2.現実と決断(ハナ視点)
第2話
私にも、答えられなかった。
病院のベッドには、今も目を覚まさないダイキがいる。
なのに目の前のダイキは、自分の足で立ち、いつもの声で私に問いかけていた。
すべての始まりは、二人で住む部屋を探していた、あの日だった。
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「ここなら、二人でもいけるかな」
私はテーブルに広げた間取り図を覗き込んだ。
少し古いけれど、小さな台所と二つの部屋がある。
駅から遠い分、家賃は今まで見た中で一番安かった。
「今よりは、だいぶええな」
向かいでダイキが笑う。
私たちが育った施設を出る日が近づいていた。
これからは二人で暮らす。
お金も仕事も心配だけれど、こうして部屋を選んでいると、早く引っ越したくなる。
私は間取り図の居間を指した。
「ここに靴下、脱ぎっぱなしにしないでね」
「まだ住んでもないのに怒られてるやん」
ダイキが資料を持ち上げ、図面の向こうから私を見る。
「先に言っとかないと」
私が笑うと、ダイキも笑った。
その手から、資料が滑り落ちた。
「……あ?」
ダイキが自分の右手を見る。
指が動いていなかった。
「どうしたの?」
私が身を乗り出すと、ダイキは左手で右手首を掴んだ。
「いや……なんや、これ」
持ち上げても、右腕は力なく垂れる。
部屋の隅の端末が、赤く発光した。
〈異常生体反応を検知しました〉
「ダイキ?」
椅子を引く音がした。
立ち上がろうとした身体が、大きく傾く。
「危ない!」
支えようと手を伸ばした。
指先が服をかすめ、そのまま空を切る。
ダイキが床へ崩れ落ちた。
「ねえ、ダイキ!」
肩へ触れ、顔を覗き込む。
返事がない。さっきまで、普通に笑っていたのに。
〈緊急通報を開始します〉
端末の声だけが、部屋に響いた。
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気がつけば、私は病院にいた。
白い壁の向こうから、一定の間隔で機械音が聞こえてくる。
目の前のベッドには、薄い病院着を着たダイキが横たわっていた。
腕につながった管を見ていると、女性医師が私の前へ来た。
「命は取り留めています」
息を吐いた途端、膝から力が抜けた。
ベッドの柵へ手をつく。
生きている。まだ、ここにいる。
「ですが、意識はまだ戻っていません」
医師の話は終わっていなかった。
「脳の損傷も大きい状態です。意識が戻ったとしても、重い運動障害や発話障害が残る可能性があります」
「……そんな」
私はダイキの手を握った。
「ダイキ。聞こえる?」
返事はなかった。
少し冷たい指を包み直しても、握り返してくれない。
私は顔を上げ、医師を見た。
「何か、できることはないんですか」
「介入手段は残っています」
医師が壁の画面を操作すると、見覚えのある文字が映った。
《SEED》
ダイキが何度も話していた、フルダイブMMOの名前だった。
「この仮想環境を利用し、神経再構築試験を行います」
「ゲームの中に入るんですか?」
私は画面とベッドを交互に見た。
「はい。仮想環境の中で身体を動かし、運動や感覚に関わる神経の働きを刺激します」
医師はダイキへ目を向けた。
「ゲームの中なら、動けるんですか?」
「その可能性があります。ただし、患者を接続するだけでは足りません」
医師が私を見た。
「患者の意識を仮想世界につなぎ止めるため、強い結びつきを持つ人物の同時接続が必要です」
「つなぎ止める……?」
私は握った手へ目を落とした。
「自分が誰なのか、どこへ戻るのか。それを見失わないための存在です」
医師は、そこで一度言葉を切った。
「同時接続を行う方にも、神経的な負担がかかります」
指が、ダイキの手を握りしめていた。
話を聞かなければ。私は顔を上げる。
「安全が完全に保証された試験ではありません。接続中に何が起きるか、まだ分かっていない部分もあります」
医師は私の目を見て言った。
怖かった。
この手を離して、自分まで知らない場所へ行く。
何が待っているのかも、ちゃんとダイキに会えるのかも分からない。
でも、ダイキ一人を行かせたくなかった。
「やります」
私は医師を見たまま言った。
「私も入ります。だから、お願いします」
医師はしばらく私の顔を見てから、頷いた。
「分かりました。準備に入ります」
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その夜、私はダイキのベッドの横に座っていた。
鞄から、二人で見ていた部屋の資料を取り出す。
床で踏んでしまったのか、端が少し折れていた。
居間を指して、靴下を片づけてと言った。
その先の話は、まだ何も決めていない。
私は折れた角を伸ばし、資料を鞄へ戻した。
「ねえ」
ダイキの手を握る。
目を閉じた顔からは、寝息さえ聞き取れなかった。
「私が連れてくから」
少しだけ笑ってみる。
「勝手に決めたけど」
いつもなら、何か言い返してくる。
その声を待ってしまって、続きが喉につかえた。
「文句あるなら」
小さく息を吸う。
「起きて言ってよ」
握った手は、動かなかった。
それでも私は、離さなかった。
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接続が始まると、病院の機械音が遠ざかった。
椅子に座っている感覚も薄れ、視界が暗くなる。
次に聞こえたのは、何かが砕ける音だった。
足の裏へ、硬い地面の感触が返ってくる。
目を開けると、砂埃の向こうに崩れた街があった。
倒れた壁と瓦礫の間で、緑色の魔物が棍棒を持ち上げている。
その足元に、誰かが倒れていた。
薄い茶色の服。細い身体。
「ダイキ!!」
走り出した。
けれど、魔物はもうダイキを見下ろしている。
私が辿り着くより先に、棍棒が振り下ろされる。
「ダイキ!!」
もう一度、名前を叫んだ。
ダイキの顔が上がった。
自分で地面を蹴り、棍棒の下から転がり出る。
私の足が、一瞬止まった。
病院のベッドでは、ぴくりとも動かなかったダイキが。




