第8夜
スカー・ナイトリーは劇団の団長であり、呪術師としてもかなり力をもった人物だった。
いつも床まで届きそうな長い黒髪を束ね、黒い瞳はその中に一瞬紫色を宿すほどに濃く深い。わりと長身のレオンよりも頭1つ分ほど大きい。2mはあろうかというほど彼は背が高いのである。
性別は男性だと認識しているが、詳細は年齢とともに不明である。 一説によるとすでに500年近く生きており魔術により性別はその時々で使い分けるとか。とにかく、劇団の団員でさえ詳しいことはよく知らないらしく謎の多い人物である。 確かなことはほぼ絶滅したと言われている魔法や呪いを使いこなせる数少ない人物であり、その魔力は国に遣えるほど強大なものだということだ。
ナイトリーはいつも不思議な香りのキャンドルを焚いていた。部屋に近づくにつれてそのにおいが強くなってきて、アレックスは眉間にシワをいっぱいよせて鼻を掻いた。この香りはとにかく強く、あまり良いにおいとは思えなかった。
この香りのせいか彼の部屋の近くには人は愚か虫さえも寄り付かない。辺りを見渡しても人は皆無だった。
「いるのは分かっている」
入るのを躊躇していると、ドアの向こうからナイトリーの声がした。渋々ドアを開けると漂っていた香りよりもさらに濃いものが部屋から溢れだした。
アレックスは一瞬は吐きそうになったのをこらえる。何度嗅いでもこの香りには馴れない。
薄暗い部屋の中ポツポツとにおいの元凶であるキャンドルに火が点っている。
マッチか何かをする音が聞こえ、一瞬火薬の臭いがした。部屋の真ん中にある、人ほどの大きさの巨大な蝋燭にナイトリーはそのマッチの火をつける。
すると電気を付けたように部屋が明るくなった。これにも恐らく魔法をある程度使っているはずだ。
部屋の中は魔術に使うのか見たこともない怪しい道具や動物の骨、蛇の瓶詰めなどさまざまなものが並べられている。
「これはこれは、本日の助演男優賞受賞者であらせられる」マッチの残り火を吹き消しながらナイトリーはゆったりと喋る。
「女役だけどな一応」
「お前のお陰で舞台は成功だ」
不適に笑ったかと思うとナイトリーはその喋りから想像できないほど素早い動きで手を伸ばし、アレックスの顎をつかむ。瞳をとらえられ、蛇に睨まれた蛙のように固まっていまいアレックスはされるがままだ。ごくりと喉を上下し生唾を飲み込む。
「リハーサルに遅れなければもっと良かったんだがな、下らない連中と喧嘩でもしてたのか」
アレックスの顔を右に傾け、その左にあるアザを見つめて言う。ナイトリーが指でひと撫でするとアザは一瞬で消えた。
「遅刻の罰として目玉を1つ取ってやりたいところだが、まあ今回はその名演に免じてやろう」
ナイトリーが手を引く、その解放された瞬間アレックスの体にどっと疲れが押し寄せた。まるで体重が急に増えたように体が重く、冷や汗が額から吹き出る。軽く息が切れていた。
「それからあの娘」
思いだしたようにナイトリーが続けた。アレックスは先ほど捕まれた顎の辺りを手でさすりながら、ピクリと眉をあげる。嫌な予感しかしなかった。
「拾ったらしいな」
「あいつに会ったのか」
ナイトリーの目元が笑う、彼の目には全てお見通しといった感じだ。アレックスの声と表情が強ばる。
「名前はアレクサンドラといったかな」
「この話はしたくない」
「驚いたよ“彼女”に瓜二つだ、それに名前まで」ジリジリとナイトリーが詰め寄る。
「スカー頼む、やめてくれ」
「名付け親は君か?」
「やめろって言ってるだろ!」
アレックスが叫んだ。顔は青ざめ、冷や汗が頬をつたい
顎から1つ落ちる。キャンドルの火の中に過去の幻影がフラッシュバックしていた。
記憶に残る人々の叫び声と、燃えさかる業火の中で怪しく微笑みながら息絶えている“彼女”。その死に顔は今でも焦げ後のように頭にこびりついて離れない。
「お前はそれで“彼女”に名前の借りを返したつもりなのかもしれないが――」
ナイトリーは派手な装飾がされた煙管を取りだし火をつけた。たちまち部屋を煙がつつむ。
「俺は自分の名前は捨てたんだ」
「知ってるさ」
アレッサンドロは本名ではない、この名前の本当の主は“彼女”なのだ。5年前に本当のアレクサンドラであった“彼女”からアレックスが勝手に借りて名乗っていた名前だったのだ。皮肉にも“彼女”と瓜二つのあの名のない娘に名前を貸すことで、アレックスは少し気が楽になっていた。
煙を吸っているとなんだかアレックスも心が落ち着いてきた。煙管の煙にも何やら細工がされているようだ。
「服を脱げ」ナイトリーがアレックスの様子を伺い、煙管をテーブルの上に置く。
「始めるぞ」そう言ったスカーの瞳が一瞬白く光った。




