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144.空蝉 あなたに夢中



 目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤め。

 祖母の言葉を唐突に思い出した。


 目を閉じて何も見るな。耳を塞いで聞こえないふりをしろ。

 すべて知っていても、口を噤んで語るな。



 祖母は生まれつき目が見えず、そのためか耳が異様に発達していた。

 と、母から聞いた。

 唯奈ゆいながまだ幼かった頃だ。


 祖母はイタコだった。




「イタコ、だったと。き、聞きました」


 唯奈は目の前の男を眺めた。

 色白でひょろっとしている。高校生の唯奈より年上で社会人らしいが、ずいぶん幼く見えた。


「おばあちゃんがね。でもだいぶ前に辞めてる。体も動かなくなってきて、ちょっとボケちゃったみたい」


「……い、今は?」


「入院してるけど?でも一日中ほぼ寝てる。体が痣だらけで、寝返りすらしてないのにね。なんかの皮膚の病気かなあなんて検査もしてるけど、わかんないって」


 ずっと寝ているから、起きて話している姿をほとんど見たことがない。というか、唯奈は病院へあまり行かない。


「だっておばあちゃんって言っても、知らない人だもん。イタコってなにってレベルだし。おばあちゃんがいるって聞いたのも、本人がイタコ辞めてボケて入院して、初めてお母さんがあたしに話したのよね。おばあちゃんがいるのよって。マジかって話じゃん、この年で初めて母方の祖母の存在を知るなんて」

 唯奈はアイスティーを飲み干して、そのまま氷を噛み砕いた。


 深夜まで営業しているこのカフェは、最近の唯奈のお気に入りだ。

 おしゃれだし、窓際の席に足を組んで座っているだけでよりイイ女になった気分になる。

 全面ガラスで歩道側から丸見えなのもいい。

 街を歩くそこらへんの女よりも自分のがカワイイことがよくわかるし、格好いい男を見逃すこともない。

 目の前のひょろい男、哲也に連れて来られて初めて知った。最初この店の場所を指定された時は正直、期待していなかった。哲也のイメージがまだ見ぬ店のイメージだったのだ。

 つまり、陰キャ。陰キャ御用達のお店、みたいな。


 しかし、実際は洗練されたシックなカフェ。

 それに、と内心笑って唯奈は正面の男を見つめる。


「案外いい男なのかなーって思い始めたんだよね。……年上なのにかわいいってツボかも」


「え?」


「ね、もう会って三回目だし、そろそろ名前で呼んでいいよね?哲也って」


「え?え、ええ?あ、うん?」

 哲也は首を傾げて、そしてどもった。


 陰キャだもんね、かわいい奔放タイプの女の子にぐいぐい来られるのは弱いはず。あたしに夢中になっちゃったらどうしよ。


「哲也っておどおどしてるのに、実はじっくり相手を観察してるよね?あたしのこと、毎回ずっと見てる。頭からつま先まで。そんなにあたしから、目が離せない?ちょっと照れちゃう。あ、嫌じゃないよ。意外に情熱的なんだなーって思ったの」


 ちょこっと自尊心をくすぐって、あとは優しくからかってドキドキさせる。


「それにすごく紳士。乱暴なこと言わないもん。あたし、そういう人結構好きだな」

 にっこり笑って肘をついた両手に顔をのせる。くるんと耳の下ではねたショートの茶髪が、ピンクの唇が、さりげなくシャツの隙間から見せる谷間が、きっとこの男に突き刺さっているはず。


「……う、ん……。じっと見てて、ごめんなさい」

 哲也は小さく謝って、銀縁の眼鏡を外す。そして両目を擦った。


 ふふ、照れてる。年上なのにかわいい。やっぱツボ。

 夜のカフェは客層も大人で、静かな空間に流れるジャズも特別感があっていい。

 唯奈は満足げににっこり笑った。

「お肌綺麗だね、哲也」


 そっと手を伸ばして青白くこけた頬を擦ると、びくっと仰け反った。


「あ、ごめん」


 いきなりボディタッチは早かったか。固まった顔へ軽く謝ると、ぱちっと瞬きを返された。


「あ、いえ。……び、びっくり、して……」


「ふ、ふふふっ」


 呆然と呟くのが面白くて、本気で吹き出しちゃう。

 女の子に触られてそんなに驚くの?

 いや、あたしだからか。もう、確実にあたしのことで頭いっぱいだよね。この人。


「哲也、うーん、もっと仲良くなれるようにあだ名で呼ぼっか。てっちゃん。どう?てっちゃん」


「い、いや。ごほん。ご、ごめんなさい、あの、話の続きを」


「あたしのことも唯奈って呼び捨てでいいよ」


「……あ、あの」


 畳みかけるように話しかけると、哲也はぐっと背を後ろに伸ばした。

 女の子に慣れていない男に対して、ちょっと強引にいきすぎたかな?

 あたしみたいなカワイイ子と親しく話して触られて、ぐいぐい来られて明らかに混乱しているんだね。まあ、気持ち想像できるけどね。嬉しすぎてどうしたらいいかって感じなんだよね、わかる。

 仕方なく話題に戻ってあげる。


「あーうん。イタコのおばあちゃんの話でしょ?でもあたし、ほんとに何も知らないよ」


 ちらっと窓の外を見ると、夜の街に車のライトが長く伸びるのが見えた。

 そして、窓ガラスに反射する、あたしをじっと見つめている男の横顔。

 唯奈のガラス越しの視線に気づいたのか、哲也がわざとらしく咳払いした。


「ごほん、は、はい。でも、あの、イタコ時代の、何か変わったエピソードとか」


「だあから。何も知らないの、あたしは」


 手をひらひらと振って、唯奈は上目遣いをする。


「おばあちゃんがいるのを知って、病院で初めて対面して。でもおばあちゃんは眠り続けているから、直接話したこともないし。お母さんが昔のことをちょっと教えてくれるだけで……」


「そ、それです。それでいいので、オレにも教えていただきたいと」


「ううん、でも、それもほんの少しだけなの。おばあちゃんは生まれつき目が見えなくて、それでなのか耳がとてもよかったとか。小さな頃から家を出されて、イタコ修行?っていうの?そういうのさせられてたとか」


 唯奈は言いながら、指を顎につけて小さく首を傾けて見せる。

 かわいく見える角度、小顔に見える仕草、あざとくても魅力的な表情。

 あたしはそういうのを無意識に、自然に、どんどん繰り出して相手を惹きつけるのが好きだ。駆け引きが楽しい。


 目の前の男が思い通りにあたふたしたり、ぽやんと見惚れたり、そして自分に夢中になってくれるのが一番楽しい。

 そのために綺麗な服を着て化粧して……楽しい!


「ね、おばあちゃんのことなんかもういいじゃん。このままどこか遊びに行こ?買い物もいいし、ゲーセンにも行きたいっ」


「そ、それは……ちょっと、オレも行きた……いやいやいやっ」

 慌てたように哲也が首を振る。

「あ、あとで人が来ますし。もう少し、もう少しオレと話しましょう?ゆ、ゆいな……さん」


「唯奈でいいよ。ね、その後から来る人って男?」


「あ、はい」


「ふーん。じゃあもうちょっとだけお話ししよっか」


 ほっとしたように哲也は笑う。ついでに眼鏡をかけ直して手元のスマホに目を落とした。

 つられて唯奈も自分のスマホを軽くいじる。それをふと眺めて、哲也はまたじっとこちらを見つめて来た。


「ゆいな、さんが」


「唯奈。あとタメ語で。そうじゃなきゃしゃべんないよ」」


「……ゆ、ゆいな、が、オレの話を聞いて誘いに乗ってくれたのは半年前。それから、この店で会うこと今回で三回目。でも、さ、最初は。最初は、知らない人間から、電話がかかって来た……ということだよね?」


「ああ、うん。そう」


 素早く画面を確認して、唯奈はスマホを置く。そんな唯奈のためにアイスティーのおかわりを頼んでくれた哲也は、店員が去った後ゆっくりと腕を組んだ。


「さ、最初に電話がかかってきて……そのスマホに」


「うん。突然、あたしのスマホに知らない番号からかかって来てさ。てっちゃんからの電話の前、今から半年前だよね。いきなり変な話をするの、名前も名乗らずに。あなたの祖母様はいま、健やかにお過ごしですかって」



 あなたの祖母様は、健やかにお過ごしですか。



「……」

 黙りこくった哲也にひらりと手のひらを見せる。


「なんか、年を取ってるようなそうでないような、よくわからない男の声だったよ。イタコだったと聞きましたが今どうですか、その頃はどんなでしたかとか。どうしてそこまで詳しく知ってんのって感じで気味悪くてさ」


 唯奈はその時のことを思い出しながら二杯目のグラスを持ち上げた。






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