171.空蝉28 きみに夢中
功成は、沙貴を持ち上げたままダンスを踊るようにくるっと回る。
「わ、わ」
「沙貴ちゃんはさ、昔からよく勘違いするし、あと結構うかつだよね」
「え、悪口?わわっ」
くるくるっと追加で回って、急に止まる。
そんな風に雑にしておいて、まるで高価な宝物を扱うようにそっと道端へ沙貴を下ろす。
高い背の後ろをゆっくりと車が通り過ぎて行った。
そのライトに照らされて、沙貴と功成の間をひゅっと何かが走る。
「うわっ」
その勢いにわずかに仰け反ってしまった。
瞬いて、それが去って行った方向を見ると、ネズミのような子犬のような何かの後ろ姿だった。
「沙貴ちゃん」
むにゅりと両頬を挟まれて顔を引き戻される。
「黒いバッタみたいなものを咥えた、顔が人で体が動物のおかしなやつだったね。あんなどうでもいいものなんて見ずに、僕を見てよ」
「え、人面動物が、バッタのような黒いものを咥えて?コウの顔見るよりそっちのが気になるからもっと詳しく」
どうでもいいのレベルが私たち違い過ぎない?と訝しみながら促したが、功成はほんのり笑っただけで詳細は教えてくれなかった。
「一瞬だけ見える時と何も見えない時、どんな違いがあるんだろうね」
挟んでいた沙貴の頬を撫でて、ごく普通に聞いて来る。
「……わかんない、自分でも。瞬きすると見えたり、見えなくなったり」
「不思議だね。……ああ、教えたらきっと哲也さんが喜ぶよ。そういうの大好きだから、あの見えるオタクでマニア」
でも沙貴ちゃんが哲也さんとふたりきりで話すのはあと五年くらいたってからね、と無茶な宣言をしてから、ふむ、と沙貴の頭からつま先まで眺める。
「鱗……見えないな。透明なんだろうね、光に反射したら少しは見えるのかな」
やっぱり見えないのかと納得する。
鱗が体に残っているとは、どんな状況なのだろう。ゆいなの祖母はゆいなの話の中で、「胸のあたりできらきらと鱗が光っている」と表現していた。そして同じく剥奪の力を持つゆいな自身も、「少し残った鱗が灯りに反射していた」と言っていた。
「……反射する瞬間しか見えない、薄い膜みたいなもの?それともそもそも、鱗というものは、剥奪の力を持ってないと見えない……とか」
沙貴が考え考え言うと、真正面の相手は首を振る。
「うーん。わかんないなあ。でもやっぱり、哲也さんに話すのはやめようね沙貴ちゃん」
特に興味を持つでもなく、軽い言い様で功成が笑いかけてくる。
そしてそれを証明するように、そのままごく軽く続けた。
「すぐ見えなくなるかもしれないしね。黙っておこう」
「……」
否定も肯定もできず黙って見返す。そんな沙貴にまた笑って、功成は嬉しそうに手を伸ばした。
ゆっくりと腕に囲われる。
「……沙貴ちゃんは、勘違いしてる」
功成の穏やかな声が耳の奥に転がる。
「ひとりでも大丈夫って、言ったのは沙貴ちゃんじゃないか」
ひとりでも大丈夫よ、コウ。
「……」
言った。確かに。唐突に脳裏に甦るのは、自分が吐き出した血と横たわった体と、山の端から登りゆく太陽の煌めき。そして、幼い子どもの泣き顔だった。
「沙貴ちゃんが言ったんだよ、コウ、ひとりでも大丈夫よって」
優しく、平坦に、そしてどこか言い聞かせるような声音だ。
「だから、僕はひとりでも大丈夫なんだ。沙貴ちゃんが助けてくれなくても僕はもうひとりでも大丈夫。大丈夫だと、ずっと思って過ごしてきたよ。この六年」
誰に言い聞かせているのか。
自分だろうか。
真剣な顔に真剣な声が重なって、胸のどこかが強く縮む。何か言おうと顔を上げた沙貴の口に、硬い手のひらがそっと添えられた。
言葉が引っ込んでぱちっと瞬きする。目の前の端正な顔がにじむように笑った。
「でも沙貴ちゃんがそう言ってくれないと大丈夫じゃない」
「……は?」
「沙貴ちゃんが。いつもいつも隣で、ひとりでも大丈夫よって言ってくれれば僕は。大丈夫だと、思い続けることができる。けれど言ってくれないなら無理」
「……いや、」
「沙貴ちゃんがいつも隣で言い続けてくれれば大丈夫なんだ。言ってくれなければ、僕はひとりでなんて無理。むりむり。できっこないってほんとほんと」
「……ええ?」
真摯で厳かな表情で、なんて無茶苦茶なことを言うのか。え、真面目な話なのふざけた話なの?
言おうとして消えた叱責を探しながら、沙貴は黒目を見つめた。
「沙貴ちゃんが、いつかまた見えなくなっても、もう僕はだいじょうぶ」
闇夜に灯る黒目には、きっと朝日はまぶしいに違いない。
いつか思ったことが鮮やかに蘇る。
にっこりと笑った功成の目から、ゆっくりと涙が流れ落ちたからだった。




