173.空蝉30 きみに夢中
帰ろう、と功成が笑って手を差し出した。僕らの部屋に、と付け足した言葉に「私の部屋だけど?」とそっけなく返す。
「変わらないね、沙貴ちゃんは」
触れ合ったふたりの手に、お互いの温度が重なった。
「コウもね」
肩を並べて歩き出すと、紺青の空遠くに薄く光る白い月が見える。
「一緒に暮らすの嫌がるの、実は本気で僕のことうざがってるだけなのかも、とも思ってたんだよね。万一、一億分の一の確率だけど」
「実際はそれが正解に近いと思うけど」
「でもよかった。僕にバレたくないからってことだったんだね。しかも、熱烈な告白も聞けたし。今夜は人生最高に幸せかも」
「ん?え?」
「僕を愛してるって」
「……大丈夫?泣き過ぎて幻聴症状まで出てる?」
「……言うと思った。こうなると思ってた」
まあいいや、僕はちゃんと聞いたから、と呟く横顔を見る。
右の頬の向こうに灰色の長い雲が流れていった。
さみしい道はどこまでも続く。
変わった自分は悲しみを抱え、同じく相手もさみしさと孤独を噛み締めて歩く。
変わり続けながら、それでも自分の中で変わらないものは相手だけだ。
そして、相手も変わらないものひとつ、それが自分だと答えてくれるなら。
長く険しく、決して分かち合えない苦難の旅だとしても、手をつないでそれぞれが耐えて行けばいい。
これから自分は永遠に彼と理解し合えない。
彼は永遠にひとりになった。
でも、変わった沙貴にとって功成だけは変わらない存在だ。
そして功成は沙貴を変わらないと言う。
それだけできっと、道は光を帯びてまばゆく揺らめく。
「もし、いつか」
闇に沈む先を見つめながら、功成が小さく言った。
「いつか、僕が本当に危機を迎えてどうしようもなく困ったら、これ。結んでくれる?」
動かない左手にそっと触れた黒い布を見遣る。
沙貴の目からようやく涙が溢れた。
目覚めてから初めての、長くとどまり続けた、ようやくの涙だった。
彼は、最初からひとりだった道よりも、もっとさみしい道を選んでしまった。
私が選ばせた。
その孤独の深さは、どれほどのものだろう。
そして私もひとりになった。隣にいたのに、気付いたら別の枝にいた。
沙貴は前を向いたまま、渡された細く黒い布を右手を伸ばして握り直す。
「結ぶわよ」
左手は大きな手に包まれて、視界が霞んで消失した。
「結ぶわよ。手すりにでもなんでも。抱き上げて階段から走って飛び降りて、腕が動かなかったら口でも歯でもなんでも使って巻いてやるわよ」
例え結んでも、もう何も聞こえないし見えるようにもならないだろう。
でも結べと言うなら、この相手のためなら、すべてを賭けても結ぼうと思った。
「絶対に結ぶ」
「うん。ありがとう」
あなたがいるから
きみがいるから
もうひとりでも大丈夫。
功成が最後の涙を一粒だけ流した。
「手、私の手ごとポケットに入れて」
「懐かしいね」
左手を包んだたくましい右手が、沙貴のコートのポケットに入る。
白い月を眺めてこの子の橋になると誓ったあの日から、なんて遠いところまで来たのかと唇を嚙み締めた。
大人がふたり、泣きながら手をつないで歩くのは滑稽だ。
途方もなくさみしく悲しい。
でも幸せだと、沙貴は思って泣いた。
短めで年内最後です。
今年度は大変お世話になりました。
みなさまのおかげでとても楽しい一年でした。本当に。
来年度もどうぞよろしくお願いいたします。
年明けに空蝉の沙貴編最後、続いて空蝉功成短編。
目標は思いのままいちゃいちゃ!よいお年を!




