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6.昨夜の影

朝の光が、宿の窓から差し込んでいる。

俺は開けられかけた留め具を指で押した。


壊れてはいない。

せやけど、薄い工具を差し込まれただけで外れかけていた。


「内側から固定する金具と、鳴子。あと紐もいるな」


ベッドに座っていたハナが、あくびを噛み殺す。

昨夜は交代で起きていた。

結局、あの二人が逃げてからも、朝までまともに眠れなかった。


「私も行く」


「二人で出たら、二輪目の花まで外へ連れ出すことになるで」

ハナの手元には、廃墟で摘んだ青い花が残っている。


一千万ジェニーを提示され、夜には窓を開けられかけた。

持ち歩く方が危ない。


「でも、一人で残るのも危なくない?」


返しかけた言葉を飲み込む。

昨夜、あいつらは窓まで来たんや。気づけるから一人で平気、とは言えへん。


「せやな。下の食堂で待っといて。主人にも頼んでから行く」


「うん。人がいるところなら。花は私が持ってる」

ハナは素材袋を抱え、俺と一緒に階段を下りた。


主人へ道具屋に行く間のことを話すと、帳場から見える席を示してくれた。

朝食を食べている客も、まだ何人かいる。


「すぐ戻る。変な奴が来たら、主人を呼んでな」

ハナがうなずくのを確かめ、俺は棍棒を持って宿を出た。


大通りの道具屋で、真鍮の鈴を二つ買った。

窓を内側から押さえる金具。

扉と窓へ張る細い紐。


店主が布袋へ入れるたび、鈴が澄んだ音を鳴らした。

これなら、次は開けられる前に分かる。


会計を済ませ、店を出る。

朝の通りには、焼きたてのパンの匂いと荷車の音が満ちていた。


宿へ戻ろうとしたところで、聞き覚えのある声がした。

「伯爵家にも、昨日の青い花の話は届いてるんだろ?」


道具屋の脇にある細い通り。

大柄な金髪の男が、銀髪の女性の前へ立っている。


昨夜、宿の窓へ来た男だ。

その斜め後ろでは、もう一人の細身の男が通りへの出口を塞いでいた。


昨夜と服は違う。

せやけど、あの金髪には見覚えがある。


女性は、上質な黒いメイド服を着ていた。

背筋を伸ばしたまま、大柄な男へ答える。

「伯爵家の職務で知り得たことを、外でお話しすることはできません」


「固いこと言うなって。伯爵が何をする気か聞きたいだけだ」


細身の男は喋らない。

けれど、女性が横へ動くたび、同じ方向へ半歩ずれて道を塞いでいた。


俺は布袋を左手へ持ち替え、細い通りへ入った。

「昨夜は、えらい早う帰ったな」


大柄な男が振り返る。

「……てめぇ、ダイキ」


細身の男の視線が、俺の棍棒へ落ちた。

右手を腰の短剣へ近づける。


俺は足を止めたまま言う。

「ユリウスに頼まれて、今度は伯爵家の聞き込みか?」


大柄な男の眉が跳ねた。

「旦那は、お前らが花を隠してるから――」


「ギル」

細身の男の低い声で、ギルの口が止まる。

この声も、昨夜窓越しに聞いたものや。


やっぱり、ユリウスの手の者か。

昨夜のことも、あいつに命じられたんやろう。


俺は肩をすくめる。

「残念やけど、お前らに渡す花はない」


ギルが鼻を鳴らす。


「ほな、代わりに咲いてた場所を教えたる。それでユリウスにも話つけてくれへん?」


「場所なんかいらねえよ。花を出せって言ってんだ」


細身の男の手が、ギルの肩を掴んだ。

「もう喋るな」


「ガレス、こいつが――」


「行くぞ」


細身の男は女性から離れ、ギルを押すように通りの奥へ向かう。

すれ違う直前、俺を一度だけ見た。

「次は、窓越しでは済まない」


「次も窓から来るんやったら、金具増やしとくわ」

布袋の中で、鈴が鳴った。


ギルが振り返りかけたが、細身の男に肩を押され、そのまま人通りへ消えていった。


二人の姿が見えなくなってから、銀髪の女性がこちらを向いた。

整った所作で頭を下げる。

「助けていただき、ありがとうございます」


「別にええよ。俺も、あいつらに聞きたいことがあったし」


女性が顔を上げる。

「ヴァルムント伯爵家に仕えております、リゼルと申します」


伯爵家。

さっき、ギルが情報を聞き出そうとしていた相手や。


「先ほど話にあった青い花は、ダイキ様が見つけられたものでしょうか」


「ギルドから聞いたん?」


「昨日、ギルドから伯爵家へ報告が届いております」

リゼルはそれ以上を説明せず、静かに続けた。

「伯爵家でも、魔物が増える兆候を確認する必要がございます」


「場所を聞きたいん?」


「私の判断で、路上でお尋ねすることではございません」


ユリウスとは違う。

この人は、花より先に伯爵家の立場を出した。


リゼルがもう一度頭を下げる。

「本日の夕刻、伯爵邸へお越しいただけないでしょうか。先ほどのお礼も、改めてさせてください」


「相方に話してからでもええ?」


「もちろんです。夕刻に、お迎えの車を宿へ向かわせます」


「どこの宿かも、報告に?」


「はい」

リゼルは、俺たちが泊まっている宿の場所を口にした。

ユリウスといい、伯爵家といい、この街で情報を隠すのは難しそうや。


「……分かった。ハナに話してみる」


リゼルは微笑み、静かに一礼して去っていった。


俺の手には、防犯用品の入った布袋が残った。

鈴だけ買って帰るつもりが、伯爵家からの招待まで増えている。


「どう説明したもんかな」

布袋を担ぎ直し、俺は宿へ戻った。

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