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176.空蝉33 ずっと夢中



「……」


 真っ暗な闇の中で、大好きな笑顔を思い出すと自然と微笑んでしまう。そして、ようやく探り当てた毛布を、鼻先まで手繰った。

 考えてみれば『何も見えない』視界というのは新鮮で、だからなのか、眠ればいいのに頭に次々と思考を巡らせてしまう。



 あともうひとつ。うかつ。

 勘違いもあるが、それ以上に、そのうかつさが面白い。

 が、これは勘違い以上に、絶対に絶対に本人には教えない。


 彼女はうかつだ。

 そして、強靭な精神が逆に作用してどこかが鈍い。あと、緊張感が足りない。危機的意識が薄い。

 ……表現する言葉がどんどん出てくるな。自分で言っててなんだかすごく不安になってきた。大丈夫かな、沙貴ちゃん。やっぱりわずかでも離れる時間があるといけない、気を付けていなければ。僕が。

 ……じゃなくて。

 

 僕らは、僕が幼い頃からの付き合いだ。

 つまり彼女は、僕に対しては僕が小さな子どもだった時の印象から始まっていて、実は今も無意識にそれを引きずっている。


 幼い時、何かあるたびに走って沙貴ちゃんの膝に抱きついていた。

 ぴょん、と跳んで飛び込んだこともある。少し背が伸びたら、頭を腹に押し付けてぎゅっと腕を回したこともある。

 座る時は膝の上だったこともあるし、頭頂部が沙貴ちゃんの顎置き場になっていたこともあるし、何より一緒にお風呂も入ったこともある!それは幼過ぎてあまり記憶にないけど。もちろんお泊りで一緒に寝たこともある、これも小さくて残念ながら……だけれど。とにかく距離が近かった。


 幼いからと言う理由で許されていたから、正直なところ、わざとべたべたくっ付いていた面もある。まあ、白状すれば……ちょっと大きくなってからは、ほぼわざとだった。いつも隙を見ては体のどこかに触れていた。叱られそうな時は上目遣いでぎゅうっとその手を握ればいいのだ。そうすれば、彼女はいつも、僕の白い頬を指でつつき、額の前髪を上げて撫でてくれる。簡単だった。


 だから今も、僕の方がずっと背が高くなって逆に彼女が上目遣いになるのに……見上げてくる目の奥に穏やかな慈しみの色がある。


 じっと見つめていると、きちんと真っ直ぐ見つめ返してくれる。その中にかすかな慈愛を見つけるたびに、内心笑わないよう必死だ。僕の目線の温度と違い過ぎる。

 なのに、気付かずにその温度差を受け入れてくれる。僕がどんな僕でもするっと受け入れてしまう。全部受け入れる。いつも、昔もそして今も。

 

 うかつだなあ、と思う。


 受け入れることに、慣れている、いや、慣れ過ぎてしまっている。無意識に。ものすごく自然に。


 頭ごと腕で抱え込んでも、頬を両手で挟んでも。

 その頬をがぶりと強く噛んでも。


 自然に受け入れて真っ直ぐに見つめ返してくる彼女は、僕が実はとても姑息なことを考えているのに気づかない。

 ……昔、たくさん抱きついておいてよかった。触っておいてよかった。

 慣らしておいてよかった。って。

 

 幼い『コウ』のままの扱いも嫌だなんてちっとも思わない。利用できるものは全部利用する。

 勘違いもうかつさも大いに結構、そのままでいてもらおう。

 だって、僕が付け入る隙がたくさんあるってことだし。




「ふふ」

 本当にたくさん触っておいてよかったな。触られることに慣れちゃって、僕のことをまったく警戒していないもんな。


 満足して毛布の中であくびをかみ殺す。同時に、沙貴ちゃんにしれっと触ってくっ付いている僕を見る、先輩や鈴子さんの呆れ顔も思い出す。まあそれはどうでもいい。


「……いま何時だろ……」

 腕時計、つけてた……かな?あれ?と手首を擦ると、時計どころか、最近ずっと巻いていた黒い布も無くなっていることに気づいた。

 真っ暗で自分の体すら見えない闇だが、布の感触がないことはすぐにわかる。

 擦り切れて色褪せた黒い布。自分がつけても特に何も変わらないが、かつてつけていた彼女が大切にしていたから、ずっと捨てずに取ってあった布。


 最近はお守り代わりに手首に巻いていたのだが、


「あ、そっか」

 そうだ。

 持ち主に返したんだった。

 大切な彼女に。


「また大切にしてくれるかな」

 甘く切ない何かで背中の芯をつっと撫でられたようなくすぐったさを感じて、身を縮める。

 同時に、常に手首にあった布の感触を失い、妙な寂しさもある。

 毛布の下でぐっと膝を曲げ、両腕で抱える。

 その時、ようやく気付いた。遅すぎる。上半身裸だ、僕。

 下半身だけパジャマを着けていて、あとは何もない。そりゃ肌寒いはずだと全身を毛布にすっぽり埋める。

 卵の中のヒナのような格好になり、ゆっくり目を閉じた。





重い人の語りが続きます

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