165.空蝉22 きみに夢中
見える人は、できてしまうのだ。
「……」
見える人はできる。
自分はできない。
「お伽話は、めでたしめでたしで終わったらその後はもうないでしょ。それを体現しているのが空蝉の力だと思う。そこで留まるの。その最高到達点で留まる。めでたしの瞬間で止まったまま、その姿で何もかもそのままで。すごい能力だと思う。……でも、他の人は、私には、それが出来ない。めでたしの後も、変わった後も、延々と道は続くの」
「……」
何を考えているのか黙りこくる功成に、沙貴は終わりとばかりに微笑む。
「……と、色々考えてしまったのよ。ダメね、空蝉とかあくがるとか、自分の興味対象の単語がでた途端にそれに夢中になって思考しちゃう。悪い癖だよね。哲也くんみたい」
そして真剣に、心を込めてささやいた。
「ところでね。今日、再認識した。あんたがいい友達に会えて、本当によかった」
「……先輩と鈴子さん?」
「そう。哲也くんとちづるさんもね」
功成は必ず沙貴の左側を歩く。万一転んだ場合、咄嗟にはかばえない側をフォローするためなのか、いつも少し右肩を引いて歩いている。
だから沙貴は功成の右頬ばかりを見る。今も、遠く灰色の雲が白い頬の向こうにかかるのを見ていた。
「見えざる者を怖がっても、コウのことは怖がらない。彼らは絶対に」
「沙貴ちゃんだってそうだろ」
「私は友達じゃない」
ぴしゃりと放つと功成は黙る。
明るい夜空に薄雲が混じり、風が冷たかった。
「……あのさ」
コートの襟を揺らして、功成は小石を蹴った。
「目覚めてくれて、退院して。さあ僕の出番だと思ったら、すぐにお母様のところ。車椅子でやっと僕がと思ったら、次はリハビリ。じゃあリハビリにとことん付き合おうと決心したら今度は本気で嫌がるしさ。何もさせてくれない、なんの役目も果たせない。僕は一体、なんなんだよ」
「だから。引っ越し、手伝ってくれたじゃない」
「あんなの手伝う範囲にすら入らない」
「だから強硬手段で同居しようと?」
「同棲」
「同居ね」
「同棲」
言い合いながら少し笑ってしまった。
「あのね、これはちゃんと聞いて。眠りから目覚めた、めでたしめでたし……じゃないの。そこで終わりじゃないの。私には留まる力がないから。私の人生はこれからも続くのよ?ずっと人の手を借りて暮らすわけにはいかないでしょう。自分でできることはできるようにしなきゃ。泣いても立ち止まっても、続くんだから」
「だったら僕はどうやって責任を」
「その言い方は二度としないって約束しなかった?」
きつくにらむ。
ひゅっと耳の奥で感情が弾ける。
「コウからも、誰からも、責任だとか負い目だとか、そういう馬鹿馬鹿しい言葉は聞きたくない。私の人生に責任を持つのは、私だけよ」
「……分かった。ごめん」
呑み込んだのがありありと分かる表情で功成が言った。そして肩を落とす。
「……沙貴ちゃん」
数秒を経て上がった功成の顔は、凄みのある真顔だった。
沙貴を見つめてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕を、時々遠ざけるよね。沙貴ちゃん」
引っ越しの時のように、無理やりにでもくっ付いている時はいい。でも沙貴ちゃんは時々、自然と距離を取ろうとするよね?と静かな声で言う。
どこかで風が泣いている。
「どうして僕は遠ざけられるのか。ずっと考えてたんだ。鍵を渡されてすごく嬉しくて、でも、それでも怖い。僕は怖い」
功成が怖いと言っている。怖いという感覚すら知らなかったはずなのに。
眉にかかる硬そうな前髪が揺れる。通った鼻筋は意志の強い口の端を際立たせ、月夜に似た黒目がわずかに伏せられた。
「……もしかして、沙貴ちゃん、見えてる?」
沙貴が瞬いたら、功成は息を飲んだ。
「見え……て、る?」
高い位置にある肩が大きく震えた。
「見えてる?見えてたの?あの、クローゼットに、ポスターのように貼りつけられていた男が。血が。ぺっちゃんこの体が」
そして続いた声は泣く寸前のようだった。
「もう嫌になっちゃった?」
だから僕を遠ざけるの?
僕はそれが怖い。
長く苦しみ、ようやく目が覚め、新たな日を生きようとしたその矢先に、
「……見えるなんて。沙貴ちゃん。見えるなんて。そんな。ようやく、ようやく見えなくなって、体にこんなにも苦しみを背負って、それなのに目覚めたらまた見えて。もう嫌に、嫌に、なるのも、当たり前だよね、そう」
繰り返し繰り返し。
この世の苦行は繰り返し。
「ごめん。ごめん、沙貴ちゃん」
ごめん。ごめん、ごめんね。一番好きなのに。一番苦しめたくないのに。
いつもいつも、昔からずっと、いつもいつも一番。一番なのに。
なのに、それなのに、どうしてだろう。僕はどうしてこうなんだろう。
一番大事で一番好きなのに。
なのに、僕がいるから一番苦しめる。
僕はどうしてこうなんだろう。
「離れたくないんだ」
魂が。
「離れられないんだ」
功成は両手で顔を覆った。
「僕は、どうすればそばにいられるの」




