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【最新作】普通を演じる元天才子役は、隣室の美少女優等生に生活を管理される  作者: 優
第一章 嘘の平凡と、隣の優等生

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第20話 二人だけの秘密

 数学の答案が返却された日の午後。


 悠真は残りの教科でも、予定どおりの点数を取っていた。


 国語は七十八点。


 英語は八十一点。


 化学は七十九点。


 日本史は七十六点。


 どの教科も平均点を少し上回る程度で、成績上位者として名前が挙がるような点数ではない。


 問題は、その内容だった。


 国語では基本的な漢字を間違えているのに、多くの生徒が落とした記述問題へ必要な要素をすべて書いている。


 英語では簡単な文法問題を二つ間違えながら、最も難しい長文問題は正解。


 化学と日本史も同じだった。


 基礎問題に不自然な間違いがあり、その一方で正答率の低い問題を完璧に解いている。


「水瀬くん」


 昼休み。


 美咲は五教科分の答案を持ち、悠真の机へやってきた。


「私の答案、持ってきたよ」


「頼んでない」


「水瀬くんの答案と比べようと思って」


「どうして?」


「同じところを間違えているかもしれないでしょう?」


「学年一位が俺と同じところを間違えるとは思えない」


 美咲の結果は、数学以外もほぼ満点だった。


 国語九十六点。


 英語九十九点。


 化学百点。


 日本史九十八点。


 五教科の合計は四百九十一点。


 おそらく今回も学年一位だろう。


「でも、数学の最後の問題は水瀬くんだけ正解だったよ」


「俺だけとは限らない」


「先生が、クラスで正解したのは一人だけだって言ってた」


「学年全体なら他にもいるだろ」


「それでも、すごいことだよ」


 美咲は嬉しそうに目元を緩めた。


 まるで自分の点数より、悠真の正解を喜んでいるようだった。


「どうして一ノ瀬さんが得意そうなんだ?」


「私との約束の一問だから」


「解いたのは俺だ」


「でも、本当の答えを書いてってお願いしたのは私でしょう?」


 美咲は悠真の前にある答案へ手を伸ばす。


「見てもいい?」


「帰ってからと言っただろ」


「少しだけ」


「駄目だ」


「減るものじゃないよ?」


「周りに見られる」


 悠真が声を低くする。


 美咲は周囲を確認した。


 孝太郎は購買へ行っており、まだ席へ戻っていない。しかし、教室には他の生徒が何人も残っている。


「……そうだね」


 美咲は納得したように手を引いた。


「ごめんなさい」


「別に謝るほどじゃない」


「帰ってからなら、見せてくれる?」


「ああ」


 美咲の表情が明るくなる。


「水瀬くんの部屋で?」


「一ノ瀬さんの部屋でもいい」


「それなら、私の部屋にしない?」


「どうして?」


「今日は私が夕食を作るから。その前に一緒に答案を見たいの」


「俺の部屋でも作れるだろ」


「今日は、水瀬くんを私の部屋に呼びたい気分なの」


 美咲は少し恥ずかしそうに髪を耳へかけた。


「駄目?」


「別にいいけど」


「本当?」


「ああ」


 美咲は嬉しそうに頬を緩める。


「それじゃあ、今日は私の部屋で食べようね」


「何を作る?」


「それは帰ってからのお楽しみ」


「材料は?」


「もう買ってあるよ」


「いつの間に?」


「昨日、水瀬くんと別れたあと」


 美咲は胸元で両手を合わせた。


「答案が返ってきたら、水瀬くんと一緒に食べようと思って」


「点数が悪くても?」


「もちろん」


 美咲は迷わず答えた。


「何点でも一緒に食べるって、約束したでしょう?」


 悠真は僅かに目元を緩めた。


「ああ。そうだったな」


 美咲も笑顔を返した。


 ◇


 昼食を始めるため、悠真は鞄から弁当箱を取り出した。


 蓋を開けると、今日も小さなメモが入っていた。


『答案が返っても、自分を責めないこと』


 文字の横には、お守りを抱えた動物の絵が描かれている。


 悠真はメモを読んだあと、制服の胸ポケットへ入れた。


「今日も取っておいてくれる?」


 美咲が期待するように尋ねる。


「ああ」


 悠真は今回は誤魔化さなかった。


 美咲の瞳が大きくなる。


「本当に?」


「昨日、取っておいてほしいと言っただろ」


「うん」


「だから、取っておく」


 美咲は胸元で両手を握った。


 嬉しそうに頬を緩め、僅かに俯く。


「ありがとう」


「紙を捨てないだけだぞ」


「それでも嬉しいの」


「今までの分も、引き出しに入ってる」


 美咲の顔が上がる。


「全部?」


「まだ二枚だけだろ」


「これから増えても、入れてくれる?」


「一ノ瀬さんが毎日書くならな」


「毎日書く」


 美咲は迷わず言い切った。


「絶対に書くから、捨てないでね」


「分かった」


「約束だよ」


「ああ」


 美咲は自分の弁当箱を開きながら、何度も嬉しそうに悠真を見ていた。


「さっきから何だ?」


「水瀬くんが、少しずつ素直になってるなと思って」


「そうか?」


「うん。前なら、捨て忘れただけって言ってたでしょう?」


「実際、最初はそうだった」


「今は?」


「一ノ瀬さんが書いたものだから、残しておきたいと思ってる」


 美咲の箸が止まった。


 頬がゆっくりと赤くなる。


「水瀬くん」


「何だ?」


「それ、どういう意味?」


「そのままの意味だ」


「私が書いたものだから、大切にしてくれるの?」


「大切とまでは言ってない」


「残しておきたいんでしょう?」


「ああ」


 美咲は耐えられなくなったように顔を伏せた。


 片手で口元を覆っている。


「大丈夫か?」


「大丈夫」


「顔が赤いぞ」


「今は見ないで」


 美咲は顔を伏せたまま、小さな声で答えた。


「嬉しいけど、恥ずかしいから」


 ◇


 放課後。


 悠真と美咲は、並んでマンションへ戻った。


 それぞれ自分の部屋で着替えたあと、悠真が五教科分の答案を持って美咲の部屋へ向かう。


 インターホンを鳴らすと、エプロン姿の美咲が扉を開けた。


「いらっしゃい、水瀬くん」


「お邪魔します」


 部屋へ入ると、キッチンからトマトとチーズの香りが漂っている。


「何を作ってる?」


「煮込みハンバーグ」


「またハンバーグか?」


「この前は普通に焼いたから、今日は少し違うよ」


 美咲は楽しそうに微笑んだ。


「水瀬くんの答案を見る記念」


「記念にするような点数じゃない」


「点数じゃないって言ったでしょう?」


 美咲は悠真をリビングへ案内した。


 ローテーブルの上には、美咲の答案と筆記用具が準備されている。


 二人は隣り合って座った。


「向かいじゃないのか?」


「答案を見るなら、隣のほうが見やすいから」


 美咲は少し恥ずかしそうに答えた。


 肩が触れそうな距離だった。


 悠真が数学の答案をテーブルへ置く。


 美咲は身体を寄せ、最後の問題へ視線を落とした。


「やっぱり、全部合ってる」


 途中式を指で追う。


「私が忘れた場合分けも、ちゃんと書いてある」


「そうだな」


「どうして、これが解けたの?」


「答えが分かったから」


「説明になってないよ」


 美咲は僅かに頬を膨らませた。


「私に教えてくれる?」


「自分で解き直せるだろ」


「水瀬くんに教えてほしいの」


「なぜ?」


「水瀬くんが、どう考えて答えを出したのか知りたいから」


 美咲はシャープペンシルを悠真へ差し出した。


「お願い」


 悠真は少し迷ったあと、それを受け取った。


「ここまでは一ノ瀬さんと同じだ」


「うん」


「問題は、この条件を一つしか使ってないこと」


 悠真は答案の一部を指さした。


「このまま進めると、一つの場合しか答えに含まれない」


「だから、場合分けが必要なの?」


「ああ。図にすると分かりやすい」


 白い紙へ、簡単な図を書く。


 どの条件が、図のどの部分に対応するのか。


 なぜ二つの場合を考えなければならないのか。


 順番に説明していく。


 美咲は真剣な表情で聞いていた。


 分からない部分があれば質問し、悠真が答えると小さく頷く。


「なるほど……」


 美咲は自分でも式を書き直した。


「これなら、もう一つの答えも出るんだ」


「ああ」


「先生より説明が分かりやすい」


「それは言いすぎだ」


「本当だよ」


 美咲は顔を上げた。


 悠真との距離が、思った以上に近くなっている。


 鼻先が触れそうなほどではない。


 けれど、互いの呼吸が分かる距離だった。


 美咲の瞳が僅かに揺れる。


 頬がゆっくりと赤くなっていく。


「……近いね」


 美咲が小さな声で言った。


「答案を見るなら、隣がいいと言ったのは一ノ瀬さんだろ」


「そうなんだけど」


 美咲は離れなかった。


 むしろ悠真の目元を、確かめるように見つめる。


「何だ?」


「さっき、説明してるとき」


「何か間違ってたか?」


「違うよ。すごく楽しそうに見えたの」


「俺が?」


「うん」


 美咲は目元を柔らかくした。


「学校でわざと分からないふりをしてるときより、今の水瀬くんのほうが自然に見える」


 悠真の表情が僅かに硬くなる。


「わざとだと決めつけるな」


「違うの?」


 美咲は悠真から目を逸らさなかった。


「この問題を解けるのに、どうして一問目と三問目を間違えたの?」


「計算ミスだ」


「途中式がないよ」


「暗算して間違えた」


「国語も、英語も、化学も、日本史も?」


 美咲は他の答案へ目を移した。


「全部、簡単な問題を間違えて、難しい問題を正解してる」


「偶然だ」


「水瀬くん」


 美咲の声は穏やかだった。


 責めるような響きはない。


 ただ、嘘をつかずに話してほしいという気持ちが滲んでいた。


 悠真は何も答えなかった。


 美咲は急かさない。


 膝の上で指先を組み、静かに返事を待っている。


「私が答案のことを誰かに話すと思う?」


「思ってない」


「先生に言ったりもしないよ」


「ああ」


「それでも、話せない?」


 美咲の眉尻が僅かに下がる。


 傷ついているような表情だった。


 信用されていないことが悲しいのだろう。


「一ノ瀬さんを信用してないわけじゃない」


「それなら、どうして?」


「口にしたら、戻れなくなりそうだから」


 悠真は答案へ視線を落とした。


「今まで隠してきたことを、誰か一人にでも話したら、それまでと同じではいられなくなる」


「私との関係も?」


「ああ」


 美咲の指先に、僅かに力が入る。


「変わるのが怖い?」


「今のままでいいと思ってる」


「私は、ご飯を作りに来なくなる?」


「それは分からない」


「お弁当も?」


「正体を隠してた人間を、今と同じように見られるか?」


 美咲はすぐに答えなかった。


 その沈黙が、悠真の胸を僅かに痛ませる。


 やはり、話すべきではなかった。


 悠真が答案を片づけようとすると、美咲の手がその上へ重なった。


「待って」


「何だ?」


「今すぐ全部を話してほしいわけじゃないよ」


 美咲は悠真の手を、そっと握った。


「でも、一つだけなら話してくれる?」


「一つ?」


「この試験で、わざと間違えたのかどうか」


 美咲は真っすぐに悠真を見る。


「それだけ教えて」


 悠真は彼女の顔を見つめた。


 不安そうに揺れる瞳。


 悠真の手を握る、温かな指先。


 ここで否定すれば、美咲はそれ以上聞かないだろう。


 無理に踏み込まないと、何度も言ってくれた。


 それでも、嘘をつき続けることが苦しくなっていた。


「……わざとだ」


 悠真は小さな声で答えた。


 美咲の瞳が大きくなる。


「本当に?」


「ああ」


「他の教科も?」


「全部」


「入学直後の実力試験も?」


「そうだ」


「小テストも?」


「ああ」


 美咲は息を止めたように動かなくなった。


 驚いてはいる。


 けれど、嫌悪や怒りは見えなかった。


「どのくらい取れたの?」


「普通に解いたら、たぶん満点に近い」


「今回の試験も?」


「ああ」


 美咲はしばらく悠真の顔を見つめた。


 そのあと、ゆっくり息を吐く。


「やっぱり、そうだったんだ」


「驚かないのか?」


「驚いてるよ」


 美咲は困ったように笑った。


「でも、水瀬くんなら、そのくらいできる気がしてたから」


「どうして?」


「問題を教えてるとき、私よりずっと早く答えを見つけてた。それに、人が見ていないところでは動きも違う」


「それだけで?」


「あと、水瀬くんは本当のことを隠すのが上手だけど、間違っているふりをするのは少し下手」


 美咲は悠真の答案を指さした。


「難しい問題を解ける人が、どこで間違えば普通に見えるか考えて作った答案だから、少し不自然なの」


「次から気をつける」


「もっと上手に隠そうとしないで」


 美咲は不満そうに頬を膨らませた。


 悠真が僅かに笑う。


 それを見た美咲の表情も、柔らかくなった。


「水瀬くん」


「何だ?」


「話してくれて、ありがとう」


「嫌じゃないのか?」


「どうして嫌になるの?」


「ずっと騙してた」


「私を傷つけるためについた嘘じゃないでしょう?」


「ああ」


「何か理由があるんだよね?」


「ある」


「今は、それで十分」


 美咲は悠真の手を両手で包んだ。


「理由は、話せるようになったら教えて」


「いつになるか分からない」


「待ってるよ」


「どうして、そこまで信じられる?」


「水瀬くんだから」


 美咲は迷わず答えた。


「誰かを庇って火傷する人が、悪い人だとは思えないから」


「それだけか?」


「毎日ちゃんとお皿を洗うようになったし」


「それは関係ないだろ」


「私のメモも取っておいてくれる」


 美咲は少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「それに、私が他の男の子を好きになったら、少し嫌だって言ってくれた」


「あれは――」


「取り消さないで」


 美咲の指に力が入る。


「お願いだから、あれは本当の言葉にしておいて」


 悠真は反論できなかった。


「分かった」


 美咲の頬が緩む。


「よかった」


「ただし、このことは誰にも言うな」


「うん」


「教師にも、佐伯にも」


「言わない」


「約束できるか?」


 悠真が尋ねる。


 美咲は悠真の手を握ったまま、小指だけを立てた。


「約束する」


「指切りか?」


「ちゃんと約束したいから」


 悠真も小指を出す。


 二人の指が絡んだ。


「水瀬くんが本当は勉強できることは、二人だけの秘密」


「ああ」


「でも、私の前では無理にできないふりをしないでね」


「どうして?」


「本当の水瀬くんを知っている人が、一人くらいいてもいいでしょう?」


 美咲は柔らかく微笑んだ。


「学校では隠していても、私と二人のときは隠さなくていいよ」


「……考えておく」


「そこは、うんって言ってほしかったな」


「すぐには変えられない」


「それなら、少しずつでいいよ」


 美咲は絡めた小指を離した。


 けれど、すぐに悠真の手を握り直す。


「私も手伝うから」


「何を?」


「水瀬くんが、演じなくてもいい時間を増やすこと」


 演じる。


 その言葉に、悠真の胸が僅かに揺れる。


 美咲はただ、普通の生徒を装っていることを指しただけだろう。


 それでも、悠真には別の意味まで見抜かれたように聞こえた。


「一ノ瀬さん」


「何?」


「もし、本当の俺が今とまったく違っても、同じことを言えるか?」


「言えるよ」


 美咲は迷わなかった。


「だって、どんな秘密があっても、今ここにいる水瀬くんが嘘になるわけじゃないでしょう?」


 悠真は何も答えられなかった。


 平凡を演じている自分。


 元天才子役の天宮レイ。


 そのどちらが本当なのか、悠真自身にも分からなくなっていた。


 けれど美咲は、どちらか一方を選ぶ必要はないと言っているように聞こえた。


 キッチンから、煮込みハンバーグの香りが漂ってくる。


「あっ」


 美咲が慌てて立ち上がった。


「火をつけたままだった」


「焦げるぞ」


「弱火だから大丈夫だと思うけど、見てくるね」


 キッチンへ向かおうとした美咲の手を、悠真がつかんだ。


 美咲が振り返る。


「水瀬くん?」


「一ノ瀬さん」


「何?」


「ありがとう」


 今度は悠真から、はっきりと礼を言った。


 美咲の瞳が大きくなる。


 やがて、嬉しそうに目元が緩んだ。


「どういたしまして」


 美咲は悠真の手を軽く握り返す。


「秘密を教えてくれたお礼に、今日はハンバーグを一つ多くしてあげる」


「食べきれないだろ」


「半分ずつにする?」


「ああ」


「それじゃあ、二人で分けようね」


 二人は手をつないだままキッチンへ向かった。


 学力を隠していること。


 それが、美咲へ明かした最初の大きな秘密になった。


 天宮レイとしての過去までは、まだ遠い。


 それでも悠真は初めて、自分を演じなくてもいい相手を、一人だけ見つけ始めていた。

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