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184.表裏の言霊4




「ばあ!」


「!」


 下から覗き込まれて息が止まる。

 屈んでいた体勢から転びそうになって、とっさに足を踏ん張った。

 きゃははは、と朱色がぴょんぴょん跳ぶ。

「びっくりした?ねえ、びっくりしたあ?」

「やめなよ」

 諫めているようで、青色も肩を揺らしている。澄んだ目の邪気のない悪戯に、栄美子はほっと息を吐いた。


「おにがくるの?おにがくるんだって!」

「おに?おにってこわいのかな」

「パパよりこわい?」

「どうだろう。おじちゃまよりはこわくないんじゃない?」

「ええー。おにはそんなにこわくないってことお?」


「おにってどんなの」


 不意に青色がくるりと振り向き、栄美子を見つめてぶっきらぼうに聞いた。

 縮まった喉が徐々に広がり、それでもうまく言えずにどもってしまう。


「ううんと、ええと、そうね……そ、そんなに怖くないと思うわ」

 とっさのことで動揺したのか、正直に言ってしまった。慌てて付け加える。


「い、いい子には怖くないわ、きっと。悪い子にとっては怖いのかも」


「どんなかんじなのお?」


「ううんと、ええと……きっと、角が額に生えていて……口が裂けていて?牙があるのかしら?」

 答えているのに疑問文になってしまう。しかし双子は満足したのか、なぜか頷き合ってお互いの手を叩いた。


「なあんだ!じゃあいつもいるやつだねえ」

「なんだ。あいつらか。つまんないの」


「……?」


「ぜんぜんこわくないねえ。いいこだからかなあ」

「あ、それいっちゃだめだよ、もう。前もこわくないって正直にいっちゃって、おこられたくせに」

「あ、そか。ないしょねえ」


 のんびりと続く、まったく意味の分からない会話に、栄美子は改めて首を傾げた。

 そんな困惑の表情が面白かったのか、朱と青が同じ顔でくしゃりと笑う。


「おにってこわくないよお、だいじょうぶ。こわくないやつだよ」

「こわくないから、みんな悪い子じゃないね。みんないい子。よかったね」


「…………そうね」


 幼さ特有の飛躍した論法に、ただ合わせて頷いた。


 はずなのに、胸が急に熱くなり涙が出そうで慌てた。


 みんないい子。

 みんないい子よ。



 ぐっと舌の端を噛んで泣くのを堪える。


「…………あの、あのね?とにかく、もう帰りましょう?ね、パパもママもきっと心配してるわ」


 誤魔化すように早口で言うと、双子は顔を見合わせた。

 そして真顔で応えたのは青色だった。


「もう少し。あとちょっと。たぶん、あと、五分?くらい」



「……」

 ふむ、と腰を伸ばしてちょっと考える。


 考えた上で、なぜかふと、まあこの子たちがそう言うのならそうなんだわ、と納得した。




 不思議な感覚だった。


 そして、懐かしい感覚だった。


 詳しく思い出そうとすると、恐怖に発狂してしまいそうな感覚でもあった。


「…………」


 会話に飽きたのか、今度は地面に座り込んで砂遊びを始めたふたりを見下ろす。

 同じ方向に曲がるつむじが何とも可愛らしく、一瞬過った恐ろしさも戸惑いも掻き消えて、ふつふつと嬉しさが込み上げて来た。



 嬉しさというのも不可解だが、栄美子の心を占めるのは無上の喜びと舞い上がるような愛情だった。




「ねえ、お名前。なんて言うのかしら」


 するりと自分の口から出た言葉に、本人が一番驚いた。びっくりしたまま瞬きを繰り返すが、青色朱色のりぼんは境内に敷かれた小石や砂を両手で散らしているだけだ。


 よかった。聞こえなかったのね。


 内心ほっとする栄美子に、しかし、青色が顔も上げずに小さな指で自分を指した。そして、


「なる。と、あお」


 と幼児特有のぶっきらぼうな口調で言った。


 胸がつかえる。喜びで苦しい。わけのわからない苦しみに必死で踏ん張って、渾身の力で栄美子は笑う。


「なるくんと、あおちゃんか。可愛らしいお名前ねえ」


 するとまた幼い笑い声が弾ける。朱色が砂で真っ白になった手をかざし、おかしくてたまらないといった表情で「ちがうよお」と頭を振った。


「ぼく、あおくん。こっちはなるちゃん」


「あらごめんなさい。なるちゃんと、あおくんね。ごめんなさいねえ」


 大慌てで両手を合わせて謝る。


 朱色りぼんの男の子あおは笑い上戸のようで、膝を抱えて震えている。一方、女の子だった青色りぼんのなるは、ふんとそっぽを向いて砂塗れの手を叩いた。


「別に。いつもあおと間違えられるから。謝らなくていい」


「本当にごめんなさい。ふたりとも可愛すぎて、わたし、うまくお話しできないみたいなの」

 子どもに話しかけるのも数年ぶりなの。


「うちらが可愛いのは知ってる。いつもパパにそう言われてる。おばちゃんにも」と抑揚のない声のなる。

「ママはあんまりいわないよねえ。ぎゅってしてぐりぐりしてくるけどお。あれいたいよねえ」とふわふわ舌足らずなあお。


「おじちゃんは言うわけないね」

「ぜったいいわないよねえ」

「ろうかのまねきネコのおおじいちゃんは言いすぎだよね」

「まいかいおなじでかわいいかわいいいいすぎだよねえ」

「もうぼけてるのかな」


 遠慮のない言いぐさも幼児らしい。

 愛されて、愛されるのを当然と受け止めて、そして幸せに健やかに育っている様子のふたりを見ているだけで、どうしてか再び涙腺が壊れそうで少し困った。


 栄美子は気づかれないよう息を整えた。


「字は?どんな字かな」


 言葉が続かずにそんな会話しか出て来ない。幼いこの子らには無理だろうと思っていたが、しかし、なるは木の枝を小さな手で握った。それでゆっくりと地面をなぞる。


 稚拙で歪んだ字だが、それを読んだ栄美子は幸福感に微笑んだ。




「素敵な字だこと」


 


 柔らかな風が砂を舞い上がらせる。

 髪を押さえて空を見ると、楠木の木漏れ日が幾筋もの光線となって降り注いでいた。

 



来週は月曜日を一回飛ばして、水曜日に更新します。

よろしくお願いします。


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