第10話 隠しきれない実力
翌朝。
悠真が玄関の扉を開けると、美咲が隣室の前に立っていた。
制服姿で、両手には学校指定の鞄と小さな紙袋を持っている。
どうやら今日も悠真が出てくるのを待っていたらしい。
「おはよう、水瀬くん」
美咲は柔らかく微笑んだ。
「おはよう。今日は何分待ってた?」
「待ってないよ。偶然、同じ時間になっただけ」
「本当か?」
「本当です」
美咲は悠真から視線を逸らし、長い髪を耳へかけた。
昨日と同じ反応だった。
「今、目を逸らしたな」
「これは髪が邪魔だったから」
「急に敬語になった」
「……今日は一分だけです」
美咲は観念したように肩を落とした。
「やっぱり待ってたんだな」
「一緒に学校へ行きたかったから」
素直に答えたあと、美咲は恥ずかしそうに俯いた。
耳が僅かに赤くなっている。
「迷惑だった?」
「別に」
「それなら、明日も待っていい?」
「好きにすればいい」
「うん。好きにするね」
美咲の表情が明るくなる。
昨日の買い物でも同じ会話をした気がする。
悠真が「好きにしろ」と言えば、美咲は本当に好きなように踏み込んでくる。そろそろ言葉を選ぶべきかもしれない。
「それ、何だ?」
悠真は美咲の持つ紙袋を見た。
「あ、これ?」
美咲は紙袋を少し持ち上げる。
「水瀬くんのお昼ご飯」
「俺の?」
「うん。お弁当を作ってきたの」
悠真は言葉を失った。
「どうして?」
「昨日のお昼、お弁当無いでしょう?」
「購買で何か買えばいい」
「また焼きそばパンとクリームパンを選ぶつもり?」
「今日は違うものにする」
「何を選ぶの?」
「カレーパンとあんパン」
「ほとんど同じだよ」
美咲は呆れたように眉尻を下げた。
「野菜も食べてって言ったでしょう?」
「カレーに入ってる」
「少なすぎます」
「厳しいな」
「水瀬くんの食生活が偏りすぎなの」
美咲は紙袋を悠真へ差し出した。
受け取らなければ、学校まで持ってくるつもりだろう。
「自分の分を作るついでか?」
「うん。ついで」
美咲は笑顔で頷いた。
けれど、その声が少しだけ上ずっている。
「本当に?」
「本当だよ」
「昨日の夜から、俺の分も作るつもりだったんじゃないのか?」
「それは……」
美咲は言葉を詰まらせた。
紙袋を持つ指に力が入り、頬が少しずつ赤くなっていく。
「水瀬くんの分を考えながら作ったけど、それでも私の分を作るついでだから」
「それは、ついでとは言わないだろ」
「細かいことはいいの」
美咲は誤魔化すように紙袋を悠真へ押しつけた。
「ほら。早く持って」
「食材代は?」
「いらないよ」
「毎日夕食を作ってもらって、弁当まで無料というわけにはいかない」
「それじゃあ、夕食の買い物をするときに半分出してもらおうかな」
「弁当の分も払う。あと手間賃も」
「そこまでしなくていいよ」
「受け取らないなら、弁当も受け取らない」
悠真が言うと、美咲は困ったように唇を結んだ。
しばらく考えたあと、小さく頷く。
「分かった。今度、まとめて計算するね」
「ああ」
「でも、料理を作る手間のお金はいらないから」
「作ってもらってるんだから多めに出すべきだろう」
「水瀬くんに食べてもらいたくて、私が勝手に作ってるから」
美咲は少し照れくさそうに微笑んだ。
「美味しかったって言ってもらえるだけで十分」
悠真は黙って紙袋を受け取った。
中には、布で包まれた弁当箱が入っている。
手に持つと、まだ僅かに温かかった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
美咲は嬉しそうに目元を細めた。
その笑顔を見たとき、悠真は昨夜のことを思い出した。
自然に笑った悠真の顔を、美咲がじっと見つめていたこと。
どこかで見たことがあると、彼女が口にしたこと。
今の美咲は、いつもと変わらない。
天宮レイと悠真を結びつけた様子はなかった。
「どうしたの?」
美咲が首を傾げる。
「私の顔に何かついてる?」
「いや」
「それなら、行こう?」
「ああ」
二人は並んでエレベーターへ向かった。
◇
昼休み。
悠真が美咲から受け取った弁当箱を机へ置くと、前の席に座っていた孝太郎が目ざとく気づいた。
「水瀬、それどうしたんだ?」
「弁当」
「見れば分かる。お前、いつもパンだろ?」
「今日は弁当になった」
「誰が作ったんだよ」
孝太郎は椅子を反対向きにし、悠真の机へ身を乗り出した。
その目が好奇心で輝いている。
「自分ではないよな?」
「どうして断言できる?」
「お前が料理できるようには見えない」
正しい評価だった。
「母親が来たとか?」
「違う」
「じゃあ、買ってきた?」
「それも違う」
「もしかして彼女?」
孝太郎が声を潜める。
それでも近くの席には聞こえたらしく、数人の女子生徒がこちらへ視線を向けた。
「違う」
「なら、誰なんだよ」
「一ノ瀬さん」
答えたのは、悠真ではなかった。
いつの間にか、美咲が机の横に立っている。
自分の弁当箱を両手で持ち、少し恥ずかしそうに微笑んでいた。
「私が作ったの」
孝太郎の口が開いたまま止まる。
周囲にいた生徒たちも、僅かにざわついた。
「一ノ瀬が?」
「うん」
「水瀬の弁当を?」
「そうだよ」
美咲は穏やかに答えているが、頬が少し赤い。
「何で?」
「水瀬くん、いつもパンしか食べてないから」
「それだけ?」
「隣に住んでるし、私の分を作るついでだから」
説明として間違ってはいない。
しかし、納得できるかは別問題だった。
孝太郎は悠真と美咲を交互に見る。
「昨日も七時までに帰るって言ってたよな」
「設備点検だ」
悠真はすぐに答えた。
「でも、点検は昨日だけだろ?」
「そうだな」
「もしかして昨日も、一ノ瀬が夕食を――」
「佐伯くん」
美咲が孝太郎の言葉を遮った。
笑顔を浮かべているが、その声は僅かに上ずっている。
「お昼休みが終わっちゃうから、そろそろ食べよう?」
「え? ああ……」
明らかに話を逸らされたものの、孝太郎はそれ以上追及しなかった。
ただし、その表情には疑いが残っている。
美咲は昨日と同じように、孝太郎の席を借りて悠真の正面へ座った。
「いただきます」
美咲が手を合わせる。
悠真も弁当箱の蓋を開けた。
中には、白いご飯と昨日の唐揚げ、卵焼き、ほうれん草のおひたし、ミニトマトが綺麗に詰められている。
ご飯の中央には、小さな梅干しが一つ置かれていた。
「唐揚げ、昨日の残りか?」
「うん。朝、もう一回揚げたよ」
「朝から?」
「お弁当に入れるなら、温め直したほうが美味しいから」
美咲は少し不安そうに悠真の反応を見つめる。
「嫌だった?」
「いや。嬉しい」
悠真が素直に答えると、美咲の目が大きくなった。
次の瞬間、頬が赤く染まる。
「今日は、すぐ認めてくれるんだね」
「弁当まで作ってもらって、嫌がる理由はないだろ」
「そっか」
美咲は嬉しそうに俯いた。
口元に浮かんだ笑みを隠すように、箸箱を開ける。
「それなら、よかった」
悠真は唐揚げを口へ運んだ。
冷めていても、昨日と同じように美味しかった。
「どう?」
「美味い」
「昨日と同じ?」
「ああ」
「一番好き?」
美咲は僅かに身を乗り出した。
期待に満ちた瞳を向けられ、悠真は小さく息を吐く。
「一番好きだ」
美咲の頬がさらに赤くなる。
「……唐揚げの話だよね?」
「他に何がある」
「何でもない」
美咲は慌てて視線を弁当箱へ落とした。
耳まで赤くなっている。
その様子を、孝太郎だけでなく周囲の生徒たちも見ていた。
「なあ、水瀬」
孝太郎が悠真の隣へ椅子を持ってきた。
「お前たち、本当にただの隣人?」
「それ以外に見えるか?」
「見えるから聞いてるんだよ」
孝太郎は呆れたように言った。
美咲は恥ずかしそうに髪を耳へかけ、弁当へ視線を落としたまま何も答えなかった。
◇
五時間目が終わったあと、担任教師が教室へ入ってきた。
「ホームルームの前に、少し時間をもらうぞ」
教師は教卓へ数枚の紙を置き、教室を見渡した。
「定期試験前だから、今日と明日の放課後、図書室を自習用に開放する。希望者は自由に使っていい」
教室内から、小さな声が上がる。
「それと、分からない生徒に教えられる者も何人か残ってくれると助かる。一ノ瀬」
「はい」
美咲が背筋を伸ばした。
「昨日も佐伯たちに教えていたそうだな。今日も頼めるか?」
「大丈夫です」
「ありがとう。それから――」
教師の視線が教室内を動く。
悠真のところで一瞬止まった。
「水瀬も手伝ってくれ」
悠真は僅かに眉を寄せた。
「俺ですか?」
「ああ。昨日の数学の演習、七十五点だったそうだな。難しい問題だったことを考えれば十分高い」
「一ノ瀬さん一人で足りると思います」
「一人では大変だろう。基礎問題なら教えられるだろ?」
断る理由を探す。
しかし担任から直接頼まれた以上、強く拒否すれば余計に目立つ。
「……分かりました」
悠真は仕方なく頷いた。
斜め前の席で、美咲が嬉しそうに振り返る。
目が合うと、彼女は小さく手を振った。
悠真は見なかったことにした。
◇
放課後の図書室には、十人ほどの生徒が集まっていた。
美咲の周囲には女子生徒が多く、悠真の隣には孝太郎を含む男子生徒が三人座っている。
「水瀬、ここ教えてくれ」
孝太郎が数学の問題集を差し出した。
「どうして俺なんだ?」
「一ノ瀬のところは女子が多くて入りづらい」
「昨日は普通に教えてもらってただろ」
「一対一ならいいけど、今日は無理だ」
孝太郎は問題集の一問を指さした。
二次関数の最大値と最小値を求める問題だった。
「まず、どこまで分かる?」
「どこまでと言われても……」
「平方完成は?」
「何だっけ?」
悠真は小さく息を吐いた。
「そこからか」
「悪かったな」
「この形の式を、頂点が分かる形に直す」
悠真は孝太郎のノートへ式を書き始めた。
できるだけ簡単な言葉を選び、途中の計算も省略せずに説明する。
「ここまでは?」
「分かる」
「なら、この数字が頂点の座標になる」
「どうして?」
「この部分は二乗だから、必ずゼロ以上になるだろ」
「ああ……そういうことか」
孝太郎の表情が明るくなる。
「教師の説明より分かりやすいかも」
「それは言いすぎだ」
「いや、本当に。先生は途中を飛ばすから、分からなくなるんだよ」
「基礎が分かってる前提で話してるんだろ」
「俺は分かってない」
「威張るな」
悠真が次の問題を指さす。
「同じやり方で解いてみろ」
「分かった」
孝太郎が自分で式を書き始める。
悠真はその手元を見ながら、間違えた部分だけを指摘した。
「そこ、符号が違う」
「あ、本当だ」
「さっきも同じところを間違えた。マイナスを外すときに気をつけろ」
「よく覚えてるな」
「今解いたばかりだろ」
孝太郎は何度か式を書き直し、正しい答えへ辿り着いた。
「できた!」
「声が大きい」
「お前、教えるの上手いな」
「普通だ」
「またそれかよ」
孝太郎は笑いながら、別の問題を開いた。
その後も悠真は、三人から尋ねられた問題を順番に説明していった。
答えを直接教えるのではなく、どこで理解が止まっているのかを見極め、必要な部分まで戻って説明する。
相手が理解すれば、次は自力で解かせる。
それは、悠真にとって自然な方法だった。
台本を覚えられない年下の子役へ、何度も台詞の意味を説明したことがある。
動きを間違える共演者がいれば、監督に気づかれないよう、立ち位置へ誘導したこともあった。
相手の表情や声から、何が分かっていないのかを読み取ることには慣れている。
「水瀬くん」
美咲の声がして、悠真は顔を上げた。
彼女は少し離れた机から、こちらを見ていた。
目の前の女子生徒へ説明する手は止めていない。
それでも意識の一部を、ずっと悠真へ向けていたらしい。
「何だ?」
「教えるの、上手だね」
「そうか?」
「うん。佐伯くんたち、さっきより解けるようになってる」
美咲は感心したように目元を緩める。
「水瀬くんも、先生に向いてるかも」
「興味ない」
「子供に教えるのも上手そう」
その言葉に、悠真の手が一瞬止まった。
美咲は何気なく言っただけだろう。
それでも、過去を見抜かれたような感覚があった。
「褒めても何も出ないぞ」
「素直に褒めてるだけだよ」
「自分のほうに集中しろ」
「はい」
美咲は笑いながら前を向いた。
◇
勉強会が始まって一時間ほど経った頃。
「水瀬、これも教えてくれ」
孝太郎が一枚のプリントを差し出した。
昨日の演習問題とは別のものだった。
「どこでもらった?」
「数学の先生。早く終わったやつ用の追加問題らしい」
悠真は問題を見る。
定期試験の範囲内ではあるが、難易度はかなり高い。普通の高校一年生なら、解き方を思いつくだけでも時間がかかるだろう。
「これ、試験には出ないと思うぞ」
「先生は、考え方の練習になるって」
「なら、自分で考えろ」
「十分考えて分からなかった」
孝太郎は机へ突っ伏した。
「一ノ瀬は今忙しそうだし、頼むよ」
悠真はプリントへ視線を戻した。
一度問題文を読む。
解法はすぐに分かった。
「ここに補助線を引く」
悠真はシャープペンシルで図形へ線を一本加えた。
「それから、この二つの三角形を見る」
「三角形?」
「相似になるだろ」
「どうして?」
「角度が同じで、この辺が――」
途中まで説明し、悠真は自分の失敗に気づいた。
この問題を初めて見た生徒が、数秒で補助線の位置を見抜くのは不自然だ。
顔を上げる。
美咲がこちらを見ていた。
先ほどまでの柔らかな笑顔はない。
驚いたように目を僅かに開き、悠真の手元へ視線を固定している。
「どうした?」
孝太郎が首を傾げた。
「いや」
悠真は表情を変えず、プリントを返した。
「ここから先は分からない」
「え?」
「相似になりそうだと思ったけど、違ったかもしれない」
「でも、この線を引いたら解けそうじゃないか?」
「一ノ瀬さんに聞け」
悠真は椅子の背もたれへ身体を預けた。
美咲が立ち上がり、こちらへ近づいてくる。
「見せて」
孝太郎からプリントを受け取る。
美咲は問題文を読み、悠真の引いた補助線を確認した。
その瞳に、はっきりと驚きが浮かぶ。
「合ってるよ」
「本当か?」
孝太郎が顔を明るくする。
「うん。この補助線を使えば、相似から辺の長さが出せると思う」
「ほら、水瀬。合ってたじゃん」
「偶然だ」
「偶然で正しい場所に線を引けるか?」
「何となく引いただけだ」
孝太郎は納得したように問題へ戻った。
しかし、美咲は悠真の顔を見つめ続けている。
「何だ?」
「この問題、本当に初めて見た?」
「そうだ」
「どのくらい考えた?」
「適当に線を引いただけだと言っただろ」
「でも――」
美咲は言葉を止めた。
周囲には他の生徒がいる。
これ以上尋ねれば、悠真が目立つと考えたのだろう。
「ううん。何でもない」
美咲は困ったように微笑み、プリントを孝太郎へ返した。
けれど、その表情から疑問は消えていなかった。
◇
勉強会が終わり、生徒たちが図書室を出ていく。
悠真も鞄を持って立ち上がった。
「水瀬くん」
美咲が声をかける。
まだ数人の生徒が残っているため、彼女は普段より小さな声で続けた。
「一緒に帰ってもいい?」
「隣なんだから、好きにすればいい」
「それじゃあ、昇降口で待ってるね」
美咲は柔らかく笑い、先に図書室を出た。
◇
駅へ向かう途中、美咲はなかなか話そうとしなかった。
悠真の隣を歩きながら、何度も唇を開きかけては閉じる。
胸の前で鞄の持ち手を握り、考え込むように視線を落としていた。
「聞きたいことがあるなら聞け」
悠真が先に言った。
美咲は驚いたように顔を上げる。
「分かるの?」
「顔に出てる」
「水瀬くんに言われたくないな」
「俺は出てない」
「出てるよ。最近は少しだけ分かるようになったもの」
美咲は小さく笑った。
けれど、その笑みはすぐに消える。
「今日の問題、本当に偶然だった?」
「ああ」
「数学、苦手じゃないよね?」
「得意でもない」
「教えるのも上手だった」
「人に説明するくらいならできる」
「昨日の応用問題も、答えの直前まで解けてた」
「その話は終わっただろ」
悠真の声が僅かに硬くなる。
美咲は足を止めた。
悠真も数歩進んだところで振り返る。
美咲は不安そうに眉を下げていた。
「ごめんなさい」
「別に、謝ることじゃない」
「でも、嫌そうな顔をしたから」
美咲は鞄の持ち手を強く握る。
「私、水瀬くんのことが気になるの」
「それは前にも聞いた」
「でも、無理に聞いて嫌われるのは、もっと嫌」
美咲の声が僅かに震えた。
悠真は返す言葉を失う。
「だから、聞かないようにしようと思ってるのに」
美咲は視線を落とした。
「水瀬くんが何かを隠してるように見えると、知りたくなっちゃう」
「知ってどうする?」
「分からない」
「なら、知らなくてもいいだろ」
「そうかもしれないけど……」
美咲は顔を上げた。
瞳には、寂しさと迷いが浮かんでいる。
「水瀬くんが一人で何かを抱えてるなら、少しくらい頼ってほしいと思うの」
「出会って数日だぞ」
「分かってる」
「俺がどんな人間かも知らないだろ」
「だから、知りたいの」
美咲は真っすぐに悠真を見る。
「もっと知って、水瀬くんが困ってるときに、隣にいられる人になりたい」
通り過ぎる車の音が、二人の間を流れていく。
悠真は美咲の表情を見つめた。
今にも泣きそうな顔をしている。
けれど視線は逸らさず、悠真からの答えを待っていた。
「どうして、そこまでする?」
「……分からない」
美咲は胸元へ片手を添えた。
「私も、まだ分からないの」
自分の中に生まれた気持ちを、確かめるような仕草だった。
「でも、水瀬くんが学校を休んでたら心配になる。ちゃんとご飯を食べてほしいし、無理をしてたら助けたい」
「それは、隣人だからか?」
「最初は、そうだと思ってた」
「今は?」
悠真が尋ねる。
美咲の頬が、ゆっくりと赤くなった。
「今も……たぶん、そう」
「たぶん?」
「そんなに聞かないで」
美咲は耐えられなくなったように俯いた。
耳まで赤く染まっている。
「自分でも分からないんだから」
「そうか」
「うん」
二人は再び歩き始めた。
先ほどまでより、互いの距離が僅かに近くなっている。
けれど、美咲はもう数学について尋ねなかった。
◇
その日の夜。
美咲は自分の部屋で机に向かっていた。
試験勉強を始めるつもりだったが、教科書の内容が頭に入らない。
目を閉じると、昨日見た悠真の笑顔が浮かんでくる。
どこか懐かしく、昔から知っているように感じた笑顔。
「天宮レイくん……」
美咲は小さく呟き、机の上に置かれたスマートフォンを手に取った。
検索欄へ名前を入力する。
表示されたのは、十年前の記事やドラマの画像。
明るい茶色の髪をした幼い少年が、カメラへ微笑んでいる。
美咲は一枚の画像を拡大した。
目元。
眉の形。
笑ったときの口角。
「似てる……?」
画面に映る天宮レイと、現在の悠真。
年齢も髪型も雰囲気も違う。
同じ人物だと言われれば、そう見える部分もある。けれど、他人の空似と言われれば、それまでだった。
「何を考えてるんだろう、私……」
美咲は恥ずかしくなり、スマートフォンを伏せた。
天宮レイは、十年前に突然引退した元子役。
水瀬悠真は、同じクラスで隣室に住む高校生。
二人が同じ人物であるはずがない。
そう思おうとした。
しかし、悠真の不自然なほど素早い反応。
隠しているように見える高い学力。
人の表情や考えを読む力。
そして、あの笑い方。
「まさか、ね」
美咲は首を横へ振った。
それでも、もう一度だけスマートフォンを手に取る。
画像の中の天宮レイは、誰かを安心させるように笑っていた。
その笑顔は、昨日の夜に見た悠真のものと、確かによく似ていた。
読んでくださってありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、
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