153.空蝉10 あなたに夢中
あ、もうちょっとだ。
何となくわかった。もうちょっとだなって。
呪いの一族はもうちょっと。
「……あたしは、ゆいなだけど?」
顔も体も可愛い唯奈だ。
「あなたは、ゆ、唯奈さんじゃない。唯奈さんはここにはいない。警戒して最初から来なかった。会ってもくれなかったし、もう電話も出てくれない」
「うるさいな。ゆいなはゆいなだもん」
イライラする。
「お、オレは、唯奈さんに会おうとしたんだ。でも来なかった。来ないと言った、お母さんも許さないと。唯奈さんは電話で、『自分の祖母は、おばあちゃんは、北の遠いところにある病院で、ずっと眠ってる。少し前まで、おばあちゃんがいることも知らなかった。だから、何も知らない。聞かれても、答えられない。あたし、何も知らない』って。……あなたと、同じことを言っていたよ」
目と閉じ、耳を塞ぎ、口を噤め。
その時、穏やかでどこかのんびりとした声が、ゆいなにささやいた。
「……あなたが教えた通りに言ったのね、唯奈さん」
はっと瞬く。
その言葉は強い喜びをもって胸を突いた。
「唯奈さんて、しっかりしてる子なのね」
喜びが破裂する。
爆散した欠片が、光線のように降り注ぐ。
「そうよ」
当然じゃない。唯奈は素晴らしい子だもん。
ゆいなは胸を張る。
そう。
そうか。
唯奈は、あたしの唯奈、唯奈は、あたしの言葉を守ってくれてるのか。
あたしと、同じように。
「唯奈は賢いのよ。こんなあやしい集団に関わるわけないじゃん」
吹き出したのは、ささやいた沙貴だった。
「わかる。あやしいよね。唯奈さん、ご両親の教育がいいのね」
「そうよ。お母さんがしっかり教えてるのよきっと。目を閉じ耳を塞いで口を噤めよ」
「なにそれ」
「あたしが祖母から聞いて、伝えたの」
「へえ。じゃあ」
沙貴の続いた言葉に、喜びを越える幸福が胸に躍って、きらきらと散らばった。
「唯奈さんは、自分の大切なお祖母さんの言うことを、きちんと守ってるのね」
きらきら。
言葉がきらきらと舞う。大切な、と。
「ふふふ。ふふ。すごいでしょ。可愛いでしょ。可愛いの、本当に、あたしの唯奈」
あたしの孫なの。
ふわふわと綿のような幸福感に目がくらむ。
もうちょっとだもん。
ま、いいか。
ごめんね、お祖母ちゃん。でもちょっとくらいいいよね?
にっこり笑うと、哲也が会話に入り込んでくる。
んもう。邪魔。
「め、目が見えなかったというのは……さ、最後の正当な血のイタコとは、あなたの祖母ですね?あなたの、祖母」
「うん」
短く言う。
「では、あなたは?」
「あたしは唯奈のおばあちゃん。ゆいな」
「ゆ、ゆいなというお名前なんですね。正しくはユイナ」
うるさい、と哲也に文句を付けようとしたら、明るい声が割って入った。
「名前、お孫さんとお揃いなんですね!」
「素敵」
うふふふふ。
くすぐったくて首をすくめた。
「そうなの。知った時は、あたしも嬉しくて嬉しくて。娘がね、直接育てられず、手もかけてやれず、離れて暮らしていた娘がね、あたしの名前……母親と同じ名前を子どもに!つけてくれてたの!すごいでしょ、びっくりでしょ」
勢いよく話すと、鈴子と沙貴はうんうん頷いてくれる。
あーやっぱりあたし、女の子と話す方が好き、かも。
「……ずっと女所帯で暮らしてきたもの。慣れよね、やっぱり」
「女所帯だったの?」
「そうなの。生きづらい女性や、目や耳に障害のある女性や……逃げてきた女性たち。みんなで集まって暮らしていたの。寮生活みたいでね、わいわい楽しかった」
「へえ」
そこへ、またずいっと哲也が入ってくる。
「で、ですね。それで、あなたは、ゆ、ゆいなさんは、結局のところ、イタコ、だったの……ですか?」
楽しい会話を中断されられて、女三人に不満げに睨まれた哲也は、語尾をだんだん小さくした。
「哲也、お前、こういう場では強者たちにおもねるのが身を守る術だぞ」
「き、強者たち……お、オレは弱者……?」
「確実に弱者だな俺らは」
「で、でもオレ、いろいろと聞きたいのに。こ、功成くんも怒ってるし」
「だからなんで沙貴ちゃんはあんなにご機嫌なんだよ。僕は腹立たしいのに。おかしいだろ、きゃっきゃ楽しそうに」
「そりゃあれだろ、小娘って言われたからだろ。小娘言われてにこにこして」
「ヒコちゃんうるさいよ」
「すみません」
沙貴はさっと恒彦を黙らせて、こちらに興味深げに聞いて来る。
「ゆいなさんはそういう女性の避難場所みたいな施設を管理していたの?」
「ただのお世話係よ。そもそもあたしがそこに逃げ込んだの。で、お世話になって、年をとって、交代であたしが次に来る人たちのお世話をするって感じ」
「に、逃げ込んだんですか?ひどい目に……まさかゆいなさん、娘さんから離されてって」
「違うよー。自分で離れたの。あたしは祖母とは違うからね」
そしてゆいなは笑った。
「イタコはあたしの祖母が最後。最期の正当なイタコの血は、祖母で終わったんだよ。イタコは師匠がいないと修行もできないし、マニュアルも完遂できない。本物のイタコである祖母が亡くなって、正統なイタコはいなくなった。もちろん、偽物……いや、偽物っていうのもおかしいか。巫女の血筋ではないけど、修行を終えたイタコはまだいるよ?口寄せの術を行使し、みんなの悩みを聞いて、霊山と呼ばれるお山で未だに脈々と続いている。いまも」
でも、と謳うように告げた。
「あたしはイタコじゃなかった。イタコになれるような力もなかった。奪われたから」
「……奪われた……?」
誰かが呟いた。
ゆいなはゆっくりとアイスティーを飲み干す。それから、右隣の沙貴に紙ナプキンをぽいっと渡した。
「ありがと」
苦笑いで沙貴が受け取る。そして動きの鈍い左腕が当たったせいで少しだけこぼれた自分のコーヒーを拭いた。
「……この部屋に来た最初もさ。私の左腕がこんなで、右手だけ動かしているから、ゆいなさんはわざと私の右から左に移ったよね。だってゆいなさん、左利きだもんね」
左利きの自分の動きが右腕のみ動かす沙貴の邪魔になってしまう。
だからすぐに立ち上がって逆隣に移動したのだ。
「別に。だから慣れてんの、こういうの。あたしが暮らしてたのは、いろんな女性がいたところなの」
「ツンデレかわいい」
「ゆ、ゆいなさん……初対面のあのイヤなイメージがどんどん更新されて……胸がきゅんきゅんします!」
「あんたたちはもー。あんなに嫌なこと言われたのに鈴子ちゃんもあっさり過ぎない?いまの若い子たちってこんな単純なの?」
「え、もっと言ってゆいなさん」
「単純なの?」
「ち、違うと思います!その前、若い子たちってところだと思います!」
きゃははは、と三人の笑い声が室内に響いた。
「……」
はあ、とため息をついて、功成は背もたれに体を押し付けた。おもむろにスマホを取り出して触り出す。
そんな一抜けの態度を見て、恒彦もあくびをしながら怠そうにメニューを見始めた。
哲也だけ、オロオロと、しかし三人の会話の隙をうかがいながら話の続きを促す。
「え、あ、あの、奪われたっていうのは、あの」
「え?ああ、そうそう」
思い出した、とゆいなは頷いた。
あっちこっちと飛ぶ話が、ようやく筋道に戻った。
「……祖母はね、すごいイタコだったみたい。最期の正当な血筋だからとか、巫女の系統だからとか……そんな言葉では説明できないほどの強力無比なイタコだったって。……あたしもね、また聞きなんだけど。口寄せだけじゃないの。死者の声を聞いてそれを伝える、イタコの死者降ろしだけじゃないの。なんでもね、全部見えるんだって。何もかも。死者の姿、そこらへんに立っている死者たちの様子、行動、すべて。全部見えていたの。すごいよね、死者の声だけでなく、ほんとは姿まではっきり見えていたんだって。……見え過ぎて、死者のようなそうでないような、よくわからないものも見えてたの」
「よく、わからないもの?」
沙貴に目を遣る。
「そう。なんかね、自分に巻き付く、白いヘビ。みたいなものまで」
「……」
ふ、と沙貴が黙る。
いや沙貴だけでなく、全員が息を止めた。ような気がした。
「全部見えてて、それからさらに、先見。予知能力みたいなやつね。そしてそして、他にもあったの」
「な、な、そんな、ヘビに巻かれた人で、いくつも異能を……き、聞いたことない……」
哲也がひとり、喉を鳴らした。
張り詰めた空気が不意に溶けて、鈴子が息を吐く。
「ゆ、ゆいなさんのお祖母さん……すごいですね」
「うん。なんて言ったかな……昔々の、どこかの山間部にあった村にね、有名な巫女がいて……六ばあ様?ろく婆だったかな。六玉って称えられるほどの有名な巫女がいて、その巫女は途中で力を失ってしまったんだけど、その子々孫々薄く流れる巫女の血が辿り着いたのがあたしのお祖母ちゃん。……なあんてはるか昔に聞いた記憶があるんだけど、やっぱりねえ。忘れちゃうよね」
えへ、と可愛く顔を傾けて笑う。
哲也が真剣な顔をして「もっと詳しく」とメモを取ろうとしているけど、それは軽く無視した。
「それからねーさらにもうひとつ。お祖母ちゃんにはもうひとつ異能があったの。奪う力。『剥奪』ってあたしは勝手に言ってる」
「は」
「はく、だつ」
「……剥奪?」
功成だろうか。哲也?恒彦か。
話を聞いてなかったはずの者たちの呟きが、重く響く。
ゆいなは明るく、軽く、そして朗らかに謳う。
もうちょっとだし、もう終わるし、最後だし、もういいじゃん。ね?
「剥がして奪うの。相手から」
「……何を」
「ヘビを」




