23 『神』VS『邪神』
○
「たーすーけーてえー」
化学室からゆるゆると一歩を踏み出すやいなや、竜巻に変じた強風にぐるぐると取り込まれた『邪神』は、洗濯中の学生服を思わせた。
異変に目を覚ました不良たちは、一様に「やべえやべえ」「まじやべえまじやべえ」と口走り、危険が迫るとそんな音を出す虫のようだった。我先にと階段へ向かって駆ける彼らの様子は、山火事から脱出を図る猿の一群のようでもあり、『邪神』『魔王』はそっちのけ。『魔王』は起き上がれない招き猫の格好で、「邪神さまあああ!」と、無力な手を『邪神』に差しのべていた。
「創汰逃げよう。わたしたちも危ない!」
陽奈が後ろから創汰の腕を引いた。
「まだ天乃さんが!」
「でも、このままじゃ校舎ごと飛ばされちゃう!」
雨は矢の勢いをもってガラスを突き破り、風は斧の強靱さで朽ちた壁天井をはぎ取ってゆく。ベキベキ、バリバリ、の音の意味はわかるけれど、ズズズズと床を震わす原因不明の揺れが謎のヤバさを掻き立てる。もう時間の問題なのかもしれない。
「おい、天乃さんはどこだ!」
創汰はがくがくと魔王を揺さぶる。
「あの女は……二階だ。二階の美術室にいるのだ……」
「わかった、あんたも早く逃げよう! ここはもうやばい!」
「だが、邪神さまが……」
創汰は、魔王が指さす邪神を見上げる。
渦の回転はいっそう速まり、今や仕上げの脱水コースに入っていた。
「めーがまーわるー」と、邪神の断末魔は存外軽い。風に乗り力なく広がった邪神の両腕は、どこかタイタニックの船首に立つケイト・ウィンスレットを思わせるところがあり、むしろ回転を楽しんでいるような誤解さえ与えた。
「……陽奈、勇者の力で止められないの、あれ」
「かみなりはわたしのせいだけど、この嵐は知らないもん。創汰の力じゃ無理なの?」
「俺の『チート』の能力は、大自然と超自然の前では無力だ」
創汰は魔王に向き直る。
「というわけで、あれはもう駄目だ」
――さようなら、名も知らぬ邪神。
やはり悪は善の前に滅びる運命なのだ。それは半ば予定調和的に。
「今は邪神より自分を心配したほうがいい」
「……」
「このままだとあんたも洗濯物になるぞ!」
魔王はうつむく。
嵐の轟音の中の沈黙。
「あたしの念願だったのだ……。あの写メの男と、あわよくばお前も一緒に捕まえて、親友の笑顔を見ることが」
「……親友の笑顔?」
「親友が考えた夢をあたしは実現させてあげたかった。お前たち二人に手錠をかけて、闇の力で心神喪失の状態にしたうえで裸にひんむいて――」
話の途中にもかかわらず、創汰はそれはもう反射的に、魔王の延髄に手刀を落としていた。
瞬時に気を失った魔王が口を開くことはもうなかった。
陽奈は頬染めて――それが天国なのか地獄なのかはわからないが――新しい世界を知ったという顔をしていた。
「心底時間の無駄だった。陽奈、早く美術室に行こう!」
創汰は立ち上がる。
と、
――ひやああああああああ、あっ?
悲鳴が、校舎を騒がせるあらゆる雑音を無視する高さで、創汰の耳をつん裂いた。
「創汰、なに……今の?」
階下で悲鳴が次々と上がっては、消えてゆく。
先陣を争って逃走した不良たちの悲鳴だった。
「なに? なんなのあれ? 創汰、こわいこわいこわいこわい」
気味が悪いのは、次々あがる悲鳴がどれも、鉈で切ったようにぶつりと消えるからだった。それは突然停止ボタンを押されたミュージックプレイヤーのようでもあった。
「こわいこわいこわいこわいこわいこわい」
徐々に近づく悲鳴の距離で、その原因が一階から二階に迫っているとわかる。
――二階の美術室にはまだスズメがいる。
と、思うものの創汰の足は震える。
床を揺らす謎の振動が増しているのだろうか。
足の震えが増しているだけかもしれない。
「こわいこわいこわいこわいこわいこわい」




