3.花の正体(ハナ視点)
薬瓶と花の紋章が揺れている。
小さな看板の下で、私は少しだけ足を止めた。
さっきまでのわくわくした気持ちが、少しだけ静まっていく。
この店に入れば、昨日の花のことが何か分かるかもしれない。
そんな期待と、少しの不安が胸の中で混ざっていた。
ダイキが扉に手をかける。
「行こか」
「うん」
扉を押す。
乾いた鈴の音が、小さく鳴った。
店の中は静かだった。
棚いっぱいに薬瓶が並んでいる。
乾燥した薬草。
粉末。
小さな鉱石。
見たことのない液体。
空気に少し苦い匂いが混じっていた。
奥から、年配の店主さんが顔を上げる。
白髪混じりの髪を後ろで束ねた、痩せた老人だった。
丸い眼鏡の奥の目は細いが、棚に並ぶ薬瓶の位置まで全部覚えていそうな鋭さがある。
「いらっしゃい」
ダイキがすぐに本題へ入る。
「昨日、こういう花を見つけたんやけど」
青い花を一輪、カウンターに置く。
店主さんの目が、一瞬だけ細くなる。
空気が変わった。
「……これは」
少し沈黙。
「どこで見つけたんですか?」
私は思わずダイキを見る。
昨日と同じだ。
みんな、場所を聞きたがる。
ダイキが軽く笑う。
「それ、みんな聞くな」
店主さんは答えない。
代わりに花を手に取った。
「青霧花……に近いですね」
「近い?」
私が思わず聞く。
店主さんがうなずく。
「古い文献では青光花や瘴青花と呼ばれることもあります」
名前だけで、少し背筋が冷える。
「高濃度の瘴気が滞留する土地で、ごく稀に咲く花です」
ダイキの表情が変わる。
「瘴気?」
店主さんが棚から古い本を取り出す。
開かれたページには、青い花の絵が描かれていた。
「この花は薬にも毒にもなります。精神を落ち着かせる薬の材料にもなりますし、逆に幻覚誘導剤の材料にも使われます」
思わず息を呑む。
「……幻覚?」
店主さんが静かにうなずく。
「視覚誘導、聴覚撹乱、軽度の記憶混濁。使い方次第では精神にも干渉できます」
喉の奥が、少しだけ渇く。
さっきまで薬草の匂いだったはずなのに、急に店の空気が苦く感じた。
その瞬間、昨日の廃墟都市が頭をよぎる。
静かすぎる空気。
誰もいないのに見られている感覚。
遠くで聞こえた声。
(……もしかして)
あれも、この花の影響だったのだろうか。
あの場所に足を踏み入れた瞬間から、何かがおかしかった。
ダイキが低く聞く。
「精神にも干渉できるんか」
店主さんは本を閉じ、こちらを見る。
「可能です。ただし、本来もっと重要なのは別です」
一拍置いて、少しだけ声を落とした。
「……これは、あまり知られていない話ですが」
思わず背筋が伸びる。
店主さんは古い本の表紙を指でなぞる。
「そもそも、この花そのものがほとんど見つかりません」
「発見例が少なすぎて、一般にはほとんど知られていないんです」
私は思わず花を見る。
そんなに珍しいものだったんだ。
店主さんは続ける。
「一部の錬金術師や古い文献にしか記録が残っていません」
「その限られた記録の中で、この花が咲く土地は、瘴気濃度の異常上昇と結びついていました」
「つまり、この花が咲く土地そのものが危険信号になり得るんです」
ダイキがすぐに言葉を拾う。
「……スタンピード」
ハナが小首を傾げる。
「スタンピード?」
「ダンジョンから魔物が溢れて街を襲うことや」
店主さんはゆっくり首を横に振った。
「そこまでではありません。ですが、その前兆には十分なり得ます」
空気が少し重くなる。
「昔、この街の東の森でも似たことがありました」
思わず顔を上げる。
「青い花が数輪見つかった数日後、小型魔物が異常に増えました」
「最初は雑魚ばかりでしたが、数が増え続け、最終的には街道まで降りてきて商隊がいくつも襲われました」
ぞくり、と背中が冷えた。
昨日見たあの廃墟都市が、ただの気味悪い場所じゃなく、本当に危険の入口なんだと初めて実感した。
店主さんは静かに続けた。
「花は警告です。土地が荒れ始めている合図でもあります」
頭の中で、昨日の話が繋がっていく。
高額報酬。
場所の詮索。
襲撃。
みんなが花そのものより、場所を知りたがっていた理由。
思わず口に出る。
「だから……みんな場所を知りたがってたんだ」
店主さんがこちらを見る。
「花は結果です。本当に価値があるのは、その土地の情報です」
昨日の違和感が、一気に輪郭を持つ。
でも、その時。
ふと、昨日のクエストが頭をよぎった。
思わず立ち止まる。
「……でも」
ダイキがこちらを見る。
「どうした?」
少し迷ってから口を開く。
「もし危ない場所を探してたなら、なんで花を採る依頼だったんだろ」
空気が少し止まる。
場所の調査じゃなくて、花の採取。
昨日はそこまで考えていなかった。
でも今なら分かる。
少し変だ。
ダイキの目が細くなる。
「……せやな。普通なら、場所の情報に金出すはずや」
昨日の違和感が、また一つ増えた。
誰かが本当に欲しかったのは、
花そのものなのか。
それとも、
花が咲いている“あの土地”の情報なのか。
……あるいは、その両方なのか。
ダイキが低くつぶやく。
「……やっぱり、あの依頼主も気になるな」
店を出る。
さっきまでより、街の景色が少し違って見える。
人が歩いている。
荷車が通る。
いつもの街なのに。
この下に、見えない不安が流れている気がした。
ダイキが前を向く。
「これ、ギルドに話した方がええな」
私はすぐにうなずく。
「うん」
ただの情報収集じゃない。
これはもう、放っておけない話だ。
それに、依頼主のことも少し気になる。
二人で、そのままギルドへ向かって歩き出した。
人が歩いている。
荷車が通る。
笑い声も聞こえる。
いつもの街。
なのに。
さっきまで安全だと思っていたこの街が、
急に薄い氷の上に乗っているみたいに感じた。
青い花は、ただの珍しい素材じゃない。
――警告。
その言葉が、頭から離れなかった。




