24 群像 ???
旧校舎の地下、ごうごうと猛狂う暴風の中でミレーヌ・ワモン・ンジジザジは煩悶せざるをえなかった。
「ここに潜んでいるのが、どうしてバレたというの!」
床を叩くミレーヌに、仲間たちの返事はない。
地下はまだ地上ほどの被害はなかった。
とはいえ上が潰れてしまえば、下は所詮運命共同体。時間の問題だ。
――ここを反乱の基地として潜伏していたのが、どうして気づかれたの。
いくら考えてもミレーヌにはわからない。十分注意を払っていたはずだった。
だが連中はいつもそうだ。
連中のすることは、いつも理解不能だった。
連中はいつも我々に理解できない力を使い、理解できない弾圧を繰り返してきた。
連中の行動を理解しようとするのが、そもそも間違いだったのだ。
――こうなったらもう戦うしかない。
このままでは何もしないまま全滅してしまう。
この美しい反乱軍を、むざむざ失うわけにはいかない。
「みなさん、こうなればいっそ玉砕覚悟で戦いましょう!」
仲間たちの返事はない。
けれど、ミレーヌは感じている。
仲間たちの蠢く意志を感じている。
「素晴らしい黒髪だ。お前に似て美しい子になるぞ」
ミレーヌが生まれたときパパは一番にそう言ったのよ、と、ママが教えてくれたことがあった。みんなより少し長くて、艶々と輝く頭上の黒は、物心がついたときにはもうミレーヌの自慢になっていた。
「ねぇ、ラル。わたしの髪ってきれい?」
「ミリィの黒髪が一番きれい!」
幼いミレーヌはその答えを聞きたくて、仲の良いロレンス――愛称はラル――とままごとをするたびに、その質問を繰り返した。
妻を演じるミレーヌが上機嫌で土団子を差し出すと、ラルが訊ねた。
「ねぇ、ミリィはお外に食べに行ったことがあるかい?」
ミレーヌは首を横に振る。
「ぼくは昨日行ったんだぜ! でっかいチキンを食べたんだ。ぼくの体の何倍もあるやつをね!」
「ラルったら嘘ばっかり。そんな大きなチキンがあるはずないわ」
「ミリィは知らないだけさ。なぜならまだ子どもだからね」
「子どもじゃないもん!」
したり顔のラルに、ミレーヌは握りたての土団子をぶつける。
「ラルなんてもう知らない!」
ぷんすかと帰路についたミレーヌは、帰るなりママにすがりついた。
「ママ。わたしもお外に行きたい!」
「急にどうしたのミリィ。駄目よ。あなたにはまだ早いわ」
「だったらわたし一人で行く!」
「何考えてるの。こんな時間にお外なんて絶対駄目よ」
「平気よ。わたしはもう大人だもの。お友達のラルだってもうお外に行ったんだから。とっても大きなチキンを食べんだって!」
「ちょっと、ミリィ待ちなさい!」
ママの制止を無視してミレーヌは駆け出した。
外に通じるトンネルがどこにあるのか、ミレーヌは知っている。
大人たちはその場所を隠そうとしたけれど、隠せていると思っているのは大人たちだけだったった。そして子どもたちがその事実を隠していることを、得てして大人たちは知らないものなのだった。
トンネルをくぐるミレーヌの頭は、もうチキンのことで頭がいっぱいだった。
おっきなチキンを食べるんだ。ラルよりおっきなやつを探してみせる。自分より子どもだと思っていたラルに負けるなんて、そんなことがあってはだめなんだ。
「ふわあ」
外の世界を初めて経験するミレーヌは、漂うありとあらゆる刺激に翻弄された。脳を揺らす明るさ。目がくらむ匂い。処理しきれない音の数々。それらは一つ一つ音符となり、新世界の音楽を奏でながら、ミレーヌの頭を通り過ぎていった。
だが視界の中のある景色がその音楽を邪魔した。遠くで蠢くたくさんの足。その細く長い足はジャッ、ジャッ、と音と埃を立てながら、二本の柱の間を左右に揺れていて、その機械的な正確さがどこか不気味だった。あれにだけは近づいちゃいけない気がする。
「チキンはどこかな……」
周囲を見回すと、赤い屋根の、やけに目を惹く家があった。
「素敵なおうち!」
いかにも住み心地が良さそうで、なんだか夢のような匂いもしている。
――きっとおいしいものがあるに違いない。
ミレーヌは嬉々として走る。
――こんなにすぐ見つけるなんて、わたしすごくラッキーかも。
匂いがいっそう強まると、ミレーヌの足はもう止まらない。まるで吸い寄せられるみたいだ。このままおうちにダイブしたらどんなに気持ちいいだろう。
と、飛び込もうとした瞬間、
――ミリィ! そこは駄目え!
終末のような悲鳴が聞こえたかと思うと、ミレーヌは突き飛ばされていた。
家の一歩手前。見ると、突き飛ばしたママがいる。
「ママひどい! 突き飛ばすことないのに!」
怒られるのかと思ったら、ママは微笑んでいた。
「ミリィ……無事で良かった」
「ママ……」
「ミリィ、こっちに来てちょうだい。ママに抱き締めさせて」
「……ママ、どうしたの?」
「ママはね、もう動けないの」
「足、怪我しちゃったの?」
ママは、ミレーヌを突き飛ばした勢いで、右足を家の中に突っ込んでいた。ママはどこか諦めたように笑っている。ママの足はミレーヌがいくら引っ張っても、家の外に出すことができなかった。強力な力で床にへばりついていた。
「ママ! なんなのこれ。どうして取れないの?」
「ミリィ、これからはこんな家を見つけても絶対に近づいちゃ駄目よ」
頷くミレーヌをママは抱き締める。
ママは泣いていた。
「ママ、どうしたらいいの? これどうしたら取れるの? わたしなんでもする」
ミレーヌは力いっぱいママの足を引っ張る。足の裏がちょっとくっついているだけなのに、そこさえ取れたら動けるはずなのに、どうやっても取ることができない。それどころか、下手に動かそうとすればするほど、へばりつく面積が増えていく。
「誰かママを助けて!」
暗い家の中に仲間の影が見えた気がした。
「誰かいますか! ママを助けてください!」家をのぞき込もうとするミレーヌを、ママは制止して「あなたはこの中を見ない方がいい」
「ミリィ、ママのことをパパに伝えてちょうだい。……パパの言うことをちゃんと聞くのよ」
刹那、
キアアアアアアア。
と、凄まじい金切り音が辺りに響いた。
振り向くと、さきほどの足が恐ろしい速さで迫ってくる。
――今のはアレの鳴き声なの?
あのたくさんの足が本体じゃなくて、ドンドンと地面揺らしながら近づいてくる、二本の柱の方が本体なの?
「ミリィ早く逃げて!」
「でも、ママが!」
「いいから早く!」
たくさんの足は遙か高くジャンプしたかと思うと、あっという間にミレーヌの近くに落下してきた。バチン! と爆発のような音がして、突風で髪がなびいた。
キアアアアアアアアア! バチン! バチン!
足は鳴き声を上げながら、ジャンプを繰り返す。
繰り返すたび、踏み潰す精度を確実に上げてくる。
「――ばか! 死んじゃうぞ!」
恐怖で動けなくなったミレーヌを、後ろから誰かが引っぱった。
「ラル君、その子をお願い!」
ママが叫ぶ。
後ろで「うん」と頷くラルが泣いているのがわかった。
ミレーヌはトンネルまでたどり着いて、自分たちがすんなり逃げられた理由を知った。足はより仕留められる可能性が高い方――動けないママ――に狙いを定めていた。
バチン、バチン、ヒアアアアアアアアア。
「ラル! ママを、ママを助けて!」
ラルはへたり込んで泣きじゃくるだけだった。
「パパを呼んでくる!」
ママの言いつけを思い出してミレーヌはトンネルを走る。
――パパならなんとかしてくれる。
ぐじゃぐじゃになった頭で、無我夢中に走り、支離滅裂な説明してパパを連れてきたときにはもう、あの鳴き声は聞こえなくなっていた。
あの不気味な足も、赤い屋根のおうちもなくなっていた。
そこにいたはずのママに会うことも、もう二度とできなくなっていた。




