150.空蝉7 あなたに夢中
お気に入りのカフェは、やっぱり夜が似合う。
しかし今夜はご機嫌になれない。
唯奈はテーブルに両肘をついてむすっと口を曲げた。
哲也について店に入ったら、そのまま個室に案内された。ソファに大きなテーブル、大人数用の部屋のようだ。「い、いつもすみません……」と店員に言っていたから、初めてではないのだろう。それは別にいい。
問題は、
「なあんであたしの他に女がいるの?」
「まあまあ。私も来てみたかったの、ここ」
唯奈の文句に楽しそうに答えたのは、沙貴と名乗る女性だ。
「リハビリも順調だし、もう外泊許可も出ているし。話に聞いても信じられなかったけど、本当なのね!あの古い喫茶店がこんなオシャレカフェに……!」
実に華やいだ声音で言い、きょろきょろと見回す。唯奈の左側に座る沙貴は、それから手を上げて……上げようとして、左腕を動かすのは時間がかかるようで一瞬の空白後、右腕をゆっくりと差し出した。
「よろしくお願いします、ゆいなさん」
「……イヤ。よろしくしない」
ぷいっと横を向いて唯奈はその腕を無視する。
それから立ち上がって、沙貴の右隣から左隣へ移動した。
「こっちのがいい。てっちゃんがいるもん」
沙貴と哲也の間に割り込んで、少し乱暴に座った。
「くくっ」
沙貴が、目尻を下げて微かに笑う。その余裕ぶった態度にますますイライラして、唯奈は哲也の腕にしなだれかかった。
「てっちゃあん。あたしまたカラオケ行きたーい」
「あ、あの!」
哲也の代わりに声を上げたのは鈴子だ。
沙貴の隣に空いた、さっきまで唯奈のいた隙間に詰めた鈴子は、授業中のようにまっすぐ手を伸ばした。
「て、哲也さんにべたべたするの、や、やめてもらえます?」
「ええ?なにそれ、笑える」
にやりと口角を上げ、そのまま哲也の腕にしがみつく。
「あー、どうしても胸が当たっちゃうのよねえ、こういう姿勢だと。その点鈴子ちゃんはうらやましー。どんな体勢でも当たるもんがないもんねえ」
「……っ」
真っ赤になってぶるぶる震える鈴子がおかしくて仕方ない。と、鈴子のさらに隣の恒彦が唯奈以上に大笑いした。
「たった一言でやり込められてどうする鈴子。今日は気合入れて頑張るって言ってたじゃねえか、徹底的にやり合え。今の時点でお前完全に敗北者だぞ」
「ひ、ヒコ先輩のいじわるっ!沙貴さん沙貴さん!ヒコ先輩が全然味方してくれません!」
「ヒコちゃんは常に平等で公正なのね」
「ヒコちゃん言うな、沙貴さん。そういう感じで言われると恥ずかしいし気味悪いしたまんねえ気持ちになるから、やめてくれねえか」
「さすがですね沙貴さん!たった一言でヒコ先輩をやり込めるなんて」
「鈴子ちゃんも頑張って」
「はいっ」
萎れていた鈴子がきりっと再びこちらを向く。
「て、哲也さんにくっつかないで!」
「やだー。そんなに怒るなら鈴子ちゃんもてっちゃんに抱きつけばあ?ほら、べたっとくっついてみなよ」
「え、や、そ、そんな」
「なんで哲也、お前がキョドるんだよ」
「哲也さんっ、なんできっぱり言わないんですか、くっつかないでって!離れろって押し返してくださいっ」
「えー、てっちゃんゆいなにそんなひどいこと言うのお?離れろって押されたら、ゆいな怪我しちゃうかも」
「い、いや、そんな、あ、危ないことはオレ苦手で、ちょっとそれは」
「……哲也さんのばかっ」
「えっ」
「顔色一瞬でおかしくなってんぞ哲也」
「す、鈴子ちゃん、な、なんで、確かに、お、オレ義務教育すらやばいけど、オレ今は頑張って勉強もしてるから、鈴子ちゃんに馬鹿って思われると、お、オレもっと頑張るからお願いだから、そ、そんな風に思わないで」
「……ぐっ……すがるような顔と可哀そうな声が可愛い……っ。……うう、すみません……ば、ばかなんて思ってないです……変な事言ってごめんなさい……」
悔しそうに拳を握りつつ絞り出すように言う鈴子に、隣の沙貴が「ふうむ」と感慨深げに頷いた。
「なるほどね。鞘子に聞いていたんだけど、魔性の男ってこういうことか」
「お、マジか。哲也の底なし沼に沙貴さんも向かうんか?」
頬を歪める恒彦に沙貴は首を振る。
「申し訳ないけど、私最近ね、なぜかわからないけど好みが変わったの。ずっと年上の、儚い感じの男性……年がかなり上でもいいから、とにかくひ弱で、ふわっと消えちゃうような儚さの人がいい。なんでだろうね、そう思うようになってさ」
動く右手を頬に当て、うっとりと宙を見つめ出す沙貴の突然の発言に、場が盛り上がる。
「なんだその人物像」
「え、沙貴さん、そんな仙人のような人がいいんですか?」
仙人て、とひと笑いして、なぜかぐるっと首を回して唯奈に聞いて来た。
「ねえ、いいと思わない?」
唯奈はふんと鼻を鳴らす。
「儚い?儚くてご飯食べていけるかって感じじゃん。大事なのはどんくらい稼ぐか、実家がどんくらいお金持ってるかよ」
鈴子がはっと姿勢を正し、ここぞと唯奈に噛みつく。
「そ、そんなの、自分が稼いで食べさせればいいじゃないですかっ。大事なのは心だと思います、そ、そんな計算づくで好きな人を決めるとか」
唯奈は、思いっきり目を細めた。
「やだー、好きだと思った相手に骨までしゃぶられて終わるタイプう。ほんと、鈴子ちゃんは胸ない上に経験も想像力もないわねえ」
「な、な、何を」
はっきりと吐き捨てる。
「稼いで養ってあげるって言って男に貢いで幸せになった女なんて見たことないわよ。まずはお互い、もちろん男側も自立してこその心の交流でしょ」
「……うわーん、沙貴さんっ」
「よしよし。ぐうの音も出ないね、鈴子ちゃんファイト。でも儚いってところは私も譲れない」
「儚いってね、言い方変えれば根っこがない、実体もない、単なる幻のような存在ってことよ。そんなふわふわカスミ食って生きてるような人間、必死に守ってるうちにこっちは疲弊してボロボロになって終わりよ」
「……説得力ある」
「もうちょっと現実的な相手を探した方がいいよ、探すことを許される時間も一番少ないじゃん?おばさん」
「うっ」
胸に手を当てて、沙貴が撃ち抜かれたように目を閉じた。
「おば……」
「お、おばさんだなんて!沙貴さんは若いですっ」
「ありがと鈴子ちゃん……フォローが優しいね……」
「さ、沙貴さん、おばさんと言うのは、そ、そもそも、自認の範囲が人それぞれでして子どもなどに対して自称として使ったりもするし、あ、あの中年期以降の方々を揶揄する意味も」
「哲也くんは慌てすぎてフォローになってないよ」
「まあ俺も俺より年上だからこれでも気を遣ってるしな」
「ヒコちゃんはそもそもフォローする気もないね」
唯奈は笑った。
「ふふ」
おかしくて、思わず笑った。
「楽しい?」
こちらを見て目をたわませて沙貴が笑う。
「別にー」
答えて、そっぽを向いた。




