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185.表裏の言霊5



『おじいちゃまの通夜は暑かった。

 栄美子は会場の外門で人を待っていた。夜になっても気温は下がらず、背後は熱気と人波でむせ返るほどの騒がしさだった。

 幼い息子は日常的に眠りが浅い。突然泣き叫んだり体中に痣を作って苦しんだりと、見ているこちらの心臓が止まりそうになることもある。この通夜も本人はむずかって来たがらなかったが、栄美子が強く言い聞かせて連れて来た。夕方からこの時間まで、母史子の助けもあってなんとか乗り切ったが、息子はやはり相当疲れたらしい。汗で滑る栄美子の手をかろうじて握ったまま、ごく浅い居眠りを始めた』


 記憶が記憶を連れてくる。


『立ってうとうとする息子の指を握り直し、栄美子はじっと駐車場の暗がりを見つめた。確かにその時は、眼前の闇の中に従姉妹を探していただけだった。

 初対面となる従姉妹に会うのが楽しみで嬉しくて、ただその姿が見たかった。親戚連中には彼女にいい顔をしない者も多いから、自分が助けようと強く誓っていた。きっと緊張しているだろう彼女を解し、手助けをしたかった。本当にそれだけだったはずだ。

 だが、その想像した通りの、凛とした姿が現れた瞬間……暗闇から輪郭が浮かび上がり、外灯の熱に照らされて発光した全身が見えた瞬間、


 ああ、この人だ。


 栄美子はそう思った。だからすかさず声をかけた。



「沙貴ちゃん。沙貴ちゃんでしょう」

 この人だ。彼女だ。


 この人に決めた。


「あなたのこと、色々話して。わたしも話すわ」

 なぜ話す。息子のことを、なぜ話す。話したらきっと彼女は、

 

 逃げられなくなるわ。

 優しいもの。

 彼女なら、きっと盾になってくれる。


 盾になってくれるわ』




 辛くても怖くても、壊れることになっても、人生が変わることになっても、きっと盾になってくれるわ。

 そう思った通り、彼女は盾になってくれた。


 息子は生きた。生き残った。


 だってわたしが「そう思った」のだもの。わたしが「そう導く」のだもの。そうなるのも当然だわ。



 だってわたしが、わたしが!そうやって、操ったのだもの!

 

 …………操ったのだもの!!




「功成ともどもこれからもよろしくね」

「病院より先かと思って沙貴ちゃんを呼んだの」

「コウちゃん。今の騒ぎでも、出て来ていないわ」

「コウちゃんの部屋には鍵をつけてないのよ」

「沙貴ちゃん」

「沙貴ちゃん」

「沙貴ちゃん」


 何度も何度も彼女に語り掛ける。何度も何度も。

 口先から飛び出る言葉に力を込めて、視線は相手を通り越してこれから進む未来の先見。

 息子のことしか考えていないわたしは盾の人を犠牲にしたのだ。


 わたしは操る、操る操る。糸を繰るように言葉に力を、ぎらぎらと光る目は隠し、勘づかれないよう常に笑顔で、何度も話し掛ける。その思考を、その体を、糸でぐるぐる巻きにしてしまおう。思い通りに動くように、操る糸でがんじがらめにしてしまおう。


 さあ動きなさい。

 わたしの思った通りに、動きなさい。動きなさい、さあ。

 さあ。




 …………でもねえ。何か変なの。おかしいのよ。

 たくさんの時間を一緒に過ごして、いろんな話を一緒にして、顔を見合わせて笑ったの。盾の人と。

盾の人と息子はいつも言い合いしたり笑い転げたり話し込んだりしていて、見ているだけでも笑ってしまうの。だからいつも笑っていたの、わたし。糸がバレないように心を隠した笑顔じゃないのよ、気付けば本当に笑っていたの。


 わたしのこと、好きって言ったわ、この盾の人。

 わたしのこと、ぎゅって抱き締めたわ、盾にしたこの人。

 

 

 変なの。


 

 何がなんだか、もうわからないわ。

 どうして



 後悔してるのかしら。わたし。







「鬼がくる。鬼がくるわ」

 呟いたら、ふと剣のことを思い出した。

 失くしたわたしの剣……と思いを馳せて、剣の方は、鞘であるわたしのことを一度でも思ったことはあるのかしら、と初めて考えた。

 わたしの剣はたぶん、強力無比の能力を持っていたのだろう。剣の鞘であるわたしは力のおこぼれを受け取ったが、そのおこぼれの力ですらこの有様だ。剣自身の力はもっともっと、想像もつかないほど強かったに違いない。

 だったら、自分のおこぼれを受け取った鞘……つまりわたしが、こんな風に暴走するって…………


 わかっていたのではないかしら?

 人知を超えたその能力、先見の明で。


 そうして、自分の鞘の暴走に、なんらかの対策を施していてくれないかしら。

 例えば、ずっと昔に。

 例えば、わたしが盾の人に出会う前とか。もっとずっと昔、わたしが幼い頃。


 盾の人も幼かった頃よ、わたしが操る糸がその体に届いていない、糸に巻かれてすらいない、盾の人が小さな小さな子どもだった時代。



 そんな頃に、わたしの犯す罪への防御網を、盾の人に張り巡らせていないかしら。


 わたしの剣よ。





「……そうだったらいいわねえ」

 人任せな自分に笑ってしまう。わたしって、本当に卑怯ねえ。どこまで罪を重ねれば気が済むの、わたし。


 いまはもう、そうやって心の中で考えているだけだ。決して口にはしない。

 幸せな光景を、人々が、身内が、笑顔で語り合う様子を、ずっと遠くから眺めている。わたしはそうやって時を過ごすことにしたのだ。

 その幸せな輪の内側に、わたしは入ることはない。生涯ない。

 そうして、罪を背負ったまま、心の欠片を集めに地獄へと向かう。



「鬼がくる」



 よく見える「目」を封印しましょうね。

 あと、言葉も同じく封印しましょう。


 わたしのこの目、先を見通す目がいけないのだ。とても良いと言われる勘も、いけない。きっとこうだわ、こうなるわ、と考えてしまう頭がいけない。思った通りに相手を動かそうと紡ぐ、口がいけない。操る糸のような言葉が、とてもとてもいけない。


 全部封印しましょうねえ。


 頭は霞がかったようにぼんやりと。目は常に視界を曇らせ、勘なんてものを働かせないように思考は眠らせる。言葉は生涯、ただの音のつながりになり果てる。絶対に力を込めたりなんてしない。記憶も愛も、言葉も思いも、すべてすべて封印しましょう。


 わたしには幸せを感じる気持ちは要らないもの。全部封印するのよ。


 記憶も思考も未来もすべて失くした、泥人形になりましょう。

 罪深いわたしには、お似合いだわ。ふふ。


 

 こうして栄美子は、いつだったか……いつだっただろうか。もう自分でも覚えていない。

 息子に友人ができた頃?娘を任せられそうな人を見つけた頃か。盾の人の命の灯が、もう残り少ないと宣告された時だったかもしれない。


 自分自身で初めて力を「意識して」使う、真に最初で最後の『言葉の力』を発した。

 自分に対して。


 振り絞った力をひとつ残らず舌に乗せて、自分に向かって呟く。


 自分に力を使ったのだ。


「全部封印する。わたしはもう二度と、生の喜びを、幸福を感じない」


 誓約反故の縛りも付け加えた。


 万一、意地汚くも幸せを感じてしまったら、その瞬間、鬼が来る。

 鬼が来て、わたしの血肉も骨のひとかけらまで食い尽くす。


「幸せや喜びを感じたら、鬼がきて瞬時にわたしを食らう。この命は即果てよう」


 

 言葉の力は成った。

 栄美子はそれから少しずつ少しずつ、霧の世界へと沈んで行った。

 言った通りに、泥人形になった。


 何がなんだかわからないわねえ。

 なんだったかしら。


 何もかもわからないわ。


 なにをかんがえていたのかしら、わたし。


 鬼がくる鬼がくる。鬼がくるわ。







自分で自分を操りました。

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