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143.元お山信仰4



 老婆は右と左の分岐点に立ったまま、再び目を閉じようとした。が、かしましい高音の声にしわを歪める。


 ふもとから上って来たのは見たことのない男と、それから時々見かける小うるさい若い女だ。


「ねえ、大丈夫?オミ、顔真っ青」

「ちょっと……吐きそうなほど気分悪いが……でも君の家の家庭訪問は早く適当にささっと済ませたいから、後回しにするのは嫌なんだよな……」

「相変わらずすごいこと言うね」

 よろよろと足を運ぶスーツの男に目を留め、おや、と老婆は口の端を上げた。


 随分珍しい、先々代の鞘じゃないか。


 あの、耳目の異様に発達した先々代の剣。始祖阿玖似や女帝阿佐斗さえ凌ぐと思われる最強の剣の、その鞘。


 初めて見た。どこに隠れておったのか。


「先々代の鞘か……」

 現在の剣のように、鞘のない剣は多い。しかし「先々代」、そして「先代」と続けて鞘は出現した。剣本人とは会えてはいないが、鞘は出現していたのだ。

 老婆は、先々代のその鞘を間近に見てわずかに首を傾げた。



 おかしな鞘だ。

 剣の器からこぼれ落ちた力を注がれ生まれる鞘は、己の剣に似た特徴を発揮する。剣に比べれば数段薄まった特徴だが、この先々代の鞘もわずかにそれが見える。

 先々代の剣は特に見聞きに秀で、先見の明が突出していた。同じくその鞘であるこの男も、見聞きの力と先見の明のおこぼれを継いでいるようだ。それはいい。

 

 おかしなことはふたつ。

 ひとつ、先々代の剣の言霊が男を守護している。

「なるほど」

 剣は通常、自分の鞘に会えることを生涯通して望んでいる。が、先々代の最強の剣、確か未央という名だったか……は、真逆に「鞘には会えずに生涯終える」と言霊を成したようだ。結果、鞘は剣に会えず、鞘の役割を果たせなかった。そして鞘は、こんなにも稀有なおこぼれの力を持つのに誰にも知られず人界に埋もれた。

 剣は鞘を、害なす万物に「見つからないように」隠したのだ。

 だからこんな時分まで、この鞘は誰にも、そう、自分にも見つからなかったのだろう。


 もうひとつは、二重鞘。

 この鞘の男、なぜかもうひとつ鞘を背負っている。

 鞘が、鞘を背負っている?

「……おや、これは。今代の剣の鞘だったものか」

 脂汗をしきりに拭いながら歩く男を眺めて、老婆は嘲りの笑みを浮かべた。

 生まれなかった今の剣の鞘。先ほどの若い男の、鞘だ。それをなぜかこの男が背負っている。

 役割のない、剣に会えなかった鞘。

 生まれなかった鞘。

 中身のない空っぽの鞘が、空っぽの鞘を背負って生きている。

「ほんに愚か。不可解で卑小なものだ」


 老婆はおかしくて、久々に、そう六年ぶりほどに心から笑った。




 人はおかしい。

 自身の生も狭小なのに、他者に干渉しようとする。善であれ悪であれ、他者にまで踏み込み、支配、排除、隷属、協調、保護、奉仕、さまざまに成そうとする。

 剣も人で、だからどんな剛の器をもっていようと虚弱で卑屈だ。それなのに己以外のものをどうにかしようとあがく。実に醜く滑稽だ。


 各地に散らばりお互いを知らないはずの剣や鞘が、各世代それぞれになぜか影響し合っている。それは本人も及ばないところで確かに強固な鎖となり、お互いを縛る。


 老婆のような存在の目まで、誤魔化して。


「……ほんにおかしい。腹がよじれてしまうわ、卑小な人どもめ。卑小な剣鞘どもめ」


 老婆はおかしな気分で笑い続けた。


 あの女、そう、沙貴。老婆の気に入っている女。

 あの女、生を終えたら、体が腐らなかったら、首をやると言っていたのに。貸したマフラーも返さずに。

 では、と楽しみに首を取りに行ったら、わけのわからない強固で頑丈な言霊が守護していた。それこそ、一分の隙もなく何もかもを跳ね返すほどの金剛の言霊だった。


 絡み合う繊維の奥の毛羽立ちのように、複雑に影響し合う剣と鞘。


 先代の剣、名はなんだったか。そう、有之介だ。あの弱すぎる剣。

 弱いのに、最後の最後にあり得ないほど巨大な火薬を仕込んでいった。


 沙貴は今代の鞘のない剣、功成を守る。が、もっと強固に守らせようと、有之介の鞘が暴走する。有之介の鞘はおこぼれの言霊で沙貴を追い詰める。その沙貴を、有之介が仕込んでいた言霊が守る。



「ああ、醜い。醜い矮小なものどものおかしみが途切れなく続いておるわ」


 最初から続いている。



 始祖である阿玖似から始まった血が、国の支配を実現した影の女帝阿佐斗を産んだ。

 阿佐斗は未央のために、本人も知らず後の巫女の血を途絶えさせる言霊を発した。

 阿佐斗の鞘の暴走が、未央の人生を決めた。

 未央は人生に苦しみつつ、自分の鞘を隠した。

 阿佐斗の言霊が、功成から鞘を奪った。

 功成が鞘を失くして、有之介の鞘が暴走した。

 有之介の鞘が沙貴を追い詰めた。

 沙貴を、有之介の言霊が守護し続けた。

 有之介が沙貴のため自ら仕込んだせいで、一度役割を終えたはずの未央が再度見える人の地位を担うこととなった。

 悲しんだ未央の鞘が、功成の消えた鞘を背負った。



「……おかしなものどもめ!」


 

 先代の剣、有之介の鞘は。有之介の見聞きの力が脆弱であったゆえ、見聞きの力を継がなかった。老婆の姿を見たことも感じたこともないだろう。

 そう、あの若い男、今代の剣人功成の母親だ。

 その代わりに彼女は、異端とも言うべき格別の力、「言霊」と「先見の明」を継いだ。

 だから老婆に会いに来ていた。姿も存在もわからないはずなのに、真っ白な編んだばかりのマフラーを手に、がたがたと震えて真っ青な顔をしていた。

 このマフラーを供えますね、だから、と有之介の鞘は歯の根を鳴らして言った。

 だから誰かが借りに来たら、あなた様のそのマフラーを、ヘビを、貸してあげてください。

 どうか、と。

 

 老婆は狂喜した。


 言霊は成り、先見の明通り、沙貴が来た。ヘビを貸してくれと。

 喜びに腹の底が震え、沙貴の全身に白いヘビを巻き付ける瞬間のあの興奮は今も忘れていない。

 体は腐るか、目は潰れるか。生意気な声は途絶えるか、無様な背骨は崩れるか。常に敢然と振り仰ぐその首を、こちらに寄こす時が来たか!


 それなのにこれだ。

 有之介の命の果ての言霊は、老婆の侵食する隙間すらなかった。


 そして沙貴は生きている。


 この、見える人どもの、この卑小で虚弱な人どもの、なんと小賢しいことか!生き汚いことか!

 延々と続くこの鎖の、なんと、なんと……強靭なことか!!



 われが。

 われが作ったのに。



 なぜ想定の外をいく。




「……」

 老婆はふと息を吐いた。


 初めて見た目の前の鞘の男、見聞きできる「先々代の鞘」は興味深かった。

 つい先ほどの気まぐれと悪戯心が老婆の両手をまた握らせる。澱んでいた感情を持て余し、先々代の鞘である男へ向かって、腕が差し出される。



 完全な気まぐれだった。




「選べ」




 低い声を発すると、男はびくっと青白い顔で振り仰いだ。

 老婆と目が合う。その額に、みるみる冷たい汗が浮かんだ。


「右は鬼門、左は申。合わせると憑き物。特別だ、お前にも選ばせてやろう」


「……っ」


 男は青い頬を引きつらせて飛び退く。大きく体を震わせ、「う、うわ、うわ、わ」と不明瞭な叫び声をこぼした。


「え、何。オミ、もしかして今日は年に一度の見える日?あの、月一度の女の子の日のような」


「ば、馬鹿なことを言っ……、さ、鞘子、さん、俺はここはちょっとまずい……っ」


 若い女の能天気な問いにかぶせて、男はその場にうずくまって激しく嘔吐した。突然のことに戸惑ったらしい若い女がその背を擦る。


「え、なに。何か見えるの?そう言えばお兄ちゃまが、この道はあんまり通らない方がいいって言ってたけど」 


「そ、そういうことは早く言え……!だったらこんなとこ通らなくても、表通りから家まで案内してくれればっ」


「だって近道じゃあん。で、何がいるの?ねえねえ」


「……っ、説明できん……っ」


 男は這い蹲って吐くと、荒い息をして袖で口を拭う。そして弾みをつけて立ち上がった。


「い、行くぞ!走れ、鞘子さん!」


「ええ?ヒールで走るの嫌だあ」


「うるさいっ」


 若い女の派手な色合いの襟を引っ張り、男が老婆からわざとらしく目を背ける。


「どちらかひとつだ、選べ」


 その様子がおかしくて老婆は両の手を掲げた。


「し、ししし知らない、どちらもいらないっ。さ、行くぞ」


 どもって言い放ち、男は力尽くで右側の道に戻ろうとする。


「ええ?何が?何がいらないの?」


 若い女が猫の子のように引きずられつつ、不満げに頬を膨らませた。


「何かもらえるならもらっときなよ」


「馬鹿なこと言うな!ほら、さっさと歩けっ」


「いいじゃん、どうせタダなんでしょ?それに、どちらもってことはふたつ?じゃあさ」


 右側の道の頂上は、陽光が差し込んで丸い水面の出口のごとく光り輝いている。





「ふたつとももらっておけばいいじゃん」





 若い女の軽い声に男の叱る声が綺麗に絡まって右側の果てへと消えて行った。

 老婆は杉の根元に立ったまま、両の手の甲を合わせてそれをじっと見つめる。




 右は鬼門、左は申。


 ふたつ合わせると





 不意に笑んだ口の周りに、日差しになびく毛が溢れた。








こちら、元お山信仰の答え合わせはもう少し後です。申し訳ないです。

久々のお山の老婆でした。


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