8.青く灯る花
視界から消えた男が、次の瞬間にはハナの前にいた。
低く構えたナイフが、喉元へ伸びる。
「ハナ!」
俺は二人の間へ踏み込み、棍棒の柄を刃の下から叩き上げた。
甲高い音が鳴る。
ナイフの先がハナの頬を外れ、青い花を一輪だけ散らした。
「やっぱり入ってくるか」
男は驚かなかった。
俺が止めると分かっていたみたいに、すぐ手首を返す。
二撃目は俺の脇腹。
棍棒を縦にして受ける。
三撃目が肩へ上がった。
上体を引いたが、避け切れへん。
病院服の袖が裂け、腕へ熱い線が走った。
「プロテクション!」
ハナの声が背後で響き、両腕を冷たい膜が包む。
速い。
俺が棍棒を戻す前に、次の刃が来る。
男は俺の右を抜け、ハナへ近づこうとする。
一歩ずれて塞ぐと、今度は自分から三歩下がった。
棍棒を伸ばしても、もう届かへん。
「ギルドで見た時は、ただの棒を持った病人かと思ったんだがな」
頬の傷を歪め、男が笑う。
「あの警報、見てたんか」
俺が聞くと、男はナイフを指の間で回した。
「見てたぜ。認証板が真っ黒になった。あんな登録失敗は初めて見た」
男の視線が、俺の病院服から棍棒へ上がる。
「属性なし。所属国なし。ギルド登録も失敗。つまり、お前には後ろ盾がない」
男が青い花へ目をやった。
「二人ともここで消せば、この場所を知っているのは俺だけになる」
後ろで、ハナの息が止まった。
「私たちはプレイヤーだから、死んでも戻れる」
男の眉が寄る。
「死んでも戻れる?…帰還魂だと言いたいのか」
「そう。だから、こんなことしても意味ないよ」
「帰還魂は、属性を持って現れる」
男がナイフの先を俺へ向けた。
「だが、そいつには属性がない。教会で魂が戻る保証もない。帰還魂ですらない、何者でもない男だ」
「……ダイキ」
背中の病院服を、ハナの指が一度だけ掴んだ。
「『そのはず』って、そういう意味だったの?」
男のナイフは、まだこっちへ向いている。
今、振り返るわけにはいかへん。
「今は、こいつ止める」
背中の指が離れた。
「分かった。あとで、ちゃんと聞くから」
「戻れないかもしれないって分かってて、殺すの?」
ハナが俺の後ろから一歩出た。
「そんなの、絶対にさせない。属性がなくても、ギルドに入れなくても、ダイキはダイキだよ」
男の笑みが薄くなる。
俺は棍棒を構えたまま、少しだけ口元を上げた。
「それ、最初にも言うてくれたな」
「何度でも言うよ」
ハナの声は震えてへんかった。
男が舌打ちし、さらに三歩下がる。
「なら、二人まとめて黙らせる。花の場所を知るのは、俺一人で十分だ」
左手が、俺たちへ向いた。
「水の力よ――ウォーターボール!」
空気が冷える。
頭ほどの水球が、まっすぐハナへ飛んだ。
俺は正面へ棍棒を振る。
水球が棍棒へぶつかり、胸元で弾けた。
冷たい水に押され、右足が半歩滑る。
腕を包んでいた薄い膜も、飛沫に混じって散った。
飛沫で視界が白くなる。
その中から、男が飛び込んできた。
右手のナイフが、俺の脇腹へ伸びる。
棍棒を縦にして受けた。
押し返そうとした時には、男はもう三歩先へ逃げている。
「流れ集まれ、水の力――」
後ろで、ハナも唱え始める。
せやけど、長い。男はハナが唱え終わるのを待ってくれへん。
「水の力よ――ウォーターボール!」
男の二発目が、先に飛んできた。
左へ踏み込み、今度は棍棒の側面で受ける。
水が弾け、両腕が後ろへ押し戻された。
「ダイキ!」
「まだ大丈夫や!」
腕は動く。
けど、このまま水球を受け続ければ、男へ近づくこともできへん。
離れれば水球。
無理に近づけばナイフ。
しかも、あいつが狙ってるんは俺だけやない。
俺が一度でも外せば、後ろのハナへ届く。
「ハナ」
「うん」
「その長い詠唱では、あいつの水球に間に合わへん」
「でも、失敗したら次のが来るよ。ちゃんと唱えないと……」
ハナの声が詰まった。
「今朝も、技の名前だけで出せてた。水を作るところは、もう分かってるやろ」
ハナの目が、わずかに開く。
「……分かる。さっきから、手には集まってる」
ハナが指を開く。掌の上に、水が丸く盛り上がった。
「それを出して。俺が前におる」
男が左手を上げる。
「水の力よ――ウォーターボール!」
今度は俺の胸を狙っている。
俺は棍棒を上げず、その場に踏ん張った。
「ハナ、頼む!」
「ウォーターボール!」
ハナの水球が俺の横を抜ける。
二つの水球が胸の前でぶつかり、白い飛沫になって弾ける。
「は?」
男の声が裏返った。
俺は飛沫の右を抜ける。
男がナイフを上げた。
刃を避けるため、左へ半歩ずれる。
今度は止まらない。
左へ避けた足で、そのまま前へ蹴った。
避ける動きが、途切れずダッシュへ変わる。
男の目が見開かれた。
棍棒を振り下ろす。
届く。
そう思った先で、男が身体を後ろへ投げた。
棍棒の先が胸元の外套だけを叩く。
布が裂けたが、身体までは入らへん。
あと半歩。
男は青い花の外まで下がり、裂けた外套を見下ろした。
笑みが消えている。
後ろで、ハナが自分の両手を見ていた。
「出た……短くしても、ちゃんと出た」
その声を聞き、俺は男から目を離さずに返す。
「次も、その速さで頼む」
ハナが顔を上げる。
俺も棍棒を握り直した。
「これなら、届くで」
「調子に乗るな……!」
男がナイフを腰へ戻し、両手を前へ重ねた。
さっきまでより長い詠唱が始まる。
「流れ集まれ、水の力――」
両手の間へ、今までの倍以上ある水が集まっていく。
青い花が、水の重みに押されるように一斉に伏せた。
「次で、二人まとめて潰す!」




