辺境メモリー ~死者の意思だけを「歪まない言葉」と認識する、12歳の女の子~
【あらすじ】
生者の感情に価値を見出せなくなった結果、死者の意思だけを「歪まない言葉」と認識する、12歳の女の子の物語。主人公ナギサが行く先は……。
SF風のディストピアですが、文芸的側面が強いと思います。
『 第二のナギサ 』
土を踏む。
野草が生えていたのだろうか、それとも蟻でもいたのだろうか。私、ナギサは廃したカラカラの地面を、ひたすら歩いていた。
この混沌を何と言うべきなのか。12歳の私の心は、かつてない闇とも言うべき何かで満たされていた。家族が死んだからだろうか。街の人が死んだからだろうか。記憶はない。でもそんなんじゃない。
私は、他人などどうでもいいのだ。
『 みかん 』
私――ナギサは歩いていた。どこまでも続きそうな、乾いた黄土色の道。その道は、右や左にうねり、さらには盛り上がって私を阻害した。12歳の私は、体力の限界が近づいていた。
「何かは食べないと…」
そう考えるも、なかなかに食料事情は厳しかった。川がないため魚をとれず、路肩の桜や松の木は実など作らない。崩れた廃屋の庭に柿でも生えていればいいのだが。否、路肩のどの家にも生えていない。いや、厳密には腐っている。
半世紀前、この周辺で木の病害が発生した。そして、この集落が朽ちたのは、70年前だ。崩壊した家の、ポストの新聞がそれを語っていた。病気に対して何の対策も打っていないこの廃村は、すっかり侵されてしまったのだろう。
私は、地面の石ころを蹴った。砂埃が舞い上がり、私のボロボロの靴を汚す。
「ここでの食料探しはあきらめよ…」
この廃村に用はないな。私はそう結論付けた。
その時だった。
ガサガサッ
奥の背の高い草をかき分けて、小さなサルが出てきた。
私はゆっくりと後退した。熊ではないが、サルも十分危ない。
サルは私の方を見た。何か橙のものをくわえていた。
みかんだった。
それはプラスチックの包装がされていた。みかんの「袋掛け」用のものだ。
袋掛けはみかん農家の栽培技法の一つ。本格的に袋掛けが行われ始めたのは10年前ー病害の40年後だ。となると、先の病害後に、薬か何かでみかんの木を保護した人物がいたことになる。
この廃村に、病害以降、割と最近まで人がいたのだ。
私は崩れた家によじ登り、屋根の上から周囲を見まわした。
「あった…」
だいぶ奥の斜面に、太陽光を反射するガラスがキラリと見えた。
廃屋からゆっくりと降りて、私は歩き出した。
〈 遺書 〉
その家は小高い丘の上にあった。一般的な木造の日本家屋。瓦が落ちていたり、離れの納屋が崩れていたりしている。家自体は崩落しておらず、まだ耐えているようだった。
私は庭に侵入し、小さな池の横を通った。玄関についた。すりガラスのその戸は圧がかかっているのかひび割れていた。
戸を引っ張ってみたが、開かない。
仕方ないので庭に戻り、うろうろした。玄関の反対側、この家の裏の、崩れた離れの納屋へ向かってみた。すると、そこには縁側があった。障子は開かれている。疲れに耐えられず、私は目の前の縁側に腰を下ろした。
「はぁ」
私は目をつむって伸びをした。
とりあえず2日は何も食べていない。ぐぅ。と、おなかが鳴ることすらなくなった。これ以上は危険ーそう私は感じていた。
私は腰を掛けている縁側から外を見た。
縁側の目の前には田んぼが2枚。その奥に、プラスチックの袋に覆われた複数の果実が見える。
食料探しをしなければいけないが、私は縁側から立ち上がれなかった。
みかんの木は、少し離れているが目と鼻の先だ。
その距離を詰めれないほど、空腹で動けないーーということではない。
人の家財道具をあさることに、私は手がでなかった。この家のどこかにあるであろう冷蔵庫も食料棚も、植樹された菜園の草木も、この家の主の所有物。
こう考えてしまうのは、家柄のせいだろうか。
しかし、ここで死ぬわけには。何か食べ物を……いや。
そもそも、
なぜ生きようと?
血肉を狙ったカラスが、家の上を周回している。
最悪の問だ。
廃したこの世界で、生存本能と生きる意欲が問われるこのタイミングで思うことじゃない。それでも思ってしまう理由はある。
先の心の混沌だ。私には記憶もないのに、身体は昨日のことのように覚えているようだった。ただ理由のわからない、記憶を失う前の第一のナギサが残したこの混沌のせいで、私は食から逃げ、死のうとしているのだった。
そう考える間にも、腹は空く。
この小高い丘の上からは、下のほうがよく見える。
下(丘の麓)では、生き残りによる炊き出しが行われていた。しかし、私は避けた。これは第一のナギサが一方的に残した呪縛ではない。人嫌いに関しては、私、第二のナギサも賛成だった。
「賞味期限切れの食品は貰っても、いいかな…」
いいのだろうか。
縁側に座る私を、濁った空が見つめていた。カラスも空も、私をそそのかしているようだった。
私は縁側で土埃をかぶった靴を脱ぎ、家へ入った。
「家の中をのぞく……くらいは許されるかな」
仲間を呼んでいるのか、カラスがざわつく。後悔の先の飯は甘いらしいと……。
〈 後悔 〉
畳を踏んだ。
縁側からすぐの部屋は、畳張りの和室だった。部屋の床には数冊の本だけが落ちていた。それ以外には、私の左の壁に一幅の掛け軸と、掛け軸の反対、右側の壁を埋める、一面の本棚。
床の本を避けるために、私は本棚すれすれを通った。
しかし、あいにく私は空腹と疲労でよろめいていた。したがって、本棚に裾を引っ掛けてしまった。大量の古本が私を襲った。全ての本が落ちるまで、体感30秒ほどだった。床に臥す私と床一面に散らかる本。私より1mも高い本棚が、侵入者の私に抗っているようだった。悪いのは私だから本棚に八つ当たりなんかはできない。
痛みと同時に、何か走馬灯のような何かが脳裏に蘇った。
『大丈夫ですか !? 』
情景ははっきりと浮かばず、薄い色だけがついている。
『ナギサ様、こちらへ』
誰かが私を心配している。いや、違う。
これはー
誰も彼もが媚びてくる、おそらく第一のナギサの日常。内容も分からないのに、私は気分が悪くなった。この棚は、ついでに私に第一のナギサを固執させようとまでしてくるのだった。
謝罪はいくらでもするから、早くこの記憶を消したかった。しかし、詫びの言葉を聞く耳を無機物のこの家はもたない。
出ていけーーそう、家が言っている気がした。
私は倒した棚だけ戻してこの家から去ることにした。
体にかぶさるように山になっている本を少しずつどけていき、とりあえず本の拘束からは出ることができた。
休憩などはせず、私はすぐに本を直し始めた。
古い本が多い。適当につかむと、指が本に沈みそうだった。
できるだけ慎重に。そうやっていくつかの本を拾った時だった。
私は、この家に入ったことを後悔した。
遺書が出てきたのだ。
空は相変わらず濁っている。
血肉を狙っていたカラスは、私の片づけに待ちくたびれて、どこかへ行ってしまった。
遺書。
この家の、家族が見つけなければいけないもの。
取り返しのつかないことをした。
どの段に、どこに挟まっていたんだろう。
こうなってしまった以上、そんなの分からない。私はとりあえず手近な本に挟むことにした。
しかし、遺書をしまう私の手は止まった。
『ふらりとここを訪れた、あなたへ』
『遺書』と書かれた面の反対側に、上の文言が書かれていた。不法侵入者への戒めと勤めなのだろうか……。
〈 墓掃除 〉
『まず、庭の木からみかんを手に入れること。次に墓場に行き、ご先祖様の墓石を洗うこと。その後線香をつけることも忘れないように。』
遺書の冒頭。
一般的には、この遺書の主はとんでもない人だと言われるだろう。家族に頼むべきものを、他人にやれと言っているのだ。しかし、私はそうは思えなかった。なんせ、私は侵入…(以下略)。
それに、私は食料問題さえ解決されれば、特にやることがなかった。
「墓掃除、やろう」
何かやる気になったのは、この遺書が初めてだ。私は半ばやらされているが、それ以上に主体的な決定を私は行った。
遺書をたたみ、みかんを得るために庭へと向かった。
縁側から田んぼ2枚超えた先にあるみかんの木。
橙の果実をとりながら、私は感銘を受けていた。
遺書の主が誠実だったからだ。
見返りを求めず、感謝も要らない。実行されればそれでいい。この遺書に、第一のナギサも心動かされたように思った。
そして、私の意思が固まったのは、この一文だった。
『墓をきれいにしてくれ。故人は情を持たず、感謝も言わない。墓掃除は良いぞ』
* * *
私は墓場にいた。
コケの蒸す墓石に、まず水をかけた。
私は墓掃除をやった試しがない。とりあえず、遺書の主が指定したままにスポンジと雑巾とを抱え、水の張ったバケツを片手にとり、長い階段を登って墓場まで来たのだ。
「水をかけたから、次はスポンジで……」
いいのだろうか。
傷がつかないかな。
結局、私は苔を一つずつ手作業で取り除いた。文字のすき間に、砂利の間に、いたるところの苔を私は取っていった。
スポンジに水を含ませる。洗剤を使っていいのか、これまた分からないので、水だけでやった。汚れはしつこい。何度も何度もスポンジをバケツに突っ込んで洗った。
『吉井家』
苔に覆われていたその文字は、風雨にやられていたため欠けていたが、立派な立ち居振る舞いをしていた。
* * *
私はミカンを右手にし、左手でゆっくり筋をはがしていた。既に遺書の家に帰ってきている。掃除道具は既に洗って戻した。
プッ。
ミカンの筋が切れた。
私は、筋の残ったミカン一欠を口に運んだ。遺書の主は、はじめから私にミカンをあげるつもりだったらしい。
『ミカンは腐るので、線香をつけて10分経ったら持ち帰ること。』
ミカンは美味しかった。
ごちそう様でした。
ミカンの皮は、指示通り畑に埋めて、私は遺書の主の書斎から、筆を借りた。
これは指示ではないが、するべきだと思ったのだ。
『遺書 一回目掃除二〇〇二年一月一七日/ナギサ』
墓掃除は一度きりではない。それだけ。
私はその遺書を片付けた本棚に挟んだ。ちょっと見える位置に。
丘の上の家を出た。長居は良くない。かといって、これからすることはあるのか。そう誰かに聞かれても、今は答えることができる。
私は、死者に寄り添おう。
END.
続きを制作するかもしれません。その時が来れば、お楽しみに。




