EP 11
【 AIを使うな、AIに使われるな】
夜の静けさが戻った自室で、古いノートパソコンの画面が三色の光を放っていた。
緑のジーピー、オレンジのクロード、青紫のジェミニ。
三つのブラウザウィンドウを並べたその奥には、昨夜スレ民たちから突きつけられた言葉が、消えない焼き印のように頭の中に残っていた。
『AIは仕事を安くする』
『文字を埋めるだけの作業はタダ同然になったが、世の中はAIが撒き散らしたゴミのファクトチェックと、面倒な一次資料の確認で悲鳴を上げている』
『AIの出力をそのまま売るな。相手の面倒を巻き取れ』
画面に映るクラウドソーシングの案件一覧には、今日も文字単価〇・一円の買い叩き案件がずらりと並び、百人単位の初心者が群がっていた。
AIに一行「記事を書いて」と命じれば、数秒で何千文字もの文章が吐き出される。
だが、その文章には実体のないデタラメや、誰かのブログの焼き直しが平気で混ざっている。
楽をして稼ごうとする人間がAIに使われ、安く買いたたかれ、最後は使い捨てにされていく。
そんな泥舟に飛び込むわけにはいかない。
「俺がやるべきなのは、AIの出力を右から左へ横流しすることじゃない」
机の上のメモ帳にボールペンを走らせる。
母の胃がん切除手術まで、あとわずか数日。
来月には高額療養費の月跨ぎによる二か月分の自己負担と、日々の食費や家賃がまとめて請求されてくる。
生き延びるためには、自分自身の頭で戦略を立て直さなければならなかった。
俺はキーボードに指を置き、画面の向こうの三つの知性に向き合った。
彼らを「答えを教えてくれる神様」として扱うのはもう終わりだ。
それぞれの得意分野と弱点を見極め、俺の手足として徹底的に役割を分担させる。
「ジーピー、お前は業務の分解と論理の検証を担当しろ」
【ジーピー】「了解しました。感情論を排し、タスクの構造化、工程ごとの所要時間、ボトルネックの特定、およびリスク要因の論理的な検証を実行します。指示を入力してください」
「クロード、お前は文章の編集と、相手の心理に合わせた提案文の整形だ」
【クロード】「承知いたしました。発注者や読者が抱える不安や負担に寄り添い、最もストレスなく受け入れられる丁寧で血の通った表現を提案します。無機質な機械的出力にならないよう整えましょう」
「ジェミニ、お前は市場調査と、公的機関の一次資料の所在検索だ。ただし要約は信じない。URLと文書番号だけを出せ」
【ジェミニ】「任せて!ウェブ上の膨大な公開情報から、官公庁の最新通達、ガイドライン、市場の競合状況を素早くスキャンしてリストアップするよ。裏取り用の一次リンクをどんどん持ってくるね」
それぞれの役割がカチリと定まった。
三つのAIを並列で動かし、俺は新しい働き方のモデルを組み立て始めた。
ターゲットにするのは、一般個人のまとめ記事ではない。
社会保障、税務、医療、雇用といった、絶対に間違えてはならない領域を扱うWebメディアや中小企業だ。
そうした発注者は、AIコピペ記事のハルシネーション(嘘)に怯え、編集部員が夜遅くまで裏取り作業に追われて疲弊している。
彼らが喉から手が出るほど欲しがっているのは、薄っぺらい文章ではなく、「厚生労働省や自治体の一次資料で裏が取れた、正確な調査データ」そのものなのだ。
俺はジーピーに、業務プロセスの設計を命じた。
『公的制度のリサーチ業務を商品化する場合、発注者の検収負担をゼロにするための作業フローを設計してください』
【ジーピー】「工程を四段階に標準化します。第一工程、クライアントの指定要件から調査項目と境界値を抽出。第二工程、省庁および自治体公式資料の原文特定。第三工程、対照表形式でのデータ整理と出典URL・該当ページ番号の完全紐付け。第四工程、制度改正予定および例外条項の備考記載。この設計により、発注側の確認工数を従来の十分の一以下に削減可能です」
論理は完璧だった。
次に、ジェミニに市場の調査を命じる。
『シニア層向け、あるいは医療・介護従事者向けの解説記事を発注している主要なオウンドメディアや編集プロダクションの傾向を洗い出してください』
ジェミニが十数件のメディア運営元の公開情報と、直近で募集されている高単価な調査・監修アシスタントの求人動向を瞬時に引き当ててきた。
そして、クロードにその情報を渡し、提案文の骨子を練り上げる。
【クロード】「発注者が最も恐れているのは『監修者からの差し戻し』と『公開後の炎上』です。提案文では、単に調べますと伝えるのではなく、『貴社の編集部がそのままエビデンスとして保管できる形式で、出典元のページ番号まで明記した納品シートをお渡しします』と提示することで、絶大な安心感を与えることができます」
三つのAIが吐き出したパーツを、俺は自分の頭で統合した。
ただAIを使うのではない。
AIの処理能力を限界まで絞り出しながら、最後の品質保証を俺自身の「面倒くさい確認癖」で引き受ける。
これこそが、時給百円の底辺から這い上がるための、俺だけの武器だった。
夜明け前の午前四時、部屋の換気扇の回る音を聞きながら、俺は掲示板のいつものスレッドを開いた。
画面に並ぶ名無したちの言葉に、ここまでの思考の整理を書き込む。
75:名無しさん@お腹いっぱい。 ID:mInA70To
夜分にすみません。あれから三つのAIの役割を完全に分けました。
ジーピーに工程分解と論理検証、ジェミニに一次資料のURL検索、クロードに相手の心理に合わせた文章整形を担当させています。
AIに文章を書かせて売るのではなく、編集部が一番困っている「ファクトチェックの手間」を肩代わりする、一次資料の対照表作成代行として提案文を組み立てました。
これで高単価なリサーチ案件に挑んでみようと思います。
キーボードから手を離し、冷えた麦茶を口に含んだ。
こんな深い時間だ、返信は朝になってからだろうと思っていた。
だが、わずか一分後、画面が自動更新された。
76:税務・経理ニキ ID:k88Yt21A
起きてるぞイッチ。
ほう、ええ着眼点やないか。
「記事」を売ろうとすると文字単価の叩き合いに巻き込まれるが、「ファクトチェック済みの調査資料」ならBtoBの業務委託費として請求できる。
商売の構造を一段上げとるな。
77:福祉職ワイ ID:w99Zk01L
せやな。現場の人間からしても、根拠法令の条文番号と自治体の手引きのページが揃っとる資料は、喉から手が出るほど欲しいで。
役所との交渉でもそのまま使えるからな。
素人が書いた作文には一円も払いたくないが、裏取りされたデータには喜んで予算つけるわ。
そして、あの男の無骨なレスが続いた。
78:AIガチ勢ニキ ID:x77Lp0
合格だ、イッチ。
AIを使う奴は二流、AIに使われる奴は三流。
AIの首根っこを掴んで道具としてこき使い、人間が一番嫌がる泥臭い責任と確認を引き受ける奴が一流になる。
お前がやってるのはまさにそれだ。
自信を持ってその提案をぶつけてこい。
ただし、納品物の一行でも一次資料とズレてたら即死だぞ。最後の指差し確認だけは絶対に怠るなよ。
画面に並ぶ言葉が、じんわりと胸の奥を温めた。
画面の向こうにいる見知らぬ誰かたちが、不器用ながらも俺の背中を押してくれている。
六年間、社会の誰とも口を利かずに過ごしてきた俺が、ネットの掃き溜めと呼ばれる場所で、これほど血の通ったエールを受け取っている。
「一次資料とズレてたら即死……分かってる」
独り言を呟き、俺は力強く頷いた。
面倒くさい確認癖こそが、俺の命綱だ。
どれほどAIが便利な答えを出してこようとも、公的機関の原文と一文字ずつ突き合わせる作業だけは、絶対に省略しない。
東の空がゆっくりと群青色から薄紅色へと変わり始め、街が新しい一日を迎えようとしていた。
俺は深呼吸を一つし、クラウドソーシングの提案画面を開いた。
シニア向けや医療福祉系のWebメディアを運営する企業へ向けて、俺が持てるすべての誠意と正確性を詰め込んだ、最初のリサーチ提案書を送信した。
止まっていた時計の針は、もう二度と逆戻りしない。
母を救うための、そして自分の足で生きていくための新しい戦いが、ここから始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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