20 『勇者』VS『魔王』
陽奈が北西高校にたどり着いたとき、空は不穏なまでに荒れていた。
頬を打つ雨。髪を乱す風。強く感じるそれらを振り払いながら、陽奈は旧校舎へ向かって駆ける。入口はどこだろう、と思う間もなくわかる。色も形も毒キノコみたいなバイクがたくさん止まっている。ワゴン車が横付けされている。あそこで間違いない。
「なんだテメェ!」
「止まれコラァ!」
昇降口を上がってすぐ、見張り役らしい男子二人を、陽奈はパンチパンチからの回し蹴りで手短に済ませた。「コノヤロ!」と、起きあがろうとする男子の目を見つめて――
「おやすみっ!」
子犬をしつけるように言うと、二人はバタバタとくずおれた。
――いい夢見てね。
陽奈の手口。わりと早い段階で覚えた眠りの魔法に、陽奈は「おやすみっ」と名づけて重宝した。相手を傷つけずに戦いを終わらせられるのが良かった。ただ、突然眠らせて魔法だとばれるとまずいから、物理攻撃をしたのち自然に意識を失った感じを演出しなければいけない。いったん殴って弱らせたほうが、魔法が利きやすいこともある。
――天乃さんはどこだろ。
三階建てらしい旧校舎の階段を、陽奈は恐る恐るあがっていく。木造校舎の階段は昼間でも薄暗く、一段一段ぎっぎっと音がする。踊り場の壁や鏡はスプレーの落書きだらけで、埃や蜘蛛の巣よりも、落ちている半裸のグラビア雑誌が不潔感をあおる。
刹那、黒光りの虫がざざっと横切り、陽奈の心臓が飛び出た。アレは不良より恐いかもしれない。
階段を上りきった二階の廊下はまっすぐに伸びていて、誰もいなかった。
不思議なほど、しん、としている。
静けさの中、いかにも卑しい笑い声が遠くで響いた。
――やっぱり三階かな。
声は上から聞こえた。
階段に足をかけた瞬間、陽奈の裏腿に衝撃が走る。
足を払われ腰から床に落ちた陽奈の目の間には、バットを振りかぶるスカジャンがいた。
「死ね!」
容赦なく振り下ろされるバット。倒れた陽奈は腕で受け止めるしかない。骨を通じて衝撃が全身に伝わる。脳の芯が音叉のようにびーんと鳴った。
「いったーい!」
今のはさすがに利いた。
龍のスカジャンが目を丸くしている。
相手が女であったことに驚いたのかもしれないが、なによりも――。
「なんで平気なんだ!」
陽奈はバトルの最初に、ちゃんと「守備強化」の魔法をかけておくタイプだから問題はなかった。体が丈夫になるのだ。
奇襲しようと二階の陰に潜んでいたらしい一〇人ほどの不良を、陽奈は難なく打撃を与え、眠らせていく。だが龍のスカジャンだけは手強く、拳を直接みぞおちに叩き込む必要があった。
「オマエ河川敷の……」
言い残して、龍のスカジャンは堕ちる。
「――いたたたた」
守備強化してるとはいえ全力のバットは痛かった。
周囲に人がいないのを確認し、陽奈はちょっとした回復魔法を使う。
「ちちんぷいぷいっ」
幼い陽奈が怪我をしたとき、祖母がよく「知仁武勇、後世の御宝(あなたの知仁武勇は後世に宝物となるのだから、元気を出しなさい)」と、撫でながらまじなってくれたものだった。
陽奈は再度階段をのぼる。
他の階と違い、三階は準備が整っていた。
二階の騒ぎに感づいた不良たちが廊下にずらり居並び、北西高校不良オールスターズといった趣がある。
――これはもう駄目かも。
弱気になる陽奈。
――でもやるしかない。
天乃さんを無事に助けなければ、クラスのみんなが傷つく。わたしのせいで傷つく。天乃さんのことが好きな創汰は特に傷つく。わたしのせいでみんなが傷つくくらいなら、わたしが傷ついたほうがマシだ。少なくともこの揉め事の原因となったわたしは傷つかなければならないんだ。
陽奈が眠りの魔法をかける余裕はもうなかった。MPの余裕もなかった。次々襲いかかる雑魚を蹴散らし、「四天王」と文字が縫われた特攻服を着た、手強い女四人組をなんとか退ける。
「この女、河川敷の女だ!」
誰かが気づいて改めて警戒される。次は赤、青、黄の髪色をした三人組。どんどん相手が強くなっている気がする。息が切れる。守備強化の魔法も切れる。疲労したパンチが青髪に掴まれて、隙をついた黄髪のアッパーが一撃必殺の強さで腹をえぐる。
――痛い!
膝からくずおれようとする陽奈を、赤髪は許さなかった。赤髪は陽奈を後ろから羽交い締めにして、無理やり直立させる。無防備な陽奈の腹部に黄髪のアッパーがもう一発。一発目より痛みを感じないのは、意識が遠のいたせいかもしれない。守備強化がないとこんなに痛いなんて。
「あの時はよくも」と、青髪が陽奈の頬を平手で打つ。痛い。青髪の平手がもう一発くる、と思ったら頬を優しく撫でられて、むしろ最悪の展開を陽奈は想像する。「本日二人目ゲット」。羽交い締めにする赤髪の鼻息がうなじに当たって気色悪い。「こいつ結構カワイイじゃん」。黄髪がスカートの裾に手をかける。またお腹を殴られる痛みを想像したら、とても抵抗ができない。それに抵抗して逃げたところで、まだ二階にいたらしい残党が絶望的に逃げ道を塞いでいる。
――どうしてこんなことになっちゃったんだろ。
陽奈の目が潤む。たとえ悪を倒すのだとしても、暴力を使ってはいけなかったのだ。違う。どんな問題を解決するにしても暴力を使うのは間違いなんだ。暴力を使えば復讐が連鎖する。そんなこと小学生でも知っていたのに。
「お前たち、ちょっと待つのだ!」
突如、廊下に声が響いた。
陽奈が顔を上げると、そこにはツインテールの女がいた。九月なのに真っ黒なコートを着ている。耳元で赤髪が「麻優さん」と親しげに呼んだから、一瞬過ぎった希望はぬか喜びだとわかった。
「お前、なかなかやるじゃないかなのだ」
さんづけで呼ばれる立場の女は、陽奈の顎を人差し指で持ち上げる。
強そうにも不良にも見えないあどけない顔は、むしろ得体が知れなくて恐い。
「どうだお前、あたしのチームに入らないか。もし仲間になるのなら、あたしの片腕として権力の半分を与えてもいいのだぞ」
「天乃さんはどこ……」
無視して訴える陽奈に、女は薄笑いで「人の心配をしている場合か?」
女は陽奈の目をじっと覗き込んでくる。女の目には光が渦巻いている。禍々しい光。その闇色を見ていると、なぜか陽奈の心は掻き乱される。
――なんでわたしは戦っているんだろう。
――正義のために戦ってきたのに、なんでこんな目に遭うんだろう。
【あの女を助けて、お前になんの得があるのだ?】
女の目がそう問いかけている。
――そうだ、天乃さんを助けてもわたしには何の得もない。天乃……なんて八方美人のいけ好かない女のために、どうしてわたしがこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
【創汰とかいう男が好きなのは、あの女なのだぞ】
――創汰が天乃を好きなのは知っている。そしてあの誰にでも愛されていないと気が済まない有自覚悪女の天乃が、創汰の好意に気づいていないはずがない。だから、天乃はせめて創汰の前で晴人といちゃつくべきじゃないのに、それでも屋上での創汰は天乃をかばってわたしを責めた。創汰の馬鹿。馬鹿の創汰。
【そうだ。お前はちっとも悪くないのだ。だからもう誰かのために戦うなんてやめるのだ。今まで正義のために戦ってきた結果、お前はどうなったのだ。クラスメイトたちはお前を暴力女扱いして壁を作ったではないか】
女の目が陽奈の闇を刺激する。陽奈の中に住む嫌な子を増長させる。けれど陽奈にはどこか解放感がある。自分の中の嫌な子を理解してもらえることが、こんなに気持ちいいなんて知らなかった。
【お前は本当は優しい子なのになぁ】
いっそこの女にひざまずきたくなる。
【優しいお前がこんな目にあってるのに、誰も助けに来ないなんてなぁ】
――もう何もかもがどうでもいい。
陽奈はぐったりとうなだれる。抵抗する気力もない。無抵抗なのをいいことに、不良たちが好きにしてくる。赤髪が胸をまさぐってくる。スカートを捲り上げて黄髪が喜ぶ。でももう仕方がないのかもしれない。好きにすればいい。どうせわたしはひとりぼっちだ。
――黙れ。
頭の中の何かが陽奈を否定する。
――うるせえ、黙れ。
黙らない。
わたしなんかどうでもいいんだどうでもいいんだどうでもいいんだ。
「うるせえ、黙れえええ!」
本当に声が聞こえた気がして、陽奈は顔を上げる。
――幻覚?
見ると、開きっぱなしの傘を盾にした誰かが、不良たちの中を突っ込んでくる。誰も何も言ってないのに、「うるせえ」とか「黙れ」とか叫びながら、もう片方の傘を剣のように振り回して突っ込んでくる。ものすごい速さだ。
――でも。
あの速さに陽奈は見覚えがある。
――ばあちゃんを助けたときの速さ!(Speed when helped gran'ma)
スカートに夢中になっていた黄髪が気づいて「なんだテメエ」と振り返った時にはもう遅かった。創汰は逆手に持った傘を、何とかストラッシュと叫びながら黄髪の延髄に叩き込む。一撃で伸びる黄髪。放り捨てた傘が「く」の字に歪んでいる。赤髪、青髪がいきりたって「テメエぶっ殺す!」。創汰は盾にしていた方の傘をくるくる扱って、赤髪青髪の拳や蹴りをあしらいながら、「○○斬」「××剣」と隙を見つけては、傘の先端を突き刺していく。危ないから傘で人を突いては絶対駄目と小学校の先生に怒られる攻撃力。でも陽奈はこんなアクション映画をどこかで見たような気がする。気のせいかもだけど、誰かがどこかでやっていそうな気がする。
陽奈はへたり込んだまま、その光景を呆然と眺めていた。やがて傘の柄を脳天に叩き込まれた二人が伸びたところで、アクション映画は幕を閉じる。周囲には力尽きた不良の山が累々と築かれていた。
「創汰、どうして来たの!?」
創汰が北西高校に乗り込んでくるイメージがあり得なくて、疑問が口から飛び出た。
「Aが黙れって言ったんだ」
「……???」
わけがわからないけど、さておき陽奈は嬉しい。
創汰が痛みで立てない自分の目線まで降りてきて、腕の怪我を心配してくれたり、乱れたスカートの裾を直してくれたりするから、なおさら嬉しい。
「創汰。天乃さんがまだ見つからないの」
「陽奈はもういいよ。怪我してるし」
「でも――」と、立ちあがろうとする陽奈の頭を、創汰はぽんと押さえつける。
「バトンタッチしよう」




