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【最新作】普通を演じる元天才子役は、隣室の美少女優等生に生活を管理される  作者: 優
第一章 嘘の平凡と、隣の優等生

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第16話 休日の洗濯と、彼女の母親



 定期試験を終えた翌日。


 土曜日の午前九時。


 悠真はベッドの中で、鳴り続けるインターホンの音を聞いていた。


 一度目は無視した。


 二度目も無視した。


 三度目が鳴ったところで布団を頭までかぶったが、今度は枕元のスマートフォンが震え始める。


 画面には、一ノ瀬美咲の名前が表示されていた。


「……朝から何なんだ」


 悠真は電話へ出た。


『水瀬くん、起きてる?』


「今起きた」


『よかった。倒れてるのかと思った』


「土曜日くらい寝かせてくれ」


『もう九時だよ?』


「まだ九時だ」


『普段なら学校に着いてる時間でしょう?』


「今日は学校がない」


 悠真は目を閉じたまま答えた。


 もう一度眠ろうとしたところで、電話の向こうから美咲の声が聞こえる。


『玄関の前にいるから、開けてくれる?』


「どうして?」


『今日は洗濯をする約束でしょう?』


「約束してない」


『予定を入れたときに、日曜日は嫌だって言わなかったよね?』


「土曜日にしていいとも言ってない」


『だから、今日は洗濯の練習にしました』


「意味が分からない」


『早く開けて。廊下で電話してるの、少し恥ずかしいから』


「帰ればいいだろ」


『開けてくれるまで待ってるね』


「何時間でも?」


『うん』


 迷いのない返事だった。


 美咲なら本当に待ち続けるだろう。


 同じ階の住人から、女子を廊下へ放置していると思われるのも面倒だ。


「分かった。少し待て」


『うん。待ってる』


 通話を切り、悠真はベッドから起き上がった。


 鏡を見る。


 髪にはひどい寝癖がついていた。


 上下とも灰色の部屋着で、他人を迎えられるような格好ではない。


 かといって、美咲のために着替えるのも何か違う気がする。


 悠真は寝癖だけを手で押さえ、玄関へ向かった。


 扉を開ける。


「おはよう、水瀬くん」


 美咲は満面の笑顔を浮かべた。


 白いブラウスに淡い青色のロングスカート。長い黒髪は学校にいるときよりも緩くまとめられている。


 片手には、大きな洗濯ネットや洗剤の入った袋を持っていた。


「本当に洗濯をするつもりなのか」


「そのために来たんだよ」


 美咲は悠真の姿を上から下まで確認した。


 目元に、僅かに笑いが浮かぶ。


「何だ?」


「水瀬くん、寝起きだと髪がすごいね」


「見れば分かる」


「学校にいるときと、全然違う」


 美咲は楽しそうに手を伸ばした。


 悠真の頭から跳ねている髪へ指先で触れる。


「ここ、全然直ってないよ」


「適当に水をつければ直る」


「寝癖直しを使わないの?」


「持ってない」


「じゃあ、あとで直してあげる」


「必要ない」


「そのまま外には出られないよ?」


「今日は出ない」


「お昼の買い物は?」


「行くのか?」


「冷蔵庫の中、ほとんど何もないでしょう?」


 美咲は玄関からキッチンのほうへ視線を向けた。


「今日は洗濯と掃除をして、そのあと一緒に買い物へ行こうね」


「予定を勝手に決めるな」


「水瀬くん、今日何か予定があるの?」


「ない」


「じゃあ、大丈夫」


「大丈夫じゃない」


 悠真が抗議しても、美咲は靴を脱いで部屋へ入った。


「お邪魔します」


「もう入ってるだろ」


「うん。お邪魔してます」


 美咲は楽しそうに笑った。


 ◇


 リビングへ入った美咲は、真っ先にソファを確認した。


 脱いだ服は積まれていない。


 床にも、空のペットボトルや菓子パンの袋は落ちていなかった。


「綺麗にしてる」


「一ノ瀬さんが毎日来るからな」


「私が来なかったら、散らかすの?」


「その可能性はある」


「それなら、これからも毎日来ないとね」


「どうしてそうなる」


 美咲は嬉しそうに頬を緩め、キッチンへ視線を移した。


 シンクにも洗い物は残っていない。


 昨夜、二人で作ったクリームシチューの鍋だけが、水切り籠の横へ置かれていた。


「お皿も洗ったんだね」


「ああ」


「私が帰ったあとに?」


「残ったシチューを夜に食べたから、そのあと洗った」


「夜食にしたの?」


「美味かったから」


 悠真が何気なく答えると、美咲の表情が明るくなった。


「本当に?」


「ああ」


「全部食べた?」


「少しだけ残ってる」


「今日のお昼に食べようか」


「食べるなら温める必要があるな」


「水瀬くんが温めてみる?」


「鍋に火をつけるだけだろ。そのくらいできる」


「焦がさないでね」


「卵の失敗をいつまで引きずるつもりだ」


「まだ一週間も経ってないよ」


 美咲は口元へ手を添え、楽しそうに笑った。


「それより、洗濯物は?」


「洗面所」


「見てもいい?」


「来た時点で見るつもりだっただろ」


「勝手に見たら悪いかなって思って」


「今さらだな」


 悠真は諦めたように、洗面所の扉を開けた。


 脱いだ衣類は、大きな籠へまとめて入れてある。


 白いシャツ。


 黒や紺色のズボン。


 学校の体操着。


 タオル。


 すべて区別せず、一つの籠へ押し込まれていた。


「これ、全部一緒に洗ってるの?」


「ああ」


 美咲は籠の中身を覗き込み、ゆっくりと額へ手を当てた。


「洗濯表示は?」


「見てない」


「ポケットの中は確認してる?」


「たぶん」


「ティッシュを入れたまま洗ったことは?」


「ある」


「やっぱり……」


 美咲は肩を落とした。


 けれど、すぐに袖を肘までまくる。


「今日は、分けるところから始めようね」


「全部洗濯機に入れれば終わるだろ」


「終わらないよ」


 美咲は籠から衣類を一枚ずつ取り出し、床へ分けていった。


「白いものと色物。傷みやすい服はネットに入れるの」


「全部同じ服に見えるけどな」


「全然違うよ」


「着られれば同じだろ」


「水瀬くんは、もう少し服に興味を持ったほうがいいと思う」


 美咲は黒いシャツを持ち上げた。


 無地で装飾もない。


 次に出てきたシャツも無地。


 その次も、黒か灰色の地味な服だった。


「本当に黒と灰色ばっかりだね」


「選ぶのが楽だからな」


「明るい色は着ないの?」


「目立つだろ」


 悠真が答える。


 美咲の手が、僅かに止まった。


「服でも、目立ちたくないんだ」


「汚れも目立たない」


「今、理由を追加したね」


「どちらも本当だ」


 美咲は黒いシャツを見つめた。


「水瀬くんなら、もっとおしゃれをしたら格好いいと思うのに」


「必要ない」


「髪も整えて、明るい服を着たら、雰囲気が変わりそう」


「今のままで十分だ」


「試してみたくない?」


「ない」


 悠真が即答すると、美咲は残念そうに唇を尖らせた。


「一度くらい、私が服を選んでみたいな」


「着せ替え人形にするな」


「似合う服を考えるだけだよ」


「今の服で困ってない」


「でも、見てみたいの」


 美咲は悠真の顔から肩、足元へと視線を動かした。


「髪を整えて、ちゃんと服を選んだ水瀬くん」


 子役時代の悠真は、すべてを大人たちに整えられていた。


 髪型も衣装も、役に合わせて決められる。


 自分が着たい服を選ぶ機会は少なかった。


 引退後は、できるだけ目立たない服だけを選ぶようになった。


「そのうちな」


 悠真は曖昧に答えた。


「本当?」


 美咲の顔が明るくなる。


「約束はしない」


「それでもいいよ。覚えておくね」


 彼女は嬉しそうに笑い、洗濯物の仕分けへ戻った。


 ◇


 美咲がシャツのポケットを確認していると、一枚の紙が落ちた。


「あ」


 床へ落ちた紙を、美咲が拾う。


 昼の弁当に入っていた、小さなメモだった。


『野菜も残さず食べてね』


 美咲の字と、簡単な笑顔が描かれている。


「これ……」


 美咲は目を丸くした。


 悠真も、捨て忘れていたことに気づく。


「どうして持ってるの?」


「捨てるのを忘れた」


「胸ポケットに入れてたよね?」


「そのまま忘れてた」


「昨日の夜、制服から出して、このシャツのポケットに入れ直したの?」


 正確には、制服から出したあと机の引き出しへしまった。


 今朝、美咲が来る前に部屋を少し片づけた際、見られないよう部屋着のポケットへ移したのだ。


 そのまま着替えたことで、洗濯籠へ入ってしまった。


「……偶然だ」


 悠真が答える。


 美咲は紙と悠真の顔を交互に見た。


 口元が、少しずつ緩んでいく。


「取っておいてくれたの?」


「捨て忘れただけだ」


「今、少し目を逸らしたね」


「気のせいだ」


「昨日は、ゴミ箱がなかったから持って帰ったって言ってたよね?」


「ああ」


「水瀬くんの部屋には、ゴミ箱があるよ?」


 美咲はリビングの隅に置かれたゴミ箱を指さした。


「たまたま捨てる機会がなかった」


「一日以上?」


「質問が多い」


 悠真は紙を取り返そうと手を伸ばした。


 美咲はすぐに手を背中へ回し、半歩下がる。


「返せ」


「捨てる?」


「俺の紙だろ」


「書いたのは私だよ」


「弁当と一緒に渡した時点で、俺のものだ」


「それなら、どうするつもり?」


「……捨てない」


 悠真が正直に答える。


 美咲の表情が止まった。


「取っておくの?」


「ああ」


「どうして?」


「一ノ瀬さんが書いたから」


 口にしてから、言い方を間違えたと思った。


 美咲の頬が一気に赤くなる。


「私が書いたから?」


「弁当を作ってもらった記録になる」


「そういう意味?」


「ああ」


「本当に?」


 美咲は顔を赤くしたまま、悠真の目を覗き込む。


「他に何がある?」


「分からないけど……」


 美咲は紙へ視線を落とした。


 指で皺を伸ばし、大切なものを扱うように悠真へ差し出す。


「はい」


「ありがとう」


「それも、引き出しにしまうの?」


「どうして知ってる?」


 悠真の口が先に動いた。


 美咲の瞳が大きくなる。


 次の瞬間、嬉しさを抑えられないように頬が緩んだ。


「やっぱり、しまってくれてたんだ」


「今のは忘れろ」


「無理だよ」


「忘れろ」


「絶対に忘れない」


 美咲は胸元で両手を握り、嬉しそうに笑った。


「明日からも、お弁当に書いていい?」


「好きにしろ」


「うん。毎日書くね」


「毎日は多い」


「全部、取っておいてくれる?」


「それは分からない」


「取っておいてほしいな」


 美咲は僅かに首を傾げ、期待するように悠真を見る。


「……考えておく」


「楽しみにしてるね」


 美咲は機嫌よく洗濯物を分け始めた。


 悠真は小さな紙を、今度こそ机の引き出しへ戻した。


 ◇


 洗濯機を動かしている間、二人は残っていたクリームシチューを食べた。


 悠真が鍋を温め、美咲がパンとサラダを用意する。


「焦がさなかったね」


 美咲がシチューを一口食べ、感心したように言った。


「火にかけて混ぜただけだ」


「火を強くしなかった?」


「弱火にした」


「ちゃんと覚えてたんだね」


「昨日、一ノ瀬さんが言ってただろ」


 美咲は嬉しそうに目元を細めた。


「教えたことを覚えてもらえるのって、嬉しいね」


「大げさだ」


「水瀬くんが少しずつ料理できるようになってるから」


「シチューを温めただけで、料理ができるとは言えない」


「次は最初から作ってみる?」


「一人で?」


「私と一緒に」


「それなら、考えておく」


 悠真が答えると、美咲は一瞬驚き、すぐに笑顔になった。


「前なら、すぐに断ってたのに」


「断っても無駄だと分かった」


「本当にそれだけ?」


「ああ」


「それなら、そういうことにしておくね」


 美咲は楽しそうに笑った。


 ◇


 食事を終えた直後、美咲のスマートフォンが鳴った。


 画面を確認すると、彼女の表情が僅かに引きつる。


「お母さん?」


 悠真が尋ねる。


「うん」


「出なくていいのか?」


「昨日のことで、たぶん色々聞かれるから……」


「出ないと余計に心配するだろ」


「そうだよね」


 美咲は覚悟を決めたように通話ボタンを押した。


「もしもし、お母さん」


『美咲、今大丈夫?』


「うん」


『昨日は、あとで電話するって言ったのに、かけてこなかったでしょう?』


「ごめんなさい。勉強してたら遅くなって」


 美咲は申し訳なさそうに眉を下げた。


『それで、昨日一緒に夕食を作っていた男の子は?』


 美咲の頬が赤くなる。


 悠真は席を立とうとしたが、彼女が慌てて袖をつかんだ。


「水瀬くん?」


「家族の話なら、席を外す」


「行かないで」


 美咲はスマートフォンから口を離し、小さな声で言った。


「一人で聞かれるの、恥ずかしいから」


「俺がいるほうが恥ずかしくないか?」


「それでも、いてほしい」


 美咲は悠真の袖を離さなかった。


『美咲? 今、誰かいるの?』


「その……昨日話した、水瀬くん」


『今日も一緒なの?』


 母親の声が大きくなる。


「今日は洗濯を手伝ってるの」


『男の子の洗濯を?』


「違うの。洗い方を教えてるだけ」


『美咲、昨日は料理で、今日は洗濯なの?』


「そうだけど……」


『それは、ほとんど通い妻じゃない』


「つっ……!」


 美咲の顔が真っ赤になった。


「違うよ! そういう関係じゃないから!」


 大きな声が室内に響く。


 美咲は慌てて口元を押さえ、悠真の様子を窺った。


「水瀬くん、ごめんね」


「俺は気にしてない」


『水瀬くん、そこにいるのよね?』


 母親の声が聞こえる。


『少し代わってもらえる?』


「お母さん」


『ご挨拶だけだから』


 美咲は困ったように悠真を見る。


「嫌なら、断るけど……」


「別にいい」


「本当に?」


「ああ」


 悠真はスマートフォンを受け取った。


「代わりました。水瀬です」


『初めまして。美咲の母です』


「初めまして」


『いつも娘がお世話になっているみたいで』


「俺のほうが世話になっています。食事や家事を手伝ってもらっているので」


『本当に手伝ってるのね……』


 母親の声に、呆れと驚きが混じる。


『水瀬くんは、美咲と同じ一年生?』


「はい。同じクラスです」


『一人暮らしなの?』


「そうです」


『ご家族は?』


 悠真は一瞬、答えを止めた。


 美咲が心配そうにこちらを見る。


「両親は仕事で遠くにいます」


『そうなのね。ごめんなさい、急に色々聞いてしまって』


「大丈夫です」


『美咲は、しつこいところがあるでしょう?』


「お母さん!」


 隣で聞いていた美咲が抗議する。


 悠真は僅かに口元を緩めた。


「少しだけ」


「水瀬くんまで!」


 美咲は頬を膨らませ、悠真の腕を軽く叩いた。


『でも、嫌になったら、ちゃんと言ってあげてね。あの子、相手のためだと思うと止まれなくなるから』


 悠真は隣の美咲を見る。


 彼女は心配そうに視線を揺らしている。


「嫌ではありません」


 悠真は迷わず答えた。


「助かっています」


 美咲の瞳が大きくなる。


 次いで、頬がゆっくりと赤くなった。


『そう。それならよかった』


 母親の声にも、安心したような笑みが混じる。


『美咲のこと、よろしくね』


「はい」


「どうして、水瀬くんが返事するの?」


 美咲は恥ずかしそうに悠真の袖を引いた。


 通話の向こうから、母親の楽しそうな笑い声が聞こえた。


 ◇


 通話を終えると、美咲はソファの上で膝を抱えた。


「恥ずかしかった……」


「普通の母親だったと思うけどな」


「通い妻って言った」


「毎日食事を作って、今日は洗濯を教えてるからな」


「水瀬くんまで言わないで」


 美咲は膝へ顔を埋めた。


 耳まで赤く染まっている。


「嫌だった?」


 くぐもった声で尋ねる。


「何が?」


「お母さんに、あんなこと言われて」


「別に」


「本当に?」


 美咲は膝の間から顔を上げた。


 不安そうな瞳が、悠真を見つめる。


「さっきも言っただろ。嫌ではない」


「助かってるって言ってくれた」


「事実だからな」


「私が毎日来ても、迷惑じゃない?」


 悠真は少し考えた。


「最初は迷惑だった」


「最初は?」


「ああ。今は、来ないほうが落ち着かないかもしれない」


 美咲の目が大きく開かれる。


「それって……」


「一人で食べるより、二人のほうが美味いと一ノ瀬さんが言っただろ」


「あ……うん」


「今なら、少し分かる」


 美咲は何も言わなかった。


 抱えていた膝から手を離し、胸元で指を組み合わせる。


 その顔には、喜びと照れが混じった柔らかな笑顔が浮かんでいた。


「私も」


 美咲は小さな声で言った。


「水瀬くんと一緒じゃないと、前より少し寂しく感じると思う」


 二人の視線が重なる。


 どちらもすぐには逸らさなかった。


 洗濯機の終了を知らせる音が鳴り、二人は同時に我へ返る。


「洗濯、終わったね」


 美咲は赤くなった頬を隠すように立ち上がった。


「ああ」


「干し方も教えるから」


「乾燥機に入れればいいだろ」


「縮む服もあるの」


「また分けるのか」


「そうだよ」


 美咲は振り返り、楽しそうに笑った。


「一緒にやれば、すぐ終わるから」


 悠真も立ち上がり、美咲のあとへ続いた。


 休日の朝を誰かと過ごす。


 一緒に食事をし、洗濯物を干す。


 特別なことなど何もない。


 それでも悠真にとっては、これまで一度も知らなかった、穏やかな日常だった。

読んでくださってありがとうございます。

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