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【最新作】普通を演じる元天才子役は、隣室の美少女優等生に生活を管理される  作者: 優
第二章 初恋の人を、好きになるまで

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第43話 秘密を知った翌日



 月曜日の朝。


 いつもの時間に玄関を出た悠真は、隣の部屋の扉が開く音を聞いた。


「おはよう、悠真くん」


「おはよう」


 制服姿の美咲が、少し緊張した笑顔を浮かべている。


 見慣れた姿。


 聞き慣れた声。


 それなのに、二人の間には昨日までと違う空気があった。


 美咲は悠真の正体を知った。


 目の前にいる水瀬悠真が、かつて天宮レイとして活動していたことを。


 秘密を打ち明けると決めたのは悠真自身だ。


 後悔はしていない。


 それでも、どのような目で見られるのか気になってしまう。


「……何?」


 悠真の視線に気づき、美咲が首を傾げた。


「いや。何でもない」


「それ、最近多いよ」


「美咲もよく言うだろ」


「私は本当に何でもないときしか言いません」


「昨日だけで何回誤魔化した?」


「それは……」


 美咲の頬が赤くなる。


 膝枕。


 額へのキス。


 間接キス。


 そして、ほとんど告白に近い言葉。


 昨日は二人にとって、何でもないでは済まない出来事が多すぎた。


「忘れてって命令したものは、忘れた?」


「忘れたふりなら」


「本当に忘れる気はないんだね」


「美咲が覚えてていいって言ったんだろ」


「全部じゃないよ」


「どれを忘れればいい?」


「それを言ったら、思い出すでしょう?」


 美咲は困ったように眉尻を下げる。


「じゃあ、全部覚えておく」


「……意地悪」


 そう呟きながらも、美咲は嫌そうではなかった。


 二人は並んでエレベーターへ向かう。


 悠真がいつものように鞄を右肩へ掛けようとすると、美咲の手が伸びてきた。


「駄目」


「痛くないよ」


「全治一週間です」


「全治とは言われてない。激しい運動を一週間控えろって言われただけ」


「重い鞄を右肩で持つのも控えてください」


「左手が塞がるだろ」


「何か困るの?」


「美咲と手をつなげない」


 口にした直後、美咲の動きが止まる。


 悠真も、自分が何を言ったのか少し遅れて理解した。


「いや、今のは――」


「そ、そうだね」


 美咲は悠真の鞄を受け取ると、自分の左肩へ二つまとめて掛けた。


 右手だけを空け、悠真の方へ差し出す。


「これなら、つなげるよ」


「本当に?」


「悠真くんが言ったんでしょう?」


「そうだけど」


「嫌なの?」


「嫌じゃない」


 悠真は美咲の右手を握る。


 昨日と同じように、指と指を絡めた。


 触れた瞬間、美咲の指が少し震える。


「学校まで、このまま?」


「人に会うところまで」


「どこまでなら大丈夫なんだよ」


「マンションの前までかな」


「近いな」


「誰かに見られたら恥ずかしいもの」


「球技大会で散々見られたのに?」


「だからこそ、これ以上は駄目なの」


 美咲はそう言いながらも、エレベーターが一階へ着くまで手を離さなかった。


 扉が開く。


 まだ誰もいないことを確認すると、二人は手をつないだままエントランスを歩いた。


 マンションの出口が近づくにつれ、美咲の歩く速度がわずかに遅くなる。


「どうした?」


「何でもない」


「手を離したくない?」


 美咲の肩が小さく跳ねた。


「……少しだけ」


「なら、もう少しこのままでいる?」


「学校の人に見られるかも」


「俺は別にいいけど」


「私は恥ずかしいよ」


「じゃあ離す?」


「それも嫌」


「注文が多いな」


 悠真が笑うと、美咲は少し不満そうに唇を尖らせた。


「誰のせいで、こんなに悩んでると思ってるの?」


「俺?」


「そうだよ」


「何もしてないけど」


「昨日、あんなこと言うから」


「あんなこと?」


「私の『好き』が嬉しかったって」


 美咲の声は小さい。


 朝の住宅街には人が少ないが、それでも誰かに聞かれないよう、悠真の方へ少し身を寄せている。


「それは本当だから」


「そういうところ」


「何が?」


「急に素直になるところ」


 美咲は悠真の手をきゅっと握る。


「期待しちゃうから、困る」


「……期待していいよ」


 ほとんど考えずに答えていた。


 美咲が足を止める。


 悠真も引かれるように立ち止まった。


「今、何て言ったの?」


「自分の気持ちを考えるって言っただろ」


「うん」


「まだ全部分かったわけじゃない。でも、美咲に好かれるのは嬉しい。手をつなぐのも、そばにいてくれるのも嫌じゃない」


 悠真はつないだ手へ視線を落とす。


「それどころか、俺から離れてほしくないと思ってる」


 言葉にするほど、胸の内側が熱くなる。


 これが恋なのか。


 悠真には、まだ断言できない。


 子役だった頃、恋愛感情を演じたことならある。


 台本に従い、相手を愛おしそうに見つめ、別れを惜しんで涙を流した。


 視聴者からは、本当に恋をしているようだと褒められた。


 だが、今は台本がない。


 どこで笑えばいいのかも、どんな言葉を選べば正解なのかも分からない。


 それでも、美咲を失いたくないという思いだけは、演技ではなかった。


「だから、期待していい」


 悠真が顔を上げる。


 美咲は目を見開いたまま、動かなかった。


 やがて瞳が潤み、頬が赤く染まっていく。


「……それ、告白みたい」


「告白ではないと思う」


「そこは違うんだ」


「今は、まだ」


「今は?」


「美咲も同じことを言ってただろ」


 少し意地悪く返すと、美咲は口元を緩めた。


「じゃあ、待ってる」


「うん」


「そんなに長くは待てないかもしれないけど」


「それは困る」


「そのときは、私から言うね」


 美咲は柔らかく笑う。


 数秒見つめ合ったあと、通学中らしい自転車が角を曲がってきた。


 二人は慌てて道の端へ寄る。


 その拍子に美咲が悠真の腕へ身体を寄せた。


 柔らかな感触が触れ、悠真の背筋が伸びる。


「ご、ごめん」


「いや」


 自転車が通り過ぎても、二人はすぐには離れられなかった。


 美咲の肩と悠真の腕が触れている。


 つないだ手もそのまま。


「……学校、遅れるよ」


「そうだな」


「そろそろ手、離さないと」


「うん」


 そう言いながら、どちらも指を解こうとしない。


 結局、同じ制服を着た生徒が前方に見えるまで、二人は手をつないでいた。


     ◇


 教室へ入った瞬間、空気が変わった。


「水瀬、おはよう!」


「肩、大丈夫か?」


「昨日病院行ったんだろ?」


 今まで悠真へ朝から話しかけてくるのは、孝太郎くらいだった。


 しかし今日は、何人ものクラスメイトから声をかけられる。


「骨は大丈夫だった?」


「軽い打撲。しばらく運動を控えれば平気だって」


「よかったな」


「決勝、惜しかったよな!」


「水瀬が途中まで出てくれたおかげで、あそこまでいけたんだぞ」


「ありがとう」


 以前の悠真なら、曖昧に笑って会話を終わらせていただろう。


 だが今日は、相手の目を見て答えた。


「俺だけじゃ何もできなかったよ。みんなも、ありがとう」


 クラスメイトたちは一瞬驚いたあと、嬉しそうに笑う。


「何だよ、急に真面目になって」


「水瀬ってもっと無口だと思ってた」


「話すと意外に普通なんだな」


「今まで何だと思ってたんだよ」


「背景?」


「それはひどくない?」


 教室に笑い声が広がる。


 少しだけ恥ずかしい。


 多くの人に見られることへの怖さも、まだ残っている。


 それでも、撮影所で向けられていた視線とは違う。


 誰も悠真へ、特別な何かを求めているわけではない。


 ただ、同じクラスの一人として話しかけている。


「人気者だな、悠真」


 席へ着くと、孝太郎が前から振り返った。


「疲れるけど、前ほど嫌じゃない」


「それは成長だな」


「上から目線だな」


「俺は入学直後からお前に話しかけ続けた功労者だぞ」


「何の功労だよ」


「目立たない水瀬悠真を発掘した功労」


 発掘という言葉に、胸が一瞬だけざわつく。


 だが孝太郎に悪意がないことは分かっている。


「それなら、見る目があったな」


「お、今日は素直だ」


「たまにはな」


 二人が話していると、美咲と菜月が教室へ入ってきた。


 今朝、一緒に来たことを隠すため、美咲はマンションから少し離れた場所で悠真と別れた。


 五分ほど時間を空けてから登校したらしい。


「美咲、おはよう」


 悠真が何気なく声をかける。


 教室が静かになった。


「あ」


 美咲は入口で固まる。


 悠真も周囲を見て、学校では名字で呼ぶことになっていたと思い出した。


「悠真。もう隠す気ないだろ」


 孝太郎が呆れたように言う。


「朝から自然すぎる」


 菜月も美咲の隣で笑っている。


「今のは間違えただけ」


「間違えるくらい、普段から名前で呼んでるんだ?」


「それは……」


 美咲が顔を赤くする。


 教室にいたクラスメイトたちの視線が、二人へ集まる。


「やっぱり付き合ってる?」


「いつから?」


「隣に住んでるって本当?」


 質問が次々に飛んでくる。


 美咲は困り果てたように悠真を見る。


 今までなら、悠真はすぐ否定しただろう。


 余計な注目を避けるため。


 自分と美咲の関係を深く詮索されないため。


 けれど、昨日美咲が言った「まだ」という言葉が頭に浮かんだ。


「付き合ってないよ」


 悠真が答える。


 美咲の表情が、わずかに曇る。


「今は、まだ」


 その一言を付け加えた。


 教室が一瞬静まり返る。


 次の瞬間。


「それ、ほとんど付き合うって宣言じゃん!」


「水瀬が言ったぞ!」


「一ノ瀬さん、顔真っ赤!」


 一気に騒がしくなる。


 美咲は両手で顔を隠し、その場へしゃがみ込みそうになっていた。


「ゆ、水瀬くん……!」


「美咲が昨日言ってたから」


「だからって学校で言わないでよ!」


「俺だけ隠すのも不公平だろ」


「不公平っていう問題じゃない!」


 抗議しながらも、美咲の口元には小さな笑みが浮かんでいる。


 嬉しい。


 表情が、そう伝えていた。


「朝からごちそうさま」


 菜月が美咲の肩を軽く叩く。


「進展が早いね」


「まだ何も進展してないよ」


「水瀬くんに『今はまだ』って言われたのに?」


「それは……」


 美咲は悠真をちらりと見る。


 目が合うと、今度は逃げずに微笑んだ。


「少しだけ、進展したかも」


 その言葉に、また教室が沸く。


 悠真は頬が熱くなるのを感じながら、窓の外へ視線を逸らした。


 秘密を一つ明かしただけで、世界が少し変わったように感じる。


 もちろん、天宮レイについて知っているのは美咲だけだ。


 学力を隠していることも、美咲以外には知られていない。


 運動能力については、球技大会で周囲に気づかれ始めた。


 それでも、以前のようにすべてを隠し続ける必要はないのかもしれない。


     ◇


 昼休み。


 美咲から渡された弁当を机の上に置いていると、孝太郎が自分の椅子を持ってきた。


「一緒に食べようぜ」


「いいけど」


「一ノ瀬さんたちもいい?」


 孝太郎が隣の机へ声をかける。


「うん」


 美咲と菜月も机を寄せ、四人で弁当を食べることになった。


 悠真が蓋を開ける。


 鶏肉の照り焼き、ほうれん草のおひたし、卵焼き。栄養のバランスまで考えられた弁当だった。


「今日も美味そうだな」


 孝太郎が覗き込む。


「毎日一ノ瀬さんに作ってもらってるのか?」


「毎日じゃないよ」


 美咲が答える。


「週に四、五回くらい」


「ほとんど毎日じゃん」


「食生活を任せてる」


「悪びれずに言うな」


 孝太郎が呆れる。


 菜月は美咲の弁当と悠真の弁当を見比べた。


「中身、ほとんど同じだね」


「材料を分けるより楽だから」


「夫婦のお弁当みたい」


「菜月、すぐそういうこと言う」


 美咲が頬を赤くしながら卵焼きを口へ運ぶ。


 悠真も同じ卵焼きを箸で摘む。


「今日の、少し甘い?」


「分かる?」


「前より砂糖が多い気がする」


「悠真くん、甘い方が好きそうだったから」


「うん。こっちの方が好き」


「じゃあ、次からこの味にするね」


 二人が自然に会話を続ける。


 孝太郎と菜月は箸を止め、無言でこちらを見ていた。


「何?」


 悠真が尋ねる。


「いや」


 孝太郎は首を振る。


「本人たちだけが付き合ってないと思ってるんだなって」


「俺たちに言ってる?」


「他に誰がいるんだよ」


「食事の好みを話しただけだろ」


「次から味を変える約束までしたよね?」


 菜月も加わる。


「美咲、水瀬くんの好みに合わせて料理してるんだ?」


「食べる人が喜ぶ味にするのは普通だよ」


「水瀬くん以外にもする?」


「それは……」


 美咲が考え込む。


 やがて悠真を見て、小さく首を振った。


「しないかも」


「ほら」


「何が、ほらなの?」


「重症だね」


「どうして!?」


 美咲と菜月のやり取りを見ながら、悠真は卵焼きをもう一つ口へ運ぶ。


 甘い。


 けれど、嫌な甘さではない。


     ◇


 放課後。


 教室を出ようとした悠真は、廊下で一人の女子生徒に呼び止められた。


「あの、水瀬くん」


 同じ一年生だが、クラスは違う。


 名前も知らない女子だった。


「何?」


「球技大会、格好よかったです」


「ありがとう」


「それで、よかったら……」


 女子生徒は緊張した様子で、両手に小さな封筒を持っている。


 淡い水色の封筒。


 端には、小さな花のシールが貼られていた。


「これ、読んでください」


 周囲にいた生徒たちが、すぐに反応する。


「ラブレターじゃない?」


「水瀬、モテ期きたな」


 囁き声が聞こえる。


 女子生徒の顔は真っ赤だった。


 ここで受け取らなければ、彼女へ恥をかかせる。


 かといって受け取れば、期待させてしまうかもしれない。


 悠真が返答に迷っていると、教室から美咲が出てきた。


「悠――」


 名前を呼びかけ、美咲の声が止まる。


 封筒を差し出す女子生徒。


 それを見つめる悠真。


 状況を理解した美咲の笑顔が、わずかに固まった。


「……水瀬くん」


 名字へ言い直す。


 その声は、普段より少しだけ低かった。


 菜月から言われていた。


 球技大会で活躍した悠真は、女子から注目され始めていると。


 分かっていたはずだ。


 それでも実際に目の前で見ると、胸が締めつけられる。


「ごめん、美咲。少し待ってて」


「うん」


 美咲は笑顔を作る。


「外で待ってるね」


 そう答え、悠真の横を通り過ぎる。


 すれ違う瞬間。


 美咲は何も言わなかった。


 だが、スカートの横で握られた手が、微かに震えていた。


 悠真はその背中を見つめる。


 胸の奥に、焦りが生まれる。


 美咲を待たせたくない。


 悲しそうな顔もさせたくない。


 その気持ちは、考えるより先に答えを決めていた。


「ごめん」


 悠真は女子生徒へ向き直る。


「それは受け取れない」


「……好きな人がいるんですか?」


 女子生徒が勇気を振り絞るように尋ねる。


 今までなら、いないと答えていただろう。


 自分の気持ちはまだ分からない。


 美咲へも、そう伝えている。


 けれど。


 廊下の先で立ち止まり、こちらを振り返らずに待っている少女を見た。


「いるよ」


 悠真は静かに答えた。


「まだ、ちゃんと伝えられてないけど」


 口にした瞬間、胸の中にあった曖昧な感情が、初めて一つの形を持った。


 美咲のそばにいたい。


 他の誰かに彼女の隣を譲りたくない。


 そして、美咲が向けてくれる気持ちを、自分だけのものにしたい。


 それを恋と呼ぶのなら。


 悠真はもう、答えを見つけていた。

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