154.空蝉11 あなたに夢中
「ヘビを剥がして奪うの」
みんながぽかんと口を開けた。
「……あ、」
掠れた声を上げて、その声に自分のことながら驚いたらしい。沙貴だ。
何度か咳払いをして、どこか色の抜けた表情で言った。
「私……一度だけ、見た、こと、ある……ヘビ、を、剥がし……剥がして、くれた、ひと、影、ひ、人」
「沙貴ちゃん」
功成が鋭く呼んで立ち上がる。
テーブルもグラスも、座る人までも蹴散らすような勢いで迫って来る。
鈴子と沙貴の間に膝を入れ、そのまま片足のみ立ち膝で沙貴を抱き込んだ。
「沙貴ちゃん」
「コウ」
「沙貴ちゃん、もう帰ろう。このままうち行こう?病院には僕が連絡するよ、お母様にも。帰って鞘子とご飯食べよう、タクシー呼ぼうね」
「こ」
「さあ行こう、早く。こんなところ来るんじゃなかった、」
「苦し、こ」
「沙貴ちゃんまだ出歩くのは止めておこう、沙貴ちゃん病室に、いや違うそうだ、僕のうち、いや駄目だもう嫌だよねあの場所は、じゃあ新しく部屋を借りて」
「……功成!」
怒鳴ったのは恒彦だった。
いつのまにかゆいなの前にいた恒彦が、沙貴の頭を囲う腕を叩く。そのまま強く後ろに引かれて、功成は背を弓なりに曲げた。
「沙貴さんが窒息しちまう」
「……っ」
はっとして、慌てた功成が沙貴を見る。座ったまま首ごと抱き締められていた彼女は、解放の瞬間短く息をして、そして赤い顔で咳き込んだ。
「……っあー……苦しかった……」
「ごめ、」
右腕で喉を擦る沙貴が、功成を見上げる。
「コウ」
「……」
うつむく彼の顔は長い前髪に隠れて見えないが、構わずに沙貴は目の前の手首を取った。
「震えてる」
「……」
血の色のない手首をトントンと小さく指で弾く。
右手だけで、ゆっくり、トン、トンと拍を刻む。
「落ち着いて。息吸って。……怖がりすぎ」
「……沙貴ちゃん」
「私はただびっくりして、どもっちゃっただけ。落ち着いて。あと、私はあんたの家、嫌なんて思ったこともないよ。退院したらいつでも行く」
「沙貴ちゃん」
「そんなに怖がらないでコウ」
「沙貴、ちゃん」
不可思議なほど静かな光景だった。
誰も何も言わず、ただ見ている。
鈴子も哲也も、すぐ横の恒彦もただ黙って見ていた。
先ほどまでの冷めた態度が一変し、よく見ると足の先から額まで、わずかに震えている功成。長い前髪が揺れて目を隠しているが、歯の根ががちがちと小さな小さな音を立てていた。
そんな彼の手首をゆっくりゆっくり、宥めるように小刻みに叩く沙貴は、少し眉を下げて右隣の鈴子を見遣る。
はあ、とため息を吐いて鈴子は立ち上がる。
その空いた場所へと沙貴が手首を引っ張ると、されるがままに功成はぼすん、と座った。
そして沙貴の腰へ手を回し、左肩に顔を埋めると……そのまま動かなくなった。
「……」
「……あー、なんかすみません。ごめんね、私は大丈夫だからね。ちょっと昔のことを思い出して動揺しちゃった。あ、この人のことはいないものと見なしてね、話続けようゆいなさん」
大きな塊を左肩に背負ったまま、沙貴が何事もなかったかのように話してくる。
やれやれと恒彦が席に戻り、ついでに鈴子に元の位置にあった飲み物を手渡して礼を言われていた。
「……苦労するね?沙貴ちゃん。顔がいいし実家も太いしって思ってたけど、それじゃ補えないレベルの苦労を背負うよ?色々冷静に考えた方がいいと思う、今後も」
ゆいなが伝えると、「説得力しかない」と苦笑いで沙貴が応える。腰に回る長い二本の腕がぴくりと動いた。
「まあトラウマだもんな。仕方ねえ」
「そ、そう、仕方ない、さ、沙貴さんに関してだけ、す、すごく怖がりだもんね」
男ふたりにゆいなは「違うって」と首を振る。
「何があったのかは聞かないけどー。トラウマうんぬんは置いておいてね、それとは別の問題。彼女の行動や希望を自分の都合で縛りつけようとしがちだよね、功成くん。そういう考えはいつかふたりの関係に傷を生むよ、求められる、それに応えるだけの関係は疲れちゃうから。応える方はいつか空っぽになって、求める方は際限なく飢餓状態。きちんと話し合わなきゃ」
「べ、勉強になります!」
鈴子が拳を握る。沙貴はと言えば、左肩に抱きつく男にさらに伸し掛かられて、「ちょ、重い重い」と右腕を突っ張らせてなんとか姿勢を立て直していた。
「いや鈴子ちゃんは違う。そっちは別。話し合いしても無駄」
「え」
ゆいなは、拳を宙に浮かせたままの鈴子と、メモとペンを持つ哲也を交互に指さす。
「根本の違う種族と話し合いしても無理よ」
「種族」
「ただひたすら、いいことと悪いことを繰り返し教え込んでいくしかないよ」
「しつけ……」
「それでも、それの何がいいのか悪いのか、本人はわからないと思うけどね。でもひたすら教え込めば表面上は覚えるでしょ」
「犬のしつけ……」
「心の底から納得するわ。すげえなゆいな」
呆然と呟く鈴子をしり目に、恒彦がゆいなを称えた。
「数回しか会ってねえのに見通す目が半端ねえな。功成は激重のガキで哲也は駄犬だ」
「うふふ、姉さんって呼んでいいよ?恒彦さーん」
「調子にのんな、いくつだお前」
「ああ?お前こそいくつだ小僧が」
ゆいなと恒彦のやり取りに、「ふはっ」と沙貴が吹き出す。背中に大きな塊を背負ったまま楽し気に笑う沙貴につられて、鈴子も哲也も笑った。
ゆいなも口を開けて、そして笑った。
「うふふ。そもそもさ、みんな、ここにいるみんな、いろいろ……本当にいろいろ知っているんだね。死者が見えたとか、先見とか言ってもみんな真顔で聞いてるもん。そっちこそすごいよ。知っている人たちがこんなにたくさん!あたし、ずっと、ずーっと、ひとりでちゃあんと黙っていたのに!目を閉じ耳を塞ぎ、口を、口を噤んで黙ってひとりで秘密を守って生きてきたのに!知っている人って、こんなにたくさんいたのねえ。不思議!でも、会えてよかった、あたし、勇気出しててっちゃんに会いに来てよかったあ」
一度だけ、この一度だけしゃべろう。
ずっと口を噤んできたのだ。一度くらいいいじゃん、ね。お祖母ちゃん。
「あたし、ほんとは、すごくおしゃべりなの。べらべらしゃべりたいの。一度くらい許して欲しい」
「なんでもしゃべってよ。あなたのおしゃべりは、本当にとても楽しい」
沙貴が優しく笑いかけてくれる。
「それに、くるくる変わる表情もとても素敵。唯奈さんの顔かわいいから」
また胸の中で光が弾けた。
きらきらきらきらと目の奥で舞う。
あたしの表面に植え込まれた鱗のようだ。
「は、『剥奪』というのは?具体的には?」
メモ片手に眼鏡を押し上げた哲也を軽く流して、ゆいなは嬉しさに自分の頬を擦りながら沙貴に笑い返した。
「あたしの祖母。真の血統のイタコ、最後で最強のイタコ。でもねえ、本人は、呪われた一族の生き残りって言ってたみたい」
「呪われた?」
「うんそうなのー。……すごおく、昔の話。ほら、さっきも話したでしょ。昔むかしの、どこかの村の巫女もどき、六玉。ろく婆様っていう人から始まる巫女の血筋のことなの。そのろく婆様、実は、禁忌を犯していたんだって。何か、何か恐ろしくも巨大な存在から借りた大事な物を、返さなかったの」
畏怖の対象である、恐ろしく……途方もなく恐ろしいものから、「借りた」。
「返さなかったの。用が無くなって返せばよかったのに、自分の地位にしがみついて、返さなかったんだって」
「な、何を」
哲也の顔を真顔で見返す。
「白く長いヘビ」
「……」
「ヘビをね、返さなかったの。だから呪われた。……と言われているけど、でも本当かどうかは不明だよね。ごく一部の地方、北の……そう、北のあの場所の、しかもごく限られた地方の、ごく限られた村出身の人々の間でだけ話される伝説だよ」
でもねえ、とゆいなは宙を睨む。
「呪われているのかどうかはよくわからないけど、確かにおかしな血筋だと思うよあたしも。ろく婆様からその娘、その娘の娘、そのまた娘。代々女性にだけ、ヘビが巻き付くの」
「……そんな……」
鈴子が口に手を当てる。
「そ、そんなことってある?へ、ヘビに……死者に巻き付かれる人は、き、決まってないはずだよね?ただの悪ふざけ、悪意の象徴で、だからこそ、ら、ランダムで」
ランダムで、と言ったところで、哲也は続けられなくなったらしい。
何かを堪えるようにぐっと唇を噛むと、鈴子を見た。鈴子も哲也を見返して、そして同じように唇を噛んで目を伏せる。
ゆいなは頷いた。
「あたしはそのごく一部の場所での話しか知らないから。その他の、広い世界のことは調べてもいないし知ることもなかったから。てっちゃんや鈴子ちゃんがランダムと言うなら、本来ヘビはランダムなんじゃない?でもろく婆様の血統だけは、違った」
「……生まれつき?ヘビは生まれつき巻いているの?それとも突然ある日巻き付くの?」
前傾姿勢の沙貴が尋ねる。ぴったりくっ付く男のせいで引っ張られているその襟を直してやって、ゆいなは答えた。
「どっちも。ヘビに巻かれながら成長する赤子もいたし、成人して突然「変な声が聞こえる」って言い出す人もいたみたい。それにヘビが巻き付いたせいで持つ能力も、みんなバラバラだったらしいよ。死者について見聞きできる力、見るだけ聞くだけの力、先見の力。そして剥奪の力。……その他の、力も」
不意に揺れた声を隠して、ゆいなは喉に力を込める。
「時代は変わる。昔々は、巫女はかしずかれ敬われる存在だったのにね。ろく婆様以降、ヘビに巻かれた女の一族は周りから常に蔑まれてつまはじきにされて生きて来たんだって。外を歩けば怖がられて石を投げられるなんて、物語のような虐げる行為も日常だったのよ」
お化け女の一族。
呪われた女ども。
「それなのに、権力を夢見る男どもは一定数いるの。いつの時代も。ヘビの力を持つ女を、どうにか利用して財を成そう支配力を持とうとする愚かな野望がいつの時代もあった。一族の女は子どもを産まされて、そしてまたヘビに巻かれた赤子が誕生する」
静かになった室内に、アイスティーの香りが漂う。
でもねと続けるゆいなの記憶の奥に、黒髪の骸骨が甦った。涙を流す黒髪の骸骨が。
「でも、あたしの祖母は、最後の正当な巫女の血筋の祖母のヘビは、『剥奪』だった」
ろく婆様の話→140~141「元お山信仰」
沙貴ちゃんの「ヘビを剥がしてくれた影」→55「沙貴と」
ヘビを剥がす話は、実はごく初期にすでに出ていました。
もう忘れてしまってますよね…すみません…




