155.空蝉12 あなたに夢中
剥奪のヘビを持った祖母は、呪われた一族、お化け女の系統と蔑まれてきた女系一族の中で異質だった。
「見聞きのヘビでもない。先見のヘビでもない。その他のヘビでもない。ただの剥奪。剥奪だもん、なあんにもない、誰にもわからない。え、それどんな力?って感じだったんじゃない?ふふ、すぐに愚かな男どもは祖母の周りから散って行ったって。役立たずの不出来な呪われ女って」
剥奪は、「剥奪」して初めて能力と為すのだ。剥奪しなければ能力は成り立たない。
祖母は、変わらず周りから蔑まれてはいたが、それでも代々の女たちとは比較にならないほど健やかに、穏やかに過ごした。
死者の世界を見ることもなく聞くこともなく、先見の明もない、ごく普通の少女はごく普通の女性になり、不出来な女性と言われたまま成人した。祖母の母は聞くヘビで、苦しくも短い生涯を終えたが、早くに亡くなるその瞬間までわが娘の「不出来さ」を心底喜んでいたと言う。
「見るものすべてが美しく楽しい半生だったって」
「……見る?」
訝し気に繰り返した哲也に笑う。
「そ。見えてた。祖母は目が見えてたの」
それまでは。
「祖母を囲ったのはやっぱり権力を追う男でね。妻にした女は不出来だが、生まれる娘はもしかしたら呪われた一族「らしい」女なんじゃないかと」
赤子は生まれた。大泣きする女の子だった。
「祖母はそこで初めて、剥奪のヘビの力を知ったの。ああ、これか。これが自分のヘビの力か。剥奪の力か、と」
これが、呪われた力か。
これが自分の……
赤子の小さな体に、白く光るヘビが巻き付いていた。
かわいいかわいい、命よりも愛しい体に、ぐるりと巻き付いたヘビ。
その鱗。その透明な禍々しさ。長く長く伸びた、黒い空虚な目。骨のない鼻。血のこびりついた口。長く長く伸びた、醜悪な人間の姿。
間違いなくヘビだった。
「祖母は、迷いなく赤子の体に手をかけた」
小さな体に巻き付く悪意の塊を、その両手でがっと掴んだ。
産後の弱った全身を叱咤して、渾身の力を込めて引っ張る。
ヘビは、長く伸びた人間は、抵抗して必死にぐねぐねと暴れた。
それを抑え込んだ指の股が、びりりと音を立てて裂けた。
「血が噴き出し腕が痺れようとも、祖母は離さなかった。爪が飛び手のひらが潰れ、血まみれになっても離さなかった。そして、勢いよくそれを剥がした」
えいやっ。
剥がれたヘビは大きく震えて、鞭のようにしなって祖母を打った。
そうしてそのまま、祖母に巻き付いた。
「……」
「ねえ、これは知ってる?ヘビってね、自分で選んだ人に巻き付いているみたい。だからその意思とは違う別の人に無理やり巻き付かせるとね、その人は途端に命を削られるんだよ」
「……知ってる」
沙貴は掠れた声で続けようとする様子だった。
「知って、ちょ、痛い痛い痛い」
が、ぎゅーっと再び頭を抱き込まれてこちらからは顔も見えなくなった。
「そ、それで?お祖母さんは」
代わりに促した哲也に手のひらを見せる。
かつて彼からやられたように、ゆいなはくるりと返す。手のひらをくるり。
くるりくるり。
祖母の人生が変わった。
「剥がして奪ったヘビは、見聞きのヘビだったの。祖母の体に巻き付いた途端に祖母は何もかもが見えて聞こえた。そして無理に剥がされ別の体に取り憑くことになったヘビは、ひたすら暴れ続けた」
首を腕を腹を、白いヘビが締め付ける。
ぎりぎりと絞られた祖母の体はあっという間に真っ黒な痣だらけになった。
「……」
「いたたたた、重い、重いコウ、ちょ、落ち着いてってば」
「そ、そんな、それでお祖母さんは……」
すぐ横の騒ぎに目もくれず、哲也が乗り出してくる。ゆいなはその眼前に手の甲を掲げた。
「ヘビはびたんびたん跳ねて暴れて、額までずれて締め付けたんだって。強く絞られた顔は血管が切れて、眼球も潰れた。祖母はそうして光を失ったのよ」
「……赤ちゃんは、」
「ヘビが剥がされ、ただの赤ちゃんになった。ごく普通の、何ものでもない、一族の中では「不出来な」赤ちゃん」
そして祖母は「呪われた一族」らしくなり、しかし残命わずかだと誰しもの目に映るほど衰弱してしまった。さらには、「不出来な」赤子を生んだと責められもした。
「そんなバカな、ひ、ひどすぎる」
声を震わせた鈴子に唯奈は小さく笑う。
「それが普通の環境だったし、それが当然の時代もあったのよ」
残りの寿命も少ないと見なされた祖母は家を出された。盲目の祖母が辿り着いたのはイタコを生業とするとある女性の元で、彼女を師として修行をしイタコとなった。
「赤子は取り上げられて、父親の実家で育てられた。祖母は赤子の成長を見ることもできず、そのまま最強で最後のイタコとして短い命を燃やしたの」
哲也ははっと唯奈を見つめてくる。
「こ、この前、母親から赤ん坊が離された、と言っていた方が」
「うん。それがあたしの祖母」
「じゃ、じゃあ、育った赤子は育てられた家も土地も捨てて……というのが」
「あたしの母親。祖母が生んでヘビを剥奪した、あの赤子。お母さんは自立後、自分が育った家にも土地にも、一切近づかなかったよ。そしてあたしにも何も言わなかった。……一通の手紙が来るまでは」
母は、ヘビを剥奪された赤子は、それでも成長するにつれ噂や偏見に苦しめられた。能力は皆無なのに、お化け女と言われるのだ。そして心の支えになるはずの母親は遠く離れており、イタコとしての名声だけしか知ることができない。赤子は、母は、大人になり家を出て後、二度と故郷に戻ることはなかった。
しかしたった一通の手紙は届いた。届いたのだ。かつての赤子である母は手紙を握りしめ、ゆいなの手を引き、夜行列車に乗ったのだ。
ともに暮らすことはなかった人からの手紙には、たった一言。
あなたの娘とともに、一度だけここにおいで。
ゆいなは脳裏に浮かぶ影を追う。
真っ黒な長い髪は乱れて、頬は骨が浮かび上がっていた。
病院とは名ばかりの、掘っ建て小屋のようなあばら屋根の建物。がらんとして家具も荷物もない小さな部屋。イタコとしては有名で、ある意味成功していたはずの祖母の晩年は、華やかなものは何ひとつない無音の空間だった。薄い布団の上に、ただ座っている小さな老婆だった。
「祖母は最期の最期にお母さんに手紙を出したのだけど、そもそもね。なぜ故郷を捨てたお母さんの住所がわかったのか、なぜお母さんに子どもが……あたしという娘がいるのがわかったのか」
ゆいなは、遠くを見る気持ちになって目を細めた。懐かしくも恐ろしい光景が浮かぶ。
「……体中に真っ黒な痣の浮かぶ、やせ細って骸骨みたいな女性がいた。初めて、そこで初めてあたし、祖母の存在を知ったの。お母さんは何も言わずにあたしを育てたから。びっくりしたわ、あたしもう十五になってたの。そんな年齢に初めて、祖母がいると。お母さんの故郷だという北の街に初めて連れて行かれ、祖母だと名乗るその骸骨に会った」
先見の力については、93話からの「side裏の言霊」に
詳しく出てきます。




