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174.空蝉31 きみに夢中




「ところで私の部屋の鍵、返して?」


「…………そういえば大事な話忘れてた。あのさ」


「綺麗な無視……」


「あのさ、ずいぶんおかしなこと言っていたらしいね?あのカフェで、僕がいない時」

 ん?と沙貴は首を傾げた。


 ぐいっと横から覗き込んできた功成は真顔だった。

「最近好みが変わったとか。なに?ずっと年上の?儚い感じの男性、だって?なんだそれ」


「ああ、あの話」


「とにかくひ弱でふわっと消えちゃうような儚い人、だとか。年上で?生活力もないようなヒモ中年が好きってこと?」


「言い方がひどい。違う違う、なぜかそんなイメージの男性がいつの間にか脳裏に焼き付いていて、不思議なんだけど、」



 ぼんやりとしたイメージは、笑顔が儚くて、声音が消えそうなほど優しくて、痩せた指を震わせてそっと撫でてきて……桜色の頬の、



「いつ?いつそんな男に会ったの?どこで?病院?どこでそんな隙があった……?」


「顔が怖い」

 拳を顎に当てて真剣に首を捻る功成に一歩距離を取る。


「やっぱりひとときでも離れるのはダメだな。どこでそんな男が引っかかってきたのか……」


「でもさ、」


「沙貴ちゃん。そんなタイプは明らかにヒモ狙いで駄目人間の典型だよ。賢い沙貴ちゃんの冗談だとは思うけども、とにかくそんなクズ男は理想とは真逆の最悪な」


「でも、母さんが笑ってたの。あら私と好みが同じね、さすが私の娘!って」


 そんな!と悲鳴が上がる。

「……お母様……!」


 絶望の唸り声を出す功成に笑ってしまう。

 そして笑いながらも、横目でにらんだ。

「ねえ、その話、誰からの告げ口?……あの会話の時コウはいなかったもんね、あのカフェにコウが来て今のこの時までに誰かが告げ口したんだろうけど。……鈴子ちゃんはどう見ても私の味方だし、ヒコちゃんはこういうことに無関心だもの。……無害な顔をしながら、あっさりとコウ側へ寝返る人物……コウにひとこと言われるだけで簡単に私を裏切る人間は……哲也くんね?」


「……お母様の趣味が悪すぎなのか……その影響が娘にも……?」


「ねえ聞いてる?名探偵ぽく言った私が恥ずかしいんだけど」

 



 薄い飛行機雲の消えた明るい夜空に、ふたりの足音が吸い込まれる。

 急ぎ足の何かが功成のギリギリ真横を追い越して行った。

 背を丸めたような人間の形をした影だった。


 瞬きをしたら黒い影の背中は消えた。



「……では、私もいろいろ密告を受けているので言いますが」


 視界を彼に戻して、お返しをしてやろうと口を開く。


「ゆいなさんの大きなお胸を腕に押し付けられて、ずいぶん嬉しそうだったらしいじゃない」


「鈴子さんか」

 即吐き捨てて、それからこちらをちらりちらりとうかがってくる。


「そんなわけないじゃないか、わかってるくせに」


「やに下がってたと報告が」


「虚偽だ!」


 あははは!と声を出して笑ってしまった沙貴を見て、功成は眉を下げる。

 コートのポケットの中で重なった手が優しく握り直された。


 さきほど急ぎ足で抜かして行った影は、どこへ行ったのだろうか。迷いなく急ぐその先に、誰かが待っているのだろうか。


 そうだったらいいと思う。


「寒くない?沙貴ちゃん」


「うん。コウは寒くないの」


「全然。手があったかいから」


「あ、そうだ、もうひとつ言いたいことあるんだけど。コウ、病院に来て、面会時間ぎりぎりまでいつもいるじゃない?それでしぶしぶ帰るでしょう」


「うん」


「でもその後、戻って来たことあるよね?」


「……そんなことするわけ」


「猫の姿で」


「……」


「カフェで、『あくがる』夢の中の……猫の姿の話聞いて、その時はへーすごいなー子猫になってくれないかなーとしか思ってなかったけど。ふと思い出した、いま」


「……」


「病室の窓の、面格子の向こう側に猫がいたことあるの。黒猫」


「……」


「真夜中だったから闇に紛れてよく見えなかったけど、確かに黒猫だった。あれ、あんた?」


「……黙秘します」


「あの時私、着替えしているとこだったよね?どういうつもり?」


「黙秘します」


「その顔見ると、何度も何度も戻ってるわね。実は毎回窓から覗いてるでしょ」


「……」

 功成は目を逸らして繋いだ沙貴の手を揺らす。


 早く帰ろう沙貴ちゃん、と小さな声で呟く横顔に、仕方なくため息を吐く。


「猫になって夜中の間ずっと動くってことは、寝不足にはならない……のか。ちゃんと寝てはいるのね?それならまあいいけど、無理したら駄目よ」




 明るい夜空の細い月は、いつの間にか雲に揉まれて消えていた。

 夜明けはまだ少し先だ。




「……沙貴ちゃん、着替えの時はカーテン閉めてね」


「やっぱり覗いてた!」


 だって心配なんだ、離れると不安なんだと、わざとらしく幼げに言う男の白い頬を抓る。




 影が向こうから歩いて来て、すれ違う時にちらりとこちらを見る。道路を右から左へ黒い塊が横切る。街路樹の枝にぶら下がる男がいる。アスファルトに大の字に寝転がる溶けた女がいる。


 私は優しくやわらかな夢の中から出て、この世界とまた繋がったのだ。




 瞬いてすべてが消えた視界には、こちらに笑いかける功成がいた。







 深海に漂う真珠を見つけた人は、きっとこういう顔をする。












本年もどうぞよろしくお願いいたします。


沙貴編はいったん終了です。

次回はお久しぶり、功成編です。

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