EP 10
【AIが安くする仕事】
画面のブルーライトが、薄暗い部屋の壁に四角い光の輪を落としていた。
カタカタとマウスのホイールを回転させるたびに、俺の眉間の皺は深くなっていった。
クラウドソーシングサイトの案件一覧ページ。
そこに並んでいる募集要項の数字は、数日前に見た時よりもさらに荒涼とした光景を晒していた。
『最新のライフハックに関するコラム記事作成(三千文字)』
提示報酬、四百円。システム手数料を引かれれば、手元に残るのは三百二十円だ。文字単価にして約〇・一円。
『指定キーワードを使った商品紹介ブログ(五千文字)』
提示報酬、五百円。文字単価〇・一円。
さらにひどいものになると、『初心者歓迎!指定テーマのまとめ記事十本セットで千円』などという、一行あたり数銭にしかならないような買い叩き案件まで堂々と掲載されていた。
それなのに、恐ろしいのは応募者の数だった。
募集人数が一名のところに、わずか数時間で三十人、四十人もの応募者が群がっている。
「初心者ですが丁寧に頑張ります」「即日納品可能です」という定型文のようなアピールが、応募欄の下にずらりと並んでいた。
「なんでこんなことになってるんだ……?」
思わず声が漏れた。
三千文字や五千文字の文章を書くのが、どれほど骨の折れる作業か。
構成を考え、調べ物をし、文章の推敲を重ねれば、どう急いでも二時間や三時間はかかるはずだ。
それに対して支払われるのが、ジュース二、三本分の小銭。
これでは時給換算で百円どころか、数十円の世界に逆戻りしてしまう。
なぜ、こんな狂った相場が当たり前のように成立しているのか。
俺はブラウザのタブを切り替え、ジェミニの検索窓を開いた。
『クラウドソーシングにおけるWebライティングや単純作業の単価が急激に下落している理由と、現在の案件市場の傾向について調査してください』
ジェミニが軽快に市場動向のデータを拾い集めてきた。
【ジェミニ】「見つけたよ!主な要因は二〇二三年以降の生成AIツールの急速な普及だね。これまで人間の手で数時間かかっていた構成作成やドラフト執筆が、AIを使えば数十秒で数千文字出力できるようになった。その結果、市場には以下の二つの現象が起きているよ。
第一に、参入障壁の崩壊による供給過剰。特別な文章力を持たない初心者ワーカーが、AIの出力をそのまま貼り付けて納品する『AIコピペワーカー』として大量に参入したこと。
第二に、発注者側の意識変化。『AIにプロンプトを入れれば誰でも作れる程度の文章』とみなされ、記事作成の原価設定が極端に引き下げられていることだね」
ジェミニの分析を読み、胸の奥が冷え切っていくのを感じた。
そういうことだったのか。
キーボードを叩いて頭を捻らなくても、AIに「〇〇についての記事を三千文字で書いて」と指示を出せば、一瞬で文字の塊が出来上がる。
作業時間が五分で済むのなら、三百円でも割に合うと考える人間が出てくる。
そして発注者側も、「どうせAIで出すんだろうから、小遣い程度の報酬で十分だ」と買い叩く。
悪循環だった。
AIの登場によって仕事が簡単になった結果、その仕事自体の金銭的価値が暴落していたのだ。
だが、本当にそんなものが「仕事」として成り立っているのだろうか。
俺はジーピーの画面を開き、別の角度から問いをぶつけてみた。
『生成AIの出力をそのまま納品する手法について、発注者側の視点から生じる問題点とリスクを構造的に分析してください』
【ジーピー】「結論から言うと、発注者側には深刻な業務破綻が生じています。問題点は主に三点に集約されます。
第一に、ハルシネーション(事実誤認)の混入によるメディアの信用失墜。
第二に、独自性の欠如と検索エンジンからのペナルティリスク。どのAIワーカーも似たようなプロンプトを使うため、ネット上の既存情報を薄く引き伸ばしただけの無価値な金太郎飴記事が量産されます。
第三に、最も致命的なのが『検収コストの爆発』です。安価に記事を買い集めたものの、納品された文章のファクトチェックや手直しに、発注者側の社員が膨大な時間を奪われる事態が発生しています」
ジーピーの冷徹な指摘が、頭の中の霧を一気に吹き飛ばした。
検収コストの爆発。
その言葉を目にした瞬間、昨日テスト案件を合格にしてくれたメディアの担当者のメッセージが鮮明に蘇った。
『最近はAIの出力をそのまま貼り付けただけのような、数字の根拠も怪しい粗悪な納品物が大半を占めており、弊社の編集部でも事実確認に莫大な工数を取られて頭を抱えておりました』
あの担当者は、まさにその泥沼に苦しんでいたのだ。
安いからといってAIコピペ記事を買い集めた結果、嘘や間違いだらけで使い物にならず、自分たちで調べ直す羽目になっていた。
俺は椅子に深く背中を預け、天井の薄汚れた蛍光灯を見つめた。
もし俺が、手に入れた三つのAIを使って「楽をして稼ごう」としていたらどうなっていただろう。
AIが出力したもっともらしい文章を右から左へ横流しし、三百円や五百円の案件を何十件もかき集めて、糊口を凌ごうとしていたかもしれない。
だが、その先に待っているのは、いつアカウントをBANされてもおかしくない消耗戦と、時給数十円の底なし沼だけだ。
AIの出力をそのまま売るだけの人間には、未来がない。
機械がボタン一つで吐き出せるものに、人間がお金を払うはずがないのだから。
俺はブラウザを立ち上げ、あの匿名掲示板の画面を開いた。
いまや俺にとって、現場の知恵が集まる貴重な情報収集の場となっていた。
【表題】母の入院費を稼ぎたい高卒ニートの進捗報告スレ その2
58:名無しさん@お腹いっぱい。 ID:mInA70To
こんばんは。先日はありがとうございました。
おかげさまで一次資料を徹底的に確認したリサーチ資料が認められ、最初のテスト案件に合格して報酬をいただくことができました。
今日、次の案件を探すためにクラウドソーシングの募集を見ていたのですが、ライティングやまとめ記事の単価が文字単価〇・一円レベルまで暴落していて驚きました。
AIを使えば誰でも一瞬で書けるようになったせいで、単純な作業の価値がなくなっているように見えます。
これから先、個人がAIを使ってまともに生計を立てていくには、どう考えればいいのでしょうか。
書き込みボタンを押し、冷たい麦茶を一口飲んだ。
数分もしないうちに、レスが次々と画面に流れてきた。
59:名無しさん@お腹いっぱい。 ID:9pLk44Qe
お、イッチ生きてたか!
テスト合格おめ。ちゃんと一次資料で裏取った甲斐があったな。
60:税務・経理ニキ ID:k88Yt21A
文字単価〇・一円は完全に奴隷労働だな。
手数料引かれて所得税引かれたら、電気代すら払えんぞ。
そんな泥舟案件に手を出しちゃいかん。
61:名無しさん@お腹いっぱい。 ID:u33Mb91L
AIツールが一般化して、ネットのライティング市場は完全に焼け野原だよ。
「AI使って月三十万!」みたいな情報商材に釣られた情弱が参入して、ゴミ記事を格安でばら撒いてる。
発注する側もアホだから、安けりゃいいやで発注して、後から「使い物にならない」ってキレてる地獄絵図。
住人たちの辛辣な意見が並ぶ。
やはり、この焼け野原のような状況はネット全体で起きていたのだ。
そして、あの男の書き込みが投下された。
62:AIガチ勢ニキ ID:x77Lp0
いいところに気づいたな、イッチ。
そう、AIは「仕事を安くする」んだよ。
誰でもできることのハードルを極限まで下げて、コピペ職人の単価をゼロに向かって叩き落とす。
それが技術の進歩の現実だ。
だがな、本質を見誤るなよ。
市場が求めているのは「AIが書いた文章」じゃねえ。
「問題を解決してくれる確実な仕事」だ。
文字を埋めるだけの作業はタダ同然になったが、その裏で何が起きてる?
さっきのジーピーの言う通り、世の中は「AIが撒き散らしたゴミのファクトチェック」と「面倒な一次資料の確認」で悲鳴を上げてるんだよ。
AIの出力をそのまま売るな。
AIを使って、相手が一番やりたがらない「面倒くさいこと」を全部巻き取れ。
相手の時間を浮かせてやること、相手に安心感を与えること。
金はそこにしか発生しねえんだよ。
『AIの出力をそのまま売るな。相手が一番やりたがらない面倒くさいことを全部巻き取れ』
『金はそこにしか発生しない』
ガチ勢ニキの言葉が、乾いた喉に熱い塊となって落ちてきた。
胸の奥で、カチリと何かが噛み合う音がした。
そうだ。
あのシニア向けメディアの担当者が、なぜ俺の資料を絶賛してくれたのか。
なぜ、見ず知らずの高卒ニートに特急料金を上乗せし、追加で七千円を支払い、継続案件まで打診してくれたのか。
俺が立派な文章を書いたからではない。
AIが出した数字を疑い、厚生労働省の分厚い手引きを隅から隅まで読み、数字の根拠となるページ数を一行ずつ書き留めたからだ。
編集部の人間が何時間もかけてやらなければならなかった「面倒な事実確認の手間」を、俺が全部引き受けたからだ。
発注者が本当に欲しがっていたのは、三千文字のテキストなどではなく、「この記事の内容は法律的に絶対に間違っていません」という安心感だったのだ。
俺はキーボードに指を添え、スレッドに返信を打ち込んだ。
63:名無しさん@お腹いっぱい。 ID:mInA70To
ありがとうございます。目が覚めました。
発注者はお金を出して文字を買いたいのではなく、面倒な確認作業や、調べる手間から解放されたいからお金を払っているんですね。
自分は文章の才能も職歴もありませんが、公的資料を細かく照合したり、抜け漏れを確認したりする泥臭い作業なら、何時間でも続けられます。
AIに文章を書かせて納品するのではなく、AIを使って一次資料を効率的に探し、人間が困っている面倒を引き受ける仕事のやり方を考えてみます。
64:福祉職ワイ ID:w99Zk01L
せや、その通りやでイッチ。
医療や福祉の現場も全く同じや。
制度は複雑怪奇で、書類は山積み。みんな手続きの面倒さに押し潰されそうになっとる。
「面倒を引き受ける」ってのは、立派な福祉であり、ビジネスの原点や。
自分の長所を見失わんようにな。
画面の向こうの言葉に、力強く背中を押された気がした。
六年前、面接室で黒川に吐き捨てられた言葉。
『重箱の隅をつつくような面倒くさい奴』
世の中には、その「面倒くさい確認」を金を払ってでも誰かにやってほしいと切望している人間が、確実に存在しているのだ。
俺はブラウザのタブを閉じ、ノートとボールペンを引き寄せた。
母の胃がんの手術まで、あと数日。
白石さんから教わったように、来月には二か月分の高額療養費の自己負担と、日々の生活費が現実の請求書となってやってくる。
時給百円のデータ入力や、一文字〇・一円のコピペ記事に逃げ込んでいる時間はない。
俺が目指すべきは、AIを道具として使いこなしながら、顧客の『調べる面倒』を徹底的に肩代わりする仕事だ。
公的機関の一次資料を根拠にしたリサーチ。
制度の境界線を正確に整理した対照表の作成。
人が一番嫌がる、けれど絶対に間違えてはならない領域にこそ、俺の生きる場所がある。
「ジーピー、クロード、ジェミニ」
声に出して、画面の向こうの三つの知性に呼びかけた。
お前たちが出してくるもっともらしい嘘に、もう俺は騙されない。
だが、お前たちの圧倒的な処理速度と整理の力を、俺は手放すつもりもない。
AIに使われて安い労働力に成り下がるか。
それとも、AIを徹底的にこき使って、生身の人間の面倒を解決する価値を生み出すか。
二十四歳の元引きこもりが挑むべき、本当の働き方の輪郭が、静かに定まりつつあった。
読んでいただきありがとうございます。
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