26 『反逆の乙女』VS『勇者』『チート』『神』『邪神』『魔王』
「ひあああああああああああ!」
と陽奈が悲鳴を上げた意味が、創汰にはわからない。
不良たちの悲鳴に階段まで駆けつけ、階下を見下ろした創汰の前に広がっていたのは黒い光景だった。
こんなに暗かったかな、と創汰は思う。
薄暗くはあるものの、電気が消えたわけじゃない。
階下が切り取られたように、ぽっかりと暗いのだ。
――穴?
と見下ろすと、足下の闇が範囲を広げている気がする。
じわじわと進行する闇。
なんとなくこのままではいけない気がして、創汰は足で払ってみる。
すると、闇がさっと割れる。
割れた闇の境目で、毛のようなものがたくさん蠢いている。
閃くと同時に、創汰は皮膚が泡立った。
――もしこの闇が全部、アレだったとしたら。
創汰は瞬時に想像力を殺した。
そんなことはあり得ない。
あり得てはいけない。
いま目の前にぎっちり詰まっている闇がすべてアレ。
もしそんな想像が正しいとすれば、そんな正しさは脳みそごとどこか遠くに放り投げるしかなかった。
だが創汰が直面するのは、壁、床、天井、一面の黒。
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒 黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
――一箇所だけ白いのはなにかな?
と目を凝らせば、むしろそこ以外が全てアレという衝撃の事実。
前にも黒、後ろにも黒、左にも黒、右にも黒、前後左右すべて黒。東西南北すべて黒。
黒黒黒黒。艶艶艶艶。
黒よりも黒い黒(darker than black)が創汰の正気を蝕む。
百どころの騒ぎじゃない圧倒的数。絶望的数。数、数、数がざわざわざわざわ。
めまいがして壁に手をつけば、わしゃっという感触がしたから、創汰はなかったことにして手を戻す。
創汰はいったん目を閉じて、全ての意識を遮断した。
創汰が日ごろから培っていた力――机に突っ伏して都合の悪い現実を一切否定する力――がここにきて遺憾なく発揮された。慣れると机に突っ伏すどころか、目を閉じる必要もなくなる。プロの業と言えた。
創汰の目から光が消えていく!
暗い目を開いた創汰は、悲鳴以来ずっと白目を剥いたままだった陽奈の頬を叩いた。
「陽奈起きろ! 陽奈!」
「うーん」陽奈が目を覚ます。
直後、現実を目の当たりにして、再び目を閉じる。
「なにもみてないなにもみてないなにもみてない」
「陽奈、はやく脱出しよう」
「創汰はぽんつくねー。これは寝ているだけで解決します。だって夢なのだから」
現実逃避の陽奈は揺るがない。
まいったな、と思っていると、
――キアアアアアアア!
後方の悲鳴に創汰は振り向く。陽奈も反射的に目を見開いた。
さっきまでいた辺りの廊下が、いつの間にか闇に呑まれている。
邪神を翻弄していた竜巻も、アレをびっちり巻き込んで漆黒の渦と化している。
「助けて! 助けて!」
悲鳴の主――餡羅麻優が助けを求めて手を伸ばしていた。
麻優は足下から闇に喰われ始めている。
「足の感触が、触覚が、服の中に――、あ、いやだ! 早く助けて、助けて!」
闇が麻優の体を呑み込んでいく。じりじりと首を這い上がっていく。
「ああ、ああ、いやだああああああ!」
闇が顔を包むと、断末魔の叫びが校舎にこだました。
麻優はもう動かない。伸ばした腕が、溶鉱炉に沈むシュワルツネガー式に闇に融けてゆく。
合掌する創汰の隣で、陽奈がごくりとつばを飲んだ。
「そうたはやくにげよう」
陽奈が現実に帰ってきたのでよかった。
――でもどうやって逃げる。
ずおおおと、闇はゆっくりだが確実に創汰たちの居場所を狭めてくる。前後左右逃げ道はない。だったら――
「ここを突破しよう」
他の逃げ道を探すのが良い方法だとは思えない。
なら、我慢して最短距離のこの階段を突っ切るべきだ。
「むり」
陽奈は目を閉じたまま、首を振った。
「でもほか「むりっ!」
陽奈はたった二文字で絶対拒否の意思を示す。ぶんぶんと首を振ってみせる。世の中に真の拒否反応というものを示せる者がいるとしたら、それはいまの光城陽奈だった。
「そうたおんぶっ!」
「え?」
「もう動けないからおんぶしてっ!」
すっかり幼児退行した陽奈が懇願する。
だが他に方法が浮かばない。
創汰は脱いだ制服の上着を陽奈に頭からかぶせると、「乗って」としゃがみ込んだ。陽奈の体重が背にかかる。控えめな二つの感触を持て余す創汰に、陽奈はお構いなしでしがみつく。
「行くぞ!」
創汰は飛びかう羽音を振り払いながら、階段を駆け下りる。創汰の足に踏みつぶされまいとする闇が、さっと割れては寄せ返す。耳元では「なんで創汰は平気なのぉ」とおんぶの陽奈の涙声。
――これは全部カブトムシだ。
創汰は、都合の悪い現実から目を逸らすモードのギアを上げていた。
創汰は目に映る闇を、全てカブトムシの映像にすり替えていた。
カブトムシだとしてもこれだけいれば気持ち悪い気もするが、そこは小学生の気持ちに立ち戻ることで創汰は対処してのけた。ペットショップの棚にずらりと並ぶカブトムシへの憧憬。小学生大歓喜。
――でも、と思う。
黒くて艶々で足がゲジゲジしている。見た目たいした変わらないのに、なぜ片方には値段がついて、片方は恐怖の対象となるのだろうか。人類のDNAには、彼らを恐怖するいったい何が眠っているのだろう。気持ちが悪いから、としか説明のつかないその曖昧な根拠を思ったとき、創汰は辺りに広がる闇に悲しみにも似た感情を覚えるのだった。
悲しみは二階にもびっちりと広がっていた。
無事なのは一番奥の教室の周辺だけで、教室に掲げられた『美術室』の札が、創汰のチートの視力で確認できた。
創汰は美術室に足を向ける。
首がぎゅうと締まった。
「そうたそっち出口ちがう」
「いや、天乃さんを助けないと」
「もう手遅れだから仕方がない。気にしないでいこう」
陽奈は恐怖のあまり、なにしにここに乗り込んだのかを見失っている。
「いや、奥の美術室は無事なんだ。今ならまだ間に合う――」
と、突然、周囲が本当の闇に包まれた。
「ひやっ!」と陽奈が息を飲む。
――停電。
嵐のせいなのか、大量発生した虫のせいなのか。定かではないが、停電の闇は蠢く闇の姿を隠して、一気にアウェー感を強くする。
「もうやだ……もう帰りたい……」
陽奈がぐずりだす。不良連をど突き回していた強い陽奈の面影は、もはや欠片もない。
「視界さえ確保できればなんとか――」
創汰はスマホの弱光を頼りに、漆黒の廊下を進む。
「……創汰。わたし、ここを脱出できたら製薬会社に就職するんだ……」
「陽奈しっかりしろ。高校中退じゃ大手は厳しいぞ」
陽奈が恐怖で現実を見失っている。震える体は相当我慢しているのだろう。
かくいう創汰も、視覚よりも聴覚の情報が勝る暗闇の中で、これらをカブトムシだと思い込むのには限界がきていた。カサカサと素早い足音。活発に飛び交う羽音。創汰の知っているカブトムシはこんなにアクティブな奴じゃない。
「そうたあ、なんだか集まってきてるよう」
「気のせいだろ……」
と返したのは、ただの誤魔化しだった。周囲の闇が創汰たちの先へ先へと集ってくる。ぶんぶん飛んできては、行く手を塞ぐように積み上がっていく。
「きっと天乃さんのところに行かせないつもりなんだよう」
――獲物を取られまいとしているのだろうか?
それ以外に、こいつらがスズメを守る理由はない。
瞬く間に、創汰の目の前に漆黒の壁が築かれた。
「そうたあ、どうするのぉ……」
創汰は壁をスマホで照らす。それは明らかにカブトムシではなかった。ただの黒い壁だったらよかった。壁に生えているたくさんの毛、というか触角が、創汰をこの上なく絶望的な気分にさせる。
創汰はしばし躊躇した。
けれど――
「突っ込もう!」
「えっ?」
「突っ込むんだ!」
「……」
背中がふわっと軽くなった途端、後ろでどさりと音がした。
創汰は何事かと事態を確認する。陽奈は今ほどの提案について、巧みに想像力を働かせた結果、再び白目をむいたようだった。
「陽奈! 陽奈!」
「そうた……わたしはもう駄目みたい……」
「何言ってるんだ。早く背中に乗って」
「創汰、無理なの。あれに突っ込むくらいならわたしはここで死ぬ」
腰が抜けた陽奈をすでに闇が囲み始めている。じりじり迫る囲みからは、隙あればたかってやろうという強い意志を感じる。
「創汰はわたしをここに残して、天乃さんを助けに行って」
陽奈が潤んだ上目遣いを向ける。
「わたしをここに残して、行って」
陽奈は「くっ」と顔を背ける。
進退窮まった創汰。
(どうして二回言ったの……)
残して行けと言うけれど、陽奈の本心じゃないのは明らかだった。陽奈は、スズメを見捨てて逃げようなんて言えるはずもなく、無意識に繰り出された心の叫びがあの二回目だったに違いない。
だが創汰も――壁のすぐ向こうにはスズメがいるのに、と思っていないと言えば嘘になる。
男子高校生たるもの、なにがしかに襲われる好きな女子を、危機一髪自分が助けるというシチュエーションに憧れないはずがない。その夢を達成できる状況が、いま創汰の目の前にある。震える足で旧校舎に乗り込み、不良たちを倒し、魔王も倒し、邪神も倒し? その誉れを得て恥じない労力も費やしたつもりだった。なのに達成目前にして、夢が潰えようとしている。こんな嵐と暗闇の中で、身動きが取れないスズメがどんな不安な思いでいるのか、と考えればそれも不憫だった。
創汰はふと、魔王――餡羅麻優が闇に侵されていく光景を思い出す。
麻優は涙を浮かべて助けを懇願していた。闇から必死で逃れようとしていた。麻優にびっちりとまとわりついた黒は、創汰に『ゴースト・ニューヨークの幻』に登場する悪魔を思い出させた。悪事を働いた人間のもとには、死後、悪魔が迎えに来る。グオオオオ。この世のものとは思えない(実際この世のものではないのだが)咆吼をあげて方々の闇から現れた黒い塊たちは、罪人の幽体にびっちりと纏わりついて、闇の中へと引きずり込んでいく。ヘルプ。ヘールプ。必死で手を伸ばしても、罪人に逃れる術はない。悪魔と共に闇に消える。
だけどスズメは罪人じゃない。
罪人であるどころか、優しく素敵で善良であって、乱暴目的で連れてこられたただの被害者でしかないスズメが、びっちりと黒い塊にまとわりつかれるなんてことはあってはならない。可哀想な悲鳴をあげるなんてこともあってはならない。スズメがそんな目に遭ってはならないし、救われるべき存在でしかないはずだ。
諦めの表情で虚ろにしていた陽奈を、創汰は両腕で抱え上げる。
――ひぁっ! と驚く陽奈をよそに、創汰は廊下を走り出す。
黒い壁に背を向け走り出す。
「創汰、天乃さん助けないの!?」
創汰が選べる選択肢は一つしかなかった。
――陽奈を外に脱出させる。そしてもう一度スズメを助けに来る。
だが間に合うだろうか。
きっと間に合わないだろう。
これは間違った選択肢なのかもしれない。
でも考えたところで、正しい答えになんて辿り着けるはずがないんだ。
少なくとも何か答えらしいものを見つけたとすれば、それは目の前にいる陽奈を見捨てていくことが正しい答えには思えないということだけなんだ。
「創汰、ありがとう」
廊下を駆ける創汰に、陽奈はどこか満足げで言う。
けれど、創汰はスズメを諦めたわけじゃない。
――何とか間に合わせてみせる。
全力で走る創汰に、スマホで道を照らす余裕はなかった。チートの視力を発揮すれば、暗い階段もはっきり見える。だがその代償として、創汰はカブトムシの幻想を失う。目を背けたくなるリアルな現実が、一つ一つ正確な形を持ってチートの視力に飛び込んでくる。
――やばっ!
一階に着こうかというところで、何かに足を取られた。創汰は陽奈と一緒に階段を四、五段転げ落ちる。創汰にできることは、せめて陽奈をかばうことだけだった。落下地点にいた黒の集団がわさっと二人を避けた。
「ごめん陽奈、大丈夫?」
「……うん。へーきへーき」
陽奈は創汰のすねの辺りにちょこんと乗っていた。脚がクッションになって、陽奈が床への直撃するのは避けられたようだった。
つまずいた辺りを見ると、横たわる黒い塊がある。あれのせいか。それは元々は不良の姿をしていたものだった。暗闇と同化しているせいでわからなかったが、よく見れば方々にそれらしい凹凸が転がっていた。
「――てっ!」
立とうとする創汰に痛みが走る。
「創汰、どうしたの!?」
不穏な音は聞こえていた。
ぐきり。
危機を悟るには十分な感触だった。
周囲は黒の集団に囲まれている。動かない二人に襲いかかる隙を窺っている。
「早く……逃げないと」
創汰は右足を引きずって、陽奈を抱き起こす。
「創汰、もしかして……足怪我したんじゃない?」
「……」
捻挫だろうか。違う。多分折れている。
「こんなもんチートの力があれば問題ない」
勿論、チートの力は痛みに対して無力だ。
「創汰、わたし自分で歩く……」
「無理すんな」と抱え上げようとした創汰の手を、陽奈は振り払う。
陽奈はへっぴり腰で立とうとする。生まれたての仔馬のようにふらふらしている。だが黒に対する恐怖が勝るのか、上手く立てない。ぺたんと座り込む陽奈。ああ。
「陽奈!」
陽奈は再度試みる。創汰はぐらぐら揺れるその体を支えたくなる。だが手を貸してはいけない。陽奈は今、何か大きなものと一人で戦う必要があるのだ。
陽奈は二本の足でバランスを取る。暗闇の恐怖の中に、自分の意志でその一歩を踏み出す。両手を伸ばして創汰に歩み寄ってくる。陽奈が、陽奈が立った。
「創汰、掴まって!」
陽奈は、創汰の右腕を肩に回した。
踏み出す陽奈の足は震えて頼りない。創汰の右足は痛みで動かない。互いの弱さを支え合ってバランスが保たれる。
「もうちょっとだ……」
廊下の角を曲がると玄関が見えた。
だが、その遅い歩みは格好の標的になっている。
ズボンを何かがざわざわ這い上がる感触がある。
「わたしだって頑張るんだ……」
這い上がる感触は陽奈の方が大変なはずだった。スカートの陽奈は生足を晒している。創汰は飛びかかる黒い火の粉を、上着を振り回して払う。だが燃えさかる火事の中で、うちわを振り回しているような不毛に襲われる。黒の攻勢は激しさを増していた。逃がすまいとしているようだった。天国になど行かせるものかという悪魔の気概があった。
「わたし……もう駄目かも」
陽奈は胸の辺りまで黒く染まっていた。
「諦めんな、あと少しだ……」
創汰の喉元まで黒が押し寄せていた。
玄関から差し込む光は、嵐のせいで薄暗い。
けれど、小学校の入学式の、希望に満ちたあの玄関よりも今は明るく輝いて見える。
――もう少し。
――もう少しなんだ。
もどかしい。
なるべく先にと思うけれど、歩幅のレギュレーションを乱すと激痛が走る。
と、創汰の体を、黒が一つ、離れた。
玄関に近づくに連れ、一つ、一つ、ぽろぽろと黒が剥がれていく。
ばさばさばさばさっ。
まとわりついていた闇が一斉に飛び立つ。危険を察知した鳥の群れのようだった。
「みんな、闇に帰っていくんだわ……」
陽奈は感慨深げにファンタジーの口調。
外の光を浴びたとき、取り付いていた黒はもう二つ三つだけだった。光に晒されてそのフォルムがくっきり見えてしまい、改めて勘弁してくれと創汰は思う。残った彼らは鈍感なのか、勇敢なのか。ともあれ創汰は彼らを優しく手で払った。「取って!取って!」と騒ぐ陽奈の分も払ってやった。
振り仰ぐと、余す所なくびっちり黒に染まった校舎があった。雨にも負けず、風にも負けず、勝ち誇るようにしがみついている。ここは俺たちが占領したんだぞ。そう主張しているのかどうかは創汰が人間だからわからない。
「創汰、どこ行くの?」
校舎に引き返す創汰に、陽奈が訊いた。
「……」
創汰は答えない。
その質問の無意味さは、陽奈も解っているはずだから。
「もうどうせ間に合わないよ! 創汰は頑張ったよ! 天乃さんを助けようとして頑張ったよ!」
――この足じゃもう駄目だ。
それは創汰にもわかっている。
――つまりスズメはもう助からない。
スズメは明日から全身をアレにたかられた女というカルマを背負って生きていかなければならない。トラウマにもなるかもしれない。病原菌にも侵されているかもしれない。
――なんて可哀想な。
いたたまれなくなって創汰は空を見上げる。
嵐の空。校庭を叩く雨。誰もいない校庭を駆ける人影が一つ。びしょ濡れの髪を暴風に乱して向かってくる姿に、創汰は一瞬身構える。だがチートの視力で、すぐに不良の類ではないとわかった。不良の方がマシだったかもしれない。
――どうしてここに?
こちらの姿に気づいたのか、ソイツはそんな顔をすると、黒い校舎を見上げて今度は「うわあ」という顔をした。
「どうしてここに?」は創汰の台詞でもあった。
結局コイツなのか――と創汰は複雑になる。
長引くディスカッションを最後ちゃちゃっとまとめあげてしまうのは結局コイツなのか、と思う。
みんなで必死に積み上げたドミノを、最後にちょんと押す役目を任されるのは結局コイツなのか、と思う。
自分がやってきたことはつまるところ地味な引き立て役の役回りでしかなくて、肝心の場面で颯爽と登場し美味しいところを全てもっていくべき華のある主人公は結局コイツなのか、と思う。
そんなことがあっていいのだろうか。
スズメの羨望の眼差しを浴びるのがコイツであっていいのだろうか。
いいはずがない。
まるでいいはずがない。
けれど叫ぶ創汰に躊躇はない。
「頼む、天乃さんを助けてやってくれ! まだ二階の美術室にいるんだ!」




