を確認しながら、ハナがぽつりとつぶやく。
「リゼルさん……」
少し間を置く。
「伯爵様と同じで、私たちのこと、ただの便利な人って思ってるのかな」
その言葉に、手が止まる。
ハナの声は小さい。
でも、ずっと胸の中に引っかかってた不安を、そのまま言葉にしたみたいやった。
……分からん。
伯爵の命令を自然に受け入れていたのは事実や。
せやけど、あの人自身がそう思ってるとは、まだ言い切れへん。
短く息を吐く。
「……正直、今はまだ何も決めつけられへん」
そう言うと、ハナが小さくうなずいた。
そのまま少し黙る。
でも、頭の中から離れへんことは別にある。
「それより、や」
荷物をまとめながら続ける。
「伯爵の狙いは、もう分かりやすい」
「スタンピードを防ぎたい」
「街が荒れるのを防ぎたい」
理由は気に食わん。
でも、目的自体ははっきりしてる。
問題は、その前や。
「最初の依頼主は、たぶん別やな」
ハナが顔を上げる。
「やっぱり?」
「領主側が欲しかったんが花の場所やったなら、最初から花の採取と場所の報告を報酬にするはずや」
短く息を吐く。
「せやのに、出たんは花採取やった」
その違いが、ずっと引っかかっている。
「……つまり」
「依頼主は、花そのものが欲しかった」
ハナが少し考え込む。
「じゃあ……ユリウス?」
その名前に、少しだけ考えが止まる。
……いや。
首を横に振る。
「それも違う気がする」
ハナが顔を上げる。
「ユリウスが依頼主やったら、最初の納品で花はもう手に入っとるはずや」
一拍。
「せやのに、今もあいつは花を欲しがっとる」
つまり。
ユリウスもまた、別の立場から花を追ってる。
「……じゃあ、まだ他におるってこと?」
「せやな」
依頼主。
ユリウス。
伯爵家。
それぞれ別の理由で、同じ場所を見とる。
短く息を吐く。
「それに、あの廃墟都市や」
一拍。
「なんで、最初から俺らだけあそこやったんやろ」
部屋が少し静かになる。
ハナも考え込む。
「あそこにいた二人も、結局何者か分からないままだし」
せや。
カイルとミーナ。
あいつらも、まだ謎や。
短く息を吐く。
「……いよいよ、土壇場やな」
そう口に出してみると、緊張と苛立ちが少しだけ形になった気がした。
ハナがこちらを見る。
俺は小さく口元を上げる。
「せっかくや。びびって縮こまるより、精一杯楽しもか」
ハナが少し驚いたあと、ふっと笑う。
「うん。それくらいの方が、ダイキらしい」
翌朝。
朝日がまだ屋根の向こうから昇りきらず、東の空だけが淡く白んでいた。
石畳には薄く朝露が残り、踏み出すたびに小さく靴音が響く。
東門へ向かいながら、昨夜のことが頭をよぎる。
ヴァルムント伯爵。
青い花。
ユリウス。
そして、また戻ることになる、あの廃墟都市。
胸の奥に残るざわつきは消えへん。
せやけど、それ以上に。
(……今度こそ、答えに近づける)
あの場所には、まだ何かある。
俺が最初に立っていた理由。
カイルとミーナの正体。
青い花が咲く意味。
全部、あの廃墟都市に繋がっとる気がした。
隣を歩くハナも、少し緊張した顔で前を向いている。
「いよいよやな」
小さくつぶやくと、
ハナも短くうなずいた。
「うん」
東門が見えてくる。
その向こうには、朝焼けに染まる丘と森。
そして、今日から始まる新しい調査。
俺たちは足を止めることなく、門へ向かって歩き続けた。




