30 和解
『とんこつらーめん四迷』隅のカウンター席。
長谷川創汰は隣の席を視界の端に捉えつつ、ひとりグラスを傾けていた。
(……)
創汰の隣には誰も座らない。創汰は努めて気にしないように、カクテル(オレンジジュースとサイダーを自分で混ぜた)を傾ける大人な自分を演出していた。
学園祭の打ち上げ会場となったのは『とんこつらーめん四迷』だった。清掃部晴人の父親の好意で、学校にほど近い清掃部グループの一店が、一年一組の打ち上げ会場として提供された。会費一〇〇〇円で食べ放題飲み放題なのだから、清掃部グループの大盤振る舞いだった。買収回避に成功して気持ちが大きくなった晴人父の影が、創汰には透けて見えてもいた。
うえーい。
一言でいうならそんな盛り上がりをみせていたのは、もちろん清掃部晴人一派のテーブルだ。その中には、イランフェスティバル成功の立役者として奉られるファルリンもいる。晴人の隣には笑顔の天乃雀が座っていて、さらにその隣には旧校舎の一件でスズメと仲良くなった陽奈がいた。
「……店長、とんこつ一つ」
「あいよ!」
創汰の注文に答える店長は、相変わらず「とんこつ一筋」のTシャツだった。
――寂しいわけなどあるはずがない。
自分の隣だけ不自然に空席ができる、という事態は創汰がよく遭遇するものだった。例えばやや込み時の電車。例えば昼食時の食堂。例えば視聴覚室での「教材ビデオを見せるから適当に座りなさい」。幾つかの場面は明らかに気のせいで済まされたけれど、幾つかの場面は明らかに気のせいで済まされなかった。創汰はその理由を追求したりはしない。追求すればとても鋭い答えが導かれそうな予感があったので、すべきではないように思えた。
「やーい、ぼっち」
創汰に鋭い答えが突き刺さる。
うえーい。を抜け出してきたらしい陽奈が、創汰の隣に腰かけた。
「創汰もあっちに混ざったら? スズメちゃんも話聞きたがってたよ」
陽奈は「スズメちゃん」の部分に、妙な含みを持たせる。話、というのは勿論あの日の英雄譚のことで、創汰もこのたびのヒーローの一人として数え上げられてはいた。
あの日、北西高校から無事連れ帰ったスズメに、クラスメイトたちは殺到した。スズメは「晴人君が助けに来てくれた」とみんなに説明し、晴人は「違う、ほとんど長谷川と光城の手柄だ」と否定し、そして創汰は「いや、八割がた陽奈の仕事」と遠慮し、陽奈は「ううん、みんなが来てくれたおかげだよ」とそれぞれが事実を言ったから、名誉は公平に行き渡った。
ふと見ると、晴人の隣で微笑むスズメがいる。スズメの笑顔の魅力をたくさん知っている創汰でも知らない笑顔をしていたから、スズメは今とても幸せなんだとわかる。今回の件で、二人はもはやお似合いの公認カップルとして語られるようになっていた。
「……別に話すことなんてないよ。ってか、善だの悪だのを避けて話す自信がない」
創汰が言うと、陽奈は「そうだね」と少し切なげに笑顔を作る。
似た者同士なのかもしれない、と創汰は思う。
陽奈も晴人が好きだったはずだ。
「……そういえば、創汰は善行点のノルマ大丈夫だった?」陽奈は声を潜める。
魔王を倒した功績が大きかったらしく、創汰には一気に三〇〇ほどの善行点がプラスされていた。ノルマの一〇〇は余裕でクリアだ。陽奈も似たような点数が入っていたらしく、「なんか一発大逆転ボーナスっぽい点数だよね」と笑った。
「倒したのが悪役なんとか連合だからだろ。高得点が貰えるって協会の人が言ってた」
「創汰の方に『邪神』の点数は入ってた?」
善行点の内訳はアプリで確認できる。
「入ってない」
「やっぱり。わたしも貰ってないんだよね」
「あれは倒したうちに入らないんだろ。ただの被災?」
「――なにやら善やら邪神やら話していますか?」
割って入った第三者の声に、創汰と陽奈はびくりとする。
いつからいたのか、背後にファルリンがいた。
「善やら悪やら、ザラスシュトラじゃあるまいし」
やれやれといった感じで、ファルリンは陽奈の隣に腰かける。
――危なかった。
創汰と陽奈は仲良くほっとする。
正義ノ味方や悪役連合以外の人間に正体がバレたら、即動物になってしまう。
「ザラスシュトラってなに?」創汰が訊ねる。
「ザラスシュトラはザラスシュトラ教の教祖ですね。大昔のイランの宗教。ギリシャ語だとゾロアスター。ドイツ語だとツァラトゥストラ」
「ゾロアスター教なら世界史の教科書で見た気がする。確か……二元論だっけ」
創汰は世界史の教科書を、チートの力ですでに読破していた。
「そうです。現世は善と悪の闘争の舞台であると説きました」
創汰は複雑な笑みを浮かべる。
見ると、陽奈も同じ顔をしていた。
「わたし考えるんだけど、悪ってなんなんだろうね」
誰に言うともなく陽奈がつぶやく。
「悪!」と、即答したのはファルリンだった。
「そんなものはとんこつに決まっています」
カウンターの向こうで店長が固まる。
「とんこつは悪魔の料理ですね。それなのに打ち上げがとんこつ会場なのはワタシ不満。立役者なのに食べられないのはどうなっていますか」
ファルリンは憤然として、サイドメニューの焼豚おにぎり(具抜き)を囓る。
一年一組が学園祭で大成功を収めた中心に、ファルリンの活躍があったのは言うまでもなかった。破壊されたペルセポリスは、その惨状を不憫に思った他クラス、他学年の生徒の助けも加わって、一夜にして復興を遂げた。自分も学園祭奇跡の復興ストーリーの一員でありたい――そんな生徒たちの願望が波のように押し寄せて、過剰支援気味でさえあった。ファルリンプロデュースのイランカフェも、学園祭らしからぬクオリティともの珍しさが評判を呼んだ。イランの揚げ菓子ズールビヤーは全て売り切れ、角砂糖を頬張りながら飲むイラン式紅茶は常にカップを空にし、展示したペルシャ絨毯やペルシャ猫は全ての来場者に愛され、色とりどりのヒジャブを着用して接客する女子たちや、生のBGMを提供した晴人のイランバンドも喝采を浴び続けた。
結果として一年一組は、学園祭人気出しものアンケート一位の地位を獲得したのだが、その一連のとんとん拍子ぶりを創汰が一言で表現するとしたら、それは「神が起こした奇跡」とでも言うしかないように思えた。
「――まったく。ハルトの店じゃなければ許さないところです」
ファルリンはぷんすかとオレンジジュースを傾ける。
「お兄さん、お待ち!」
と、創汰が注文したとんこつラーメンがカウンター越しに提供された。
そしてファルリンの前にもとんこつラーメンが提供される。
目を丸くするファルリンに、「イランのお嬢さんも、これ食ってみてくれ」と店長。
ファルリンは真顔で店長を見上げて、「戦争しますか?」と微笑んだ。
「違う、違う」
店長は慌てて首を振る。
「この前、お嬢ちゃんが怒ってんの見て俺は考えたんだ。イスラム教の人にも、なんとかとんこつを食わせてやれねぇかなって。こんなうまいもんが食えないなんて可哀想だなって。それで開発したのがこれさ」
怪訝そうにラーメンを見つめるファルリン。くんくんと匂いを嗅ぐ。
「信用してくれよ。イスラムの人が食えない物はひとつも入ってねえから」
「ヒナ、本当ですか?」と、ファルリンは陽奈にレンゲを差し出す。
ファルリンが毒味を頼む気持ちは、創汰にも理解ができた。
見た目は、自分のとんこつラーメンとなんら変わりがないからだ。
陽奈はスープを一口すすって――
「あ、おいし!」
「ヒナ。そういうことじゃない」
「ごめん。でもわたし、イスラムの人が駄目な味わからないもん……」
――逆に、ファルリンはなんで陽奈がわかると思ったんだろう。
「でも、これ本当にとんこつ使ってないんですか? 味がそっくり」
陽奈の疑問に「もちろん」と店長が答える。
「修業時代の仲間に、外国人向けのラーメン屋をやってる奴がいてな。そいつに教えてもらって研究したのさ。スープのベースは豆乳。出汁は野菜しか使ってねぇ。油も植物性だし、焼豚に見えるのは大豆を加工したもんだ。神髄は企業秘密だが、本物のとんこつに限りなく味を近づけたつもりだよ」
疑い半分のファルリンは恐る恐るスープを口にする。
ちゅるちゅると拙く麺をすする。
わずかな沈黙は、審判の刻。
ファルリンの口が開く。
「おいしいよう……」
たまらずといった風に言葉がこぼれると、ファルリンは目元をぬぐう仕草さえ見せた。その姿を見て天を仰いだのは店長だった。
「おいしいよう」
ファルリンは声を震わせる。一方箸の動きが早まる。メンマ、ほうれんそう、大豆焼豚、あっという間に平らげられるトッピング類。箸をレンゲに持ち変える。スープを口に運ぶ手が止まらない。「ホントは、ホントはずっと食べたかった」ファルリンがぼそり。
「醤油も味噌も応用すれば作れっからよ。イランのお嬢さんもいつでも食べに来ねぇ」
「おやじ、なぜそんなにしてくれる」
「なんでって……そりゃイランのお嬢さんを歓迎したいからさ」
「おやじ……」
ファルリンはすっくと立ち上がる。
右手をまっすぐに差し出して――
「ファルリンと呼んでください」
二人はがっちり手を握った。
ファルリンは空になったどんぶりを見つめて神妙にしていた。
「ソータ、ヒナ」
「「ん?」」
「これからの時代は、悪との和解です」
急転直下の事態に、創汰と陽奈はあんぐり口を開く。
二人に構わずファルリンは続ける。
「アメリカが悪の枢軸と呼んだイランと、イランが悪魔の国と呼んだアメリカも手を握る時代が来ました。アメリカが経済制裁を解除したのです。これからは悪を――己の敵を理解する努力をしなければなりません」
――悪っていったいなんなんでしょうね。
言い残して、ファルリンは風のように去っていった。




