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138.最後の言霊8



 十年ある。

 それを、四年で切り上げた。自分の意思で。


「きりあげる?」


「そう。無理やり。十年と言って言霊を成立させたのに、僕、勝手に切り上げちゃったんだ。……僕がいなくなるのは、本当は六年後なんだ。うーん、この六年はどうなるんだろう。誰か、代わりに割り当てられるのかな?」


「なにが、わりあて?」


「役割、かな。僕もよくわからないけど、なんとなくわかるんだ。各世代にひとり、必ず隙間なく繋がれていなければならない。でも、六年早まったからね、僕の後ろの人はまだ生まれない。僕の前の人がまた六年だけやってくれるのかな?」


「うしろ?まえ?」


「うん。勝手だよねえ僕。誰かに役割を押し付けて自分の分を切り上げちゃう。いやほんと、申し訳ないとは思うけれども、謝ることもできないしね。悪いとは思いつつ……もうこの六年の生命力を使うと決めてしまったんだ。アクガルのも、言霊も、もう止められない」


 自分勝手な悪魔だ。

 もし、前の人が役割を振られたなら。その人は想像を絶する苦しみを、再び味わうことになる。ようやく安らぎの世界へと旅立てるはずが、また地獄の日々へ逆戻りだ。


 裏切り者だ。見える人という脈々と繋がる種の裏切者だ。

 それでも。


 ごめんなさい、とどこか遠くに向かって呟くような男の子に、なぜか悲しくなって沙貴は首を振る。


「……よく、わからない」


 するとなぜか、とても嬉しそうに微笑まれる。


「ふふ。本当に真咲さんにそっくりだな。彼女もそう言ったんだよ。あの頃。毛糸でね、たとえ話をふたりでしてたんだ」


 冬だったな。寒いのに温かかった。


「……そういう記憶があるって、とても幸せだ」



 記憶は時に心臓を突き刺し、呼吸を止める痛みに変わる。

 それでも思い出すたびに微笑むならば、それは幸せ以外の何ものでもない。


 だから僕は最期にこんな力を残せた。


 男の子はとろけるような目をして笑った。

 

「うん。沙貴ちゃんはわからないよね。それでいいよ。君は、僕から、ただ与えられていればいい。僕からただ受け取って。僕から、ただひたすらに」



 あいされていて。



「最強の言霊をあげよう」


 改まった軽やかな声音に顔を上げる。

 失敗はあり得ない、と続けた顔は、それでもやっぱり溶けて笑っていた。


 僕の言霊。失敗は絶対にない。


「君に言霊を送ろう。言葉通りに物事が成る。これから過ごす幸せな日々で、万が一、どうしても自分の力では回避できない出来事が起こってしまったら」


 少し難しいかなあと含み笑いの気配がした。



「……どうしても苦しくて。辛くて痛くて、でもどうしようもなくて、たった一度だけ、助けが欲しい時が来たら」



 僕の命をあげる。



「僕の命をあげる。この六年をあげる。その六年の間に、君はゆっくりと、静かに、眠るようにして、再び歩き出す力を溜めればいい」



「一番、こまった時ってこと?」


「そう。もっとも助けて欲しい時」


 意味が飲み込めないふわふわとした気分のまま、沙貴はどうしてか詰まる胸を押さえた。


「たすけてくれるの?」


「うん。僕が助ける」


 風が止んだ。



 僕が助ける。

 これは犠牲ではなく、そうだな。なんて表現しようかな。そう考えて、「無償」って思いついたんだよ。


「無償の愛」


 君は僕の六年分の生命力を注がれて生きる。絶対に。




「言霊。君が一番困った時、僕が助けてあげる。……それまでは、忘れていいからね」

 

 一番困った時に、僕が助けよう。

 命の残り六年を、君の再生のために捧げよう。

 


 男の子はそう呟いて、沙貴の額に触れた。


 冷たい指が額を横になぞり、鼻筋を辿る。

 親指で頬を撫でられた瞬間、その指が細かく震えているのに気付いた。


「……ああそうだ。呪文を決めておこうか」


 ふと楽しげな口調で誘われ、視線が絡む。男の子は陽の光よりも眩しいものを見るように眉尻を下げた。


 唇だけが、いとしい、と動いた。


「おまじないだよ。それを唱えれば、言霊が成る仕組みにしよう。時期を間違えたりしないように、言霊の力をいざという時までちゃんと取っておけるようにね。困ったときに呪文を唱えれば、言霊通り僕が助ける。……何がいいかな。ふたりだけの秘密の合言葉」


「ひみつの合言葉?」


「そう。沙貴ちゃんがそれを唱えたら、僕が助けるから。僕の言霊が君を助ける。どうしようか……そうだな」


 相談するふりをして、決めてあるようだった。

 男の子の整った顔立ちが歪む。そして桜色に頬が染まった。


「えっとね。これにしよう。……さん」


「え?え?」


 照れて俯くものだから、聞き取りづらい。沙貴が眉をしかめると、言い訳するように唇を寄せて来た。


「いいじゃないか。だって一度だけでも言って欲しいんだ。……いいかい、この合言葉は、ひと文字も間違えてはいけないよ。『お』をつけたり、カタカナで呼んでも駄目。ちゃん付けもやめてね」


 母さんと同じことを言う。


「それから、他の男の名を呼ぶなんてもってのほか」


 最後にふざけた口ぶりで笑い、沙貴の頬から手が離れた。


 温かいはずの風が吹いて体温を奪う。喉が張り付いてしまった沙貴に、男の子は優しく腕を広げた。




「一番、助けて欲しい時に唱えて。君だけのおまじないだから。じゃあね」




 背後で玄関の開く気配がして、沙貴は慌てて首を回した。

眼鏡男が半身を外に出して肩を怒らせている。その向こうで母さんが、とてつもなく強い釣り目でにらみ付けていた。


 これは手助けしに行かなきゃ、と沙貴は顔を戻す。


「……あれ」


 男の子の姿はなかった。


 玄関を蹴る音がする。口調だけは丁寧な母さんの黒髪が凛と日差しに映える。


 沙貴は身を翻して駆け出した。





「言霊の合言葉はこれにしよう。……ね、沙貴」




 男の子の恥ずかしそうな声が耳の奥で転がっている。



 それは一生言わないかもしれないと思っていた言葉と偶然にも同じだった。



 と


 ……ん



 胸の内だけでそれを呟き、確認した沙貴は、腕を大きく振って走る。

 走る走る。


 その背中を、春風にしては力強い何かがそっと押した。










「合言葉」については56話「沙貴と、」にて。


また「アクガル」については130話番外編に説明があります。


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