25 群像 ???(2)
母との別れを乗り越えたミレーヌが、今度は自分が母となり命を生むということについて考える歳ごろになると、やがて父がじっとしたまま動かなくなり、今度は消えゆく命について考えることになった。
「もう十分生きた」と、父は満足げだった。
ミレーヌにも父に迫っているそれは寿命に思えた。命を落とす理由として、「事故死」が圧倒的な率を占めるミレーヌたち種族にとって、寿命で死ねるということは幸せなことだった。引き裂かれるような苦しみもない。潰されるような痛みもない。寿命によって安らかな死を迎えた者は確実に天国に運ばれる、というのがミレーヌたちの種族の考え方だった。
母の最期と比べてしまえば――具体的に母がどんな最期を迎えたのか、ミレーヌは知ることができなかったし、想像さえしたくなかったけれど――父は幸せなのかもしれない。そう考えることで、ミレーヌは父との永別をかろうじて受け入れられる気がした。
朝から静かな日だった。
じっと動かない父の隣で、その日はミレーヌもじっとすることにした。
ミレーヌは父との別れを平穏に迎えることで、あまりに騒々しく不幸だった母との別れを慰めようとしていた。しんしんと降り落ちる静寂は、並んだまま動かないミレーヌと父を優しい平穏で包んでいた。静けさ中で耳を澄ませると、ミレーヌには父の鼓動が聞こえた。弱々しい鼓動は、そのまま静寂に溶けてしまいそうだった。でも本当にこの平穏に溶けて消えてしまえるのなら、それは不幸なことではないようにミレーヌには思えた。
ふと、遠くで誰かが叫ぶ声がした。
平穏にはおよそ似つかわしくない叫声は、ミレーヌを辟易させた。
こんな日だけは無粋にされたくなかった。
「ミリィ! なにしてるんだ、早く逃げるぞ!」
平穏を破ったのはラルだった。
「連中が毒ガスを使ったんだ! トンネル付近はもう大惨事になってる! 僕たちの侵入ルートがばれたんだ!」
――毒ガス。
忌々しい響きがミレーヌの気を遠くした。ミレーヌが毒ガスについて持っている知識は、毒ガスを吸った者は喉が焼け、胸が潰れ、息もできず地獄のような苦しみを味わったのちに命を落とす、ということだった。ガスが使われた家に再び住めるようになるには、長い時間を要するとも聞いたことがあった。
「――毒ガス!」
ミレーヌは父を慈しんでいた目を、悲しくラルに向けた。
「お父さん一緒に逃げましょう、僕の背に乗ってください!」
ラルの提案に、父はゆっくりと首を振った。
「……ガスの回りは早い。誰かをおぶって逃げ切れるものじゃない」
「パパ!」
「ミリィ……」と父は目を穏やかにして「父さんは幸せだったんだ。ラル君、あとは任せたよ」
ラルは父に深々と頭を下げると、目を乱暴にぬぐってから顔を上げた。
「……ミリィ、行こう」
「いやだ! パパが、毒ガスなんて、絶対にいや!」
ミリィ。と父は静かに口を開く。
「……連中の世界には、足手まといになった老人を遠くに捨てに行く風習があるそうだ」
父は、幼い子にするように、ミレーヌの頭を撫でた。
「老人たちはなぜ抵抗しないのかと不思議に思ったものだが、父さんにもその理由がわかった気がする」
ラルに羽交い締めにされ動けないミレーヌから、父は離れていく。
不自由な体を引きずって、父はゆっくりと離れていく。
「ラル、離して! パパ!」
――ミリィ、父さんは本当に幸せだったんだよ。
瞳の中の父は、トンネルへ続く闇の中へ、ゆっくりと消えていった。
「三億年を超える歴史を持つ我々が、四〇〇〇万年前に発生したばかりの後発種に、なぜこうも迫害されなければならないのか。それは僕も理不尽に思うことがあります」
会議の中心には背を伸ばして理を説くラルがいる。
ミレーヌの目に映るラルは、いまや立派な青年に成長していた。
「僕たちは蜂のように武器を持つわけでもない。ムカデのように毒を持つわけでもない。あの小さな蟻でさえ持つ牙も僕たちにはない。戦う意志など持てるわけがない僕らを、彼らはどうして攻撃してくるのでしょうか?」
――決まっている! 連中が野蛮だからだ!
ラルに向かって反対派の声が飛ぶ。
――そうだ! 連中は食うわけでもなくただ殺すだけだ! 殺戮を楽しむ野蛮種だ!
「果たしてそうでしょうか。僕はこう思うのです。もしかしたら、僕たちは彼らの生活領域を侵害してしまっているのではないか。彼らは昼、僕らは夜、彼らは外、僕らは内、お互いに生活領域を分けあっています。けれど僕らはまれに昼間に外に出てしまう。彼らが攻撃してくるのは、僕らがそういった生活領域の侵害――ルール違反をしたときなのではないでしょうか。彼らは権利が侵害されたと考えて攻撃してくるのです」
ミレーヌの頭に、初めて外に出た日の悪夢がよぎる。
昼間は危険だと反対する母の言うことを聞かず、外に飛び出してしまった。
「和平の道はそこから開かれると僕は思っています。僕たちには、彼らの領域を侵す意思はないと約束をする。だからこちらの世界に毒ガスをまいたりするのもやめてくれ。いわば不可侵条約を結ぶわけです」
――そんなことが可能ならとっくに誰かがやっている!
――連中とどうやって話し合うつもりだ! 連中に言葉など通じるものか!
――そうだ、連中は我々を見れば殺そうとするだけだ!
――若造! アンタが言うのは綺麗事だ! 夢物語だ!
議論がむなしく終わり、広場には一人ぽつんと頭を抱えるラルがいた。
ミレーヌはラルの肩を優しく叩く。
「お疲れさま」
ラルはふうと嘆息した。
「ねぇラル、やっぱり私も無茶だと思う。連中と交渉だなんて」
「だけど、いつか誰かがやらなければいけないんだよ。……認めるのは悲しいけど、僕らは体格も頭脳もとても連中にはかなわない。連中はやがて僕らを根絶するために、僕らには仕組みすら理解できない兵器を投入してくるだろう。このままではじり貧なんだ」
「でも私たちには増える力があるわ。私だってもう……たくさん子どもを産めるんだから」
ミレーヌは上目遣いでラルの顔を窺う。
けれどラルは鈍感に語り続けた。
「あの日、毒ガスで家を追われて逃げ込んだ一見普通のこの家にも、陰にはこうして二万を超える仲間がいた。どこの家だってそうだ。こんなに身近に馴染んでいる僕らが、共存不可避な存在だと連中だって気づいているはずなんだ。
――ミリィ、知ってるかい。僕たちの仲間には、連中と一緒にスペースシャトルに乗った奴だっている。地球を一三周もして無事に帰ってきたんだぜ。僕たちは連中と協力し合うこともできるんだ」
「どうかしら、実験に利用されただけという噂があるわ。歴史上、私たちと連中が理解しあえた試しなんてなかった」
「過去に例がないと諦めていれば、革命や革新といった言葉は存在しないさ。僕たちは今まで何をするにも単独行動だった。だから信じてもらえなかった部分があったんだと思う。だから今度は集団で、僕たちが本気だという意志を連中に伝えるんだ」
「でも……会議のあの様子じゃ協力なんて集まらない」
「ミリィ、実は……賛同してくれた勢力もあるんだ。一〇〇もの頭数を……チャバネ家が出してくれることになった。それでも想定より全然少ないけれど、彼らを率いて一度和平交渉に臨んでみようと思う」
「でも……もし失敗したら……」
「大丈夫。僕らにはこの艶々したボディと二本の前髪があるんだ。こんなに見た目キュートな僕らを連中だって好かないはずがないさ」
ラルは冗談めかして笑う。
「それに、いざとなれば飛んで逃げるよ」
ラルが飛行の名手だということは、ミレーヌも知っている。
どんなピンチのときも、ラルは華麗に空を舞い、悠々と連中を煙に巻いたものだった。
「そうね。ラルなら大丈夫よね……」
「ラルさんはアチキらが飛べないのをお知りにならなかったんじゃあ」
逃げ帰ったチャバネ家代表は、連中は和平交渉の席につく気さえなかったんでさあ、と息も絶え絶えに口を切った。
――ギアアアアアアアアアアア!
連中は一〇〇の軍団を目にするやいなや、狂ったような鳴き声を上げたという。
「あんなに凶暴な連中を見たのは初めてじゃあ。大勢で行ったのが裏目だったんじゃあ」
チャバネ代表の体はがくがく震え、視線は定まらない。
「連中はあらゆる兵器を持ち出して襲いかかってきた。ラルさんは飛べない我々を逃がすために、囮になって飛び回りなさった」
ミレーヌたちワモン族の者は飛べるのが当たり前だった。だからチャバネ族の者が飛べないなんて考えもしなかった。だってあんなに立派な羽があるのに。
「ご無事だと思いたいんじゃがあ……」
――きっと逃げのびているはず。
ラルの最期を誰も見ていないのは救いだった。
一日、二日、ミレーヌはラルの帰りを待ち続けた。
三日が過ぎたとき、デマが流れた。
誰かがラルの遺体を見たというのだ。
だけどそれはデマだった。
潰されてぐちゃぐちゃだったがあれは確かにラルだった、などという話だから、ミレーヌにとってデマ以外のなにものでもなかった。
四日目、ミレーヌたちの住処を襲ったのは毒ガスだった。
軍団の存在を知ってしまった連中が、一斉排除にかかったに違いなかった。
「あの若造が余計なことをしたせいだ!」
脱出のパニックの中で誰かが叫んでいた。
避難先となったのは、近所にあった、大きくて古びた木造建築だった。
じめじめとして住み心地は良かった一方、ミレーヌの生活は荒んでいった。
(みんな連中に殺された……)
――私たちがいったい何をしたというの?
考えるほどミレーヌの憎悪は増したが、増せば増すほど、結局どうしようもないのだという無力に打ちのめされるだけだった。楽になるには忘れるしかなかった。けれど忘れてしまったなら、両親やラルがこの世界に生きた意味が本当に何もなくなってしまう気がして、ミレーヌはまた辛くなるのだった。
――虐げられるだけの苦行のような一生を、生きていく意味がわからない。
ミレーヌを楽にするのはもはや薬だけだった。全ての不安が吹き飛んで素晴らしい気分になるけれど、確実に体を蝕んでいく禁断のホウ酸に、ミレーヌは手を出していた。大量に摂取すれば死ぬこともできる。だが少量の摂取なら、幻覚の中で両親やラルに再会できることを知り、ミレーヌは少しずつ死ぬことを選んだ。胡乱な目で目に見えぬ誰かと会話するミレーヌに、通りすがる皆が嫌悪の目を向けた。あるいはわざとらしく目を逸らした。病的にやせ細っていく体。見つめながら、ミレーヌはこれでいいと思った。この理不尽なだけの生活にサヨナラして、愛する人たちが待つ世界にゆけるのなら、死はむしろ救いに思えた。
そんなミレーヌにも正しい救済が訪れた。
八月の二一日。
ミレーヌたちの数え方で一六歳の誕生日を迎えた夜だった。
「可哀想なミレーヌ!」
ミレーヌは天井裏から現れた、謎の女性に抱き締められた。
「喜んで。あなたは悪の能力者として悪役管理連合に登録されたのよ」
――これも幻覚だろうか。
ミレーヌはまどろむ。彼女は見たことのない体色をしていた。全身がまばゆい金色に輝いて、二本の前髪も金色になびいていた。
虚ろな目で見つめるミレーヌに、彼女は一方的に語り続ける。
「『反逆の乙女』は虐げられる者を束ねる能力。あなたのカリスマに皆がついてくる」
「もしかしたら、あなたは、自分が『悪』と呼ばれることに不満かもしれない」
「確かに『反逆の乙女』は、既存の正義に反逆するという意味では『悪』」
「でも『反逆の乙女』は、既存の正義に疑問を投じることができる存在」
今ある正義は本当に正しいのか。
悪とされるあなたの反逆の方が、実は正しいのではないか。
あなたの弱者の視点を理解する誰かが、きっとどこかに現れる。
「さあこれにサインを」
金色の彼女が差し出す紙に、ミレーヌはわけのわからないままサインをした。
すると薬で曇っていた頭が、不思議と晴れていく。
「お薬はもう終わりよ。さあミレーヌ、絶望の淵から立ち上がりなさい。あなたの考える間違った正義を倒しなさい」
前髪が――両親とラルが褒めてくれた自慢の黒髪が、どんどん艶を取り戻していく。
「――みなさん、こうなればいっそ玉砕覚悟で戦いましょう!」
ミレーヌの前には今、果てしなく広がる黒がある。
この一か月で集めた仲間の数はもうわからない。一〇〇万を超えた辺りで把握しきれなくなった。旧校舎の床下を埋め尽した前髪がくるくると回って、静かにミレーヌの声を待っている。
「連中がどうやって嵐を操る術を得たのか、悔しいですが私たちの頭脳では理解することができません。連中は常に、私たちの理解を超える方法で、私たちを弾圧してきました。連中は甘い匂いで罠の家に誘い込みました。食事に毒薬を仕込み、一族郎党、幼い子どもまで根こそぎにしました。毒ガスをまいた後には、老若男女、数千、数万の遺体の山が残されました。
……だから、今さら、なのです。
今さら嵐など、なにを恐れることがありましょう!」
群衆の前髪が激しく回転する!
みな興奮しているのだ!
「風に立ち向かいましょう、雨になど負けるものですか。私たちはとうとう武器を得たのです! 連中と戦う武器をこんなにも集めたのです!」
連中を恐怖させる武器。
一〇〇の軍団。
数の暴力。
それを教えてくれたのは、皮肉にも和平を願ったラルだった。
(ラル、ごめんなさい。私はあなたの優しさを継げる器じゃなかった)
ミレーヌは二本の前髪をピンと掲げ、反旗を翻す。
「さあ行きましょう! いまこそ反逆の時! 彼らに絶望を知らしめる時! 我らが三億四〇〇〇万年の歴史に、伝説の一勝を刻む時!」
「うおおおおおおおおおおお!」
床を揺らす鬨の声。




