21 『チート』VS『魔王』
○
陽奈の頭にぽんと手をのせ、立ち上がる創汰の前にはツインテールの女がいる。
創汰が不良たちを傘で弄ぶ様子を、女は腕組みのまま見守っていた。
女が加勢しなかったのは、多対一が自分の仁義に反するからなのか、この程度なら一人でも余裕だと思われたからなのかはわからない。ただ女の薄笑いを見る限り、創汰には後者に思えた。
と、女は薄笑いを消して、眉をしかめた。
「あれ? オマエ、どこかで見たような……」
「おまえなんか知らん」
「……まあいいや」
女は唐突に創汰の両手を握る。
予想外の行動と手の柔らかさに創汰は戸惑う。
戸惑う創汰に、女の顔がぐいと遠慮なく迫る。
「天乃さんはどこだ!」
振り払うように叫ぶ創汰に、女は「あんな女どうでも良いじゃないか」と答えて、目をじっと覗き込んできた。女の目は不思議な色をしている。気持ちの良い色ではない。込みあげるのは漠然とした危機感。思わず視線を逃がす創汰を、女は抱き寄せて逃さなかった。
「創汰! そいつの目を見ちゃ駄目っ!」
陽奈が何かを思い出したように叫ぶ。けれど懐の女の上目遣いと、謎の包容力に捕らわれて、創汰は目から逃がれられない。
【天乃とかいう女を助けて、お前になんの得があるのだ?】
女の目がそう問いかけている気がする。
【助けたところで、あの女はお前を好きにはならないのだぞ】
【あの女が好きなのはどうせ晴人とかいう男なのだぞ】
ぐるぐると渦巻く闇色の目に、創汰の闇も取り込まれてゆく。
遠のく創汰の意識に響くのは陽奈の叫声。ぼんやりと警告の声色。
【あの陽奈とかいう女だって晴人が好きなのだろう】
【優しいお前がどんなに頑張っても、晴人は容姿とコミュ力だけで簡単にさらっていくのだ。お前の大事なものを全て】
【お前は本当に優しい子なのになぁ。優しすぎるから気を遣ってしまって対人関係がうまく築けないのだけなのになぁ】
創汰は女の背に両手を回し、はっしとしがみつく。
女は抵抗をしないことで、創汰を受け入れたようだった。
創汰の耳元で「ふふっ」と小ずるく笑う声がした。
創汰はそのまま天井を見上げる。
腕に力を入れて、ゆっくりと背中を反らしていく。
女の足が床を離れる。
「うるせえええええええ!」
創汰が背中から床に落ちる寸前、抱きしめていた両手を離すと、女は慣性の力に翻弄されて連続後転の格好で転げていった。
――変形放り投げジャーマン。
さすがチートの力。見よう見まねのプロレス技が当然に決まる。
あられもない格好でごろごろ回転していった女は、不良の山に衝突して止まり、「なんで利かないのだ!」と不思議そうな顔をした。
「今のは催眠術かなにか?」
創汰の問いに、女はぎくっという顔をして「ま、まあ似たようなものだ」と答える。「利かなかったのはお前が初めてだ」
「だって全部回答済みだもの」
「回答済み?」
その葛藤を解決したから創汰は今ここにいる。
創汰は心の闇を見つめるのに慣れている。
心の闇耐性に優れている。
だから、その程度の安っぽいコンプレックスをいまさら持ち出されてもなぁ、と思う。
こちとら普段からどれだけ心の闇渦巻かせて、自己批判を繰り返してきたと思ってるんだ。暇さえあれば見つけなくていい闇まで叩き起こして、納得がいくまで闇とお話してきたんだぞ。時間はいっぱいあるんだ。一人だと。
「プロのぼっちなめんな!」
だから誰が誰を好きかなんてもうどうでもいい。
自分が戦いたいなら戦え。守りたいなら守れ。Aがそう言った。
女が「くそっ!」と叫んだと思ったときには、もう拳が迫っていた。
創汰は思わず手刀でかわす。女に手を挙げるのは創汰の流儀ではなかったが、それは女が暴力を振るわないときに限ることとなった。
飛び来る拳に負けじと、創汰も蹴りを繰り出す。ガブリエルバティストゥータ。ヴォルフガングファイアージンガー。バスティアンシュバインシュタイガー。名前の響きが格好いいサッカー選手名を叫びながら必殺キックを放つ。
――ヴィタウタスアンドリュシュケヴィチェス!
だがいくら叩き込んでも手応えがない。糠に釘。暖簾に腕押し。まるでカーテンでも蹴っているみたいだ。
異常に疲労してゆく創汰を、女の攻撃がさらに削っていく。チートは痛みに役立たない。嘘みたいな強さに交錯するリアルな痛みが、創汰の現実感をむしろ遠くする。「千年至福のダークショコラ」。「名もなき黒のフロマージュ」。ネーミングセンスと裏腹の強烈な痛みが腹立たしい。俺はこんな美味しそうな必殺技にやられるのか――
「北西高校女子ナンバーワン、餡螺麻優に勝てると思ったか」
女は勝ち誇ったように言うと、出汁を吸われ尽くした昆布のようにへたり込む創汰の胸倉を掴んだ。
麻優はぐいと引き寄せて――
「お前、能力者だろう? 正義サイドの」
と耳元で囁いたから、創汰は耳を疑う。
――やばい。
なぜ能力者だとばれた。調子に乗って人の力を超え過ぎたか。
けれど、体が獣になるような気配はない。
――ん?
そもそもこいつは、なんで能力者のことを知っている?
「安心するのだ。あたしも能力者だ。悪の側のな」
「……そういうことか」
能力者同士なら正体がばれても問題ないと、クローゼット女は言っていた。
能力者の善悪は問わない。『悪役管理連合』相手に能力が使えないと意味がないからだ。
「こんな近くに悪の能力者がいたとはな……」
後ろの陽奈に聞こえないよう、創汰も麻優に囁き返す。
「この『闇の衣』に流れ込む力で、お前が普通の人間ではないとすぐわかったのだ。初めて味わう異常な力。青くさい光の力。これは正義の能力に違いないと」
「闇の衣?」
「あたしの『魔王』の能力は闇の力を操ることができる。闇の力を体にまとうことによって、全ての打撃を無効化することができる。無効化するだけでなく、その力を吸収して自分のものにできる。お前の正義の力も余すことなくいただいたというわけなのだ」
魔王は黒のコートをひらひらさせている。
――異常に疲労した原因はこれか。
創汰は察する。チートの力を使っているにもかかわらず、一般人相手に歯が立たないのは妙だと思っていた。さっきの催眠術も魔王とやらの力だと思えば合点がいく。
「お前の正義の力はなかなか美味だったのだ!」
はっはっは、と図に乗る魔王は声に注意を払えない。周りに能力がバレてしまうではないか。。
「それにお前、思い出したのだ」
魔王は闇の衣のポッケからスマホを取り出す。
「お前ってこの写真の人だよねー」
魔王が見せたスマホには、なぜか創汰のクラスの記念写真の写メがある。なぜか創汰と晴人に赤丸がついている。そしてちらりと見えたメールの本文には――
『どっちが攻めだと思う?』
創汰に戦慄が走る。その『攻め』の対義語は『守り』じゃないと直感が告げた。いつか見た七福あんこの部屋が走馬燈のように浮かび、本能ががんがんと警鐘を鳴らす。だがもう遅い。創汰は麻優の圧倒的な力によってうつぶせにねじ伏せられ、どこからか出現したロープで腕を縛り上げられていた。
「やめてえ!」と、顔を逸らして魔王に訴える。見下ろす魔王の目はもはや闇色ではない。ぎらぎらと輝く目は、食贄を前にした一匹の獣でしかなかった。
――俺なにされちゃうの!?
想像が及ばない恐怖。闇深いクレバスに呑み込まれた石の行方は知れない。創汰は脚で最後の抵抗を試みるものの、闇の衣はばしゅばしゅと蹴りを吸収していった。
「闇の衣なんてずるい……」思わず創汰の口をつく。「そんなの無敵じゃないか!」
「ふふふ、冥土のみやげだ。お前に残念な情報を教えてやろう。お前の能力では、決してこの闇の衣を破ることができない」
麻優は芝居じみた声を張る。
「あたしの闇の衣を破れる者は一人だけ! この広い世界のどこかにいるという、ただ一人の能力者――『勇者』だけが使える光の魔法でしか、この闇の衣を破ることはできないのだ!」
――神鳴りっ!
その声と同時に空が鳴り、光が走る。割れた光の一つが窓硝子をぶち破りなだれ込み、廊下中の壁、硝子をガビガビ震わせる。目を開けていられない。耳を閉じてしまいたい。じりじりと肌を刺すのは感電の気配。けれど創汰は不思議と怖さを感じない。光が去ったあとにはむしろ優しさが漂っている。
目を開いた創汰は、声の主を振り返る。
よろよろと立つ、陽奈がいる。
「創汰……あの……わたしさ……」
陽奈は申し訳なさそうに切り出す。
「陽奈……言わなくていいよ……」
「……勇者の能力者なんだ」
「いいって言ったのに……」
「二人の話聞こえちゃって……。もしかしてこれかなと思って……」
最近覚えたんだこの魔法、と陽奈は恥ずかしそうにする。勇者にしか使えない魔法を思春期の女の子が覚えたりすると、恥ずかしいこともあるのかもしれない。「ちょっと休んだらMPが回復したんだ」と、陽奈は創汰のロープを解きながら付け足した。
「かみなりっ」はとっくに喪心していた不良たち全体に、まんべんなく追い打ちをかけたらしく、より深い眠りに落とし込み、その被害の中心地たる魔王・餡螺麻優もいま廊下に伏せっていた。
空はいつの間にか嵐に変わり果て、破れた硝子窓からはびゅうびゅうと風が吹き込んでいる。同時に吹き込む雨が、ちょうど落下点にいる魔王をスポットライト式にしっとりと濡らして、闇の衣はびりびり。
「これって大丈夫なの?」
創汰はしゃがんで魔王を指でつつく。
「命に影響はないって、サポートセンターの人に聞いたんだけど……」
創汰の隣にしゃがんで、陽奈も一緒につつく。
創汰は少し阿呆らしくなる。
自分の案外近くに能力者がいるのでは、と考えたことはあった。
だが今、能力者が三人ひしめく二㎡の空間は、大安売り感半端ない。
ほとばしる身近で選ばれすぎ感。
――まあ、もう終わったことだ。
ギリギリの戦いだった。魔王に体力を吸われ尽くして、立ち上がるのも辛い。隣の陽奈も同じらしく、ぺたんと床に座り込み、創汰に肩を預けてくる。このまま体を寄せ合ってもいたいけれど、まだ目的が果たせていない。
「おい、天乃さんはどこだ」
創汰は魔王を揺さぶる。ぴくりと反応があった。
「……ふふふ、お前ら。これで勝ったと思うなよ」
魔王は最後まで律儀に魔王らしかった。
「あたしは北西高校女子ナンバーワン。女子で一番強いだけに過ぎない」
魔王はうつ伏せのままもごもご呟いて、スマホを取り出す。
「言い換えれば、あたしは北西高校ナンバーツー。ナンバーワンはあたしの魔王の力でも勝てなかったお方」
魔王は右手だけでスマホを操作する。闇の衣はスマホをショートから守ったらしかった。
「あのお方の力――『邪神』の能力は、あたしなんかの比ではない……のだ」
ラインをし終え、魔王はがくりと眠る。
創汰は言葉を失った。陽奈も同じようだった。
妙な沈黙が漂って、窓硝子を叩く嵐の音だけが辺りを騒がせる。今にも割れそうな硝子だけでなく、軋む朽ちた校舎も限界を伝えている。
「創汰、誰かいる……」
陽奈は奥の教室――化学室に視線を向けるが、創汰は何も感じない。陽奈の勇者の能力がなにかを感じているのかもしれない。
――二〇m先にはさらに四人目の能力者というこの状況はなにか。
(わけわからん、わっけわからんぞう!)
疲れ切った創汰に、さらに違う質の疲労が襲いかかる。
少し馬鹿げているのではないか。
いやだいぶ馬鹿げているのではないか。
けれど、気を取り直す必要に迫られたのは、体をがたがた震わせる陽奈が、創汰に恐怖と緊張を伝えるからだった。
教室のドアが、ゆるゆると開く――




