第8話【いつかどこかの交差】
それは彼女たちが今より少しだけ幼かったころ。
この町が少しずつ活気づいてきて、人の往来も増えた時期。
大きな公園で催し物が行われたその日。
藍良は公園の広場で友達と待ち合わせをしていた。
普段近所の子連れや老人、休日の大人たち、そして公園で遊ぶ子どもたちぐらいしか寄り付かないこの公園にも祭りともなれば多くの人、様々な人がやってくる。
この日は外からの観光客にも恵まれ、大いににぎわっていた。
その様子を見ていて、藍良は別の町に来たみたいだと思った。
そこに現れたのは藍良よりも年上の男性。歳は高校生――いや、大学生だろうか。藍良を覆い隠せるほどの身長のある男性が2人で声をかけてきた。
所謂ナンパというやつだろう。
藍良は同級生と比べると少し大人びていたし、周りも祭りの熱に浮かされて他人を気にしている人などいなかった。
当時中学生の彼女にはその男性は恐怖でしかなかった。
その時どんな話を振られたのか、藍良は覚えてはいない。
気さくな感じで藍良のことを聞いたり「一緒に遊ぼうよ」などと手を掴もうとしたりしていたのはぼんやりと記憶している。
知らない男性、逃げようにもすぐ捕まって連れ去られてしまうかもしれない。
まともに受け答えが出来るはずもなかった。
その時だった。
ひとりの少女がナンパ男たちに声をかけた。
歳にして藍良と同じぐらいの女の子で、背は藍良よりも少し小さめ。特徴的だったのはその吸い込まれそうな程綺麗な瞳だった。
「お兄さんたち」
少女は男たちを見上げて、相手の瞳を見つめていた。
すると男たちはターゲットを変え、その少女に話を振り始めた。
今まで藍良に話しかけていたのを忘れたかのように。
熱心になっているさまを見て、藍良は涙目で身をひそめるしか出来なかった。
その少女みたいに自分の身を犠牲する勇気はなかった。
だけど、ほどなくして別の男性たちがこちらに近づいてきて仲裁に入った。
「お兄さんたち、ナンパ? 良くないな~。話し相手ならお巡りさん近くにいるけど、どう?」
ひとりの男性がナンパ男たちと肩を組むようにして捕まえ、声をかけた。
後ろからやってきた男は電話しながら近づいてきて、周囲の警官を見つけるとこちらに呼び止めていた。
それに気づいたナンパ男たちは慌てて逃げ出し、
「あ、逃げるな!」
と助けてくれた男性が叫んで飛び出しそうになったところをもうひとりの男性が呼び止める。
「和倉、この子たちを保護優先だ」
「あ、そうですよね。中村さん」
和倉と呼ばれたのがナンパ男に絡んだ方、中村と呼ばれたのが後ろからやってきた方。
「大丈夫? ふたりとも」
「私は大丈夫です。それより」
藍良を助けた少女はすぐさま色付き眼鏡をして、藍良の方を向いた。
でも藍良はこの時恐怖から解かれ、安堵したことで泣きじゃくっていた。
あとから警官がやってきて事情を聞かれるも藍良は答えられず、代わりに助けてくれた少女が説明していた。それに補足するように和倉という男性も話していた。
彼女は藍良が泣き止むまで隣に座っていて、手を優しく包むように掴んでいた。
あとから着いた友達には警官と男性に取り囲まれられていた藍良の様子を見て「何事!?」と驚いていたが、事情を聞くと傍にいなかったことを謝って寄り添ってくれた。
それと同時に助けてくれた少女もそっと手を離して、藍良から離れた。
その少女と男性たちは警官にこの場を任せて、去っていく。
藍良は彼女たちにお礼を伝えることが出来なかった。
それから別の日に公園に訪れてみて、彼女たちを探した。
お礼が言いたかった。
すぐに会えたのは和倉という男性だけだった。
和倉は助けたことに対して恩着せることなく、「無事でよかった」と答えた。
そして他ふたりの話を聞くと、もう一人の男性は職場の人で、少女はたまたま遠くから遊びに来ていた女の子だったという。
藍良はどうしてもそのふたりにもお礼が言いたいとお願いするが、少女の方の連絡先は知らなかった。
歳も住所も知らなかった。当時中学生の藍良には探しようがなかった。
「名前は蛇ノ目、蛇ノ目灯里ちゃん……だったかな?」
名前だけは知っていた。それだけでも嬉しかった。
その後に和倉は中村という男性に電話をかけて、事情を話すも電話口から起こっているような声が聞こえた。
「ははは~、すみません。今行くんで。あ、ちょっとこの間の女の子。偶然に会っちゃって、お礼が言いたいそうなんですけど」
電話口の怒りとは裏腹に軽く返す和倉に藍良は「大人ってすごい……」と感心していた。
電話を終えると、「来ても良いって」と藍良に微笑み、本当はダメなんだけど~とふわふわした口調でスマホを藍良の方に向けた。
「嫌じゃなかったら連絡先交換する? 何かわかったら連絡するよ」
「……お願いしますっ!」
藍良もスマホを取り出して、連絡先を交換した。
家に帰ってから知らない人と連絡先交換したことに「良いんだっけ」と不安に駆られたが後の祭り。
連絡先を交換した後は、彼の会社に導かれ中村という男性にも再会しお礼を伝えた。
和倉は会社に着くなり遅刻で怒られていた。
藍良はそこで絵本と出会う。
世界を少しだけ優しくするというテーマの絵本。
この出会いと絵本が藍良の生き方を大きく変えたのかもしれない。
その後和倉とは公園でよく顔を合わせる仲になった。
この男、隙あれば人助けをしているし、ゴミ拾いも行っているし、公園にいる人たちで知らない人はいないほど有名人だった。
藍良もそれに感化されてゴミ拾いの手伝いをしたり、困っている人がいれば助けたりするようになった。
藍良にとってヒーローのような存在で師匠のような人物だった。
そんな日々が続くも蛇ノ目灯里という少女の情報はわからないままで、記憶の人で終わるのかもしれない。藍良がそう思っているときに彼女は転校してきた。
転校前に担任の先生がみんなの前で彼女のことを話した。
「今度、転校生が来るんだがみんなに話しておきたいことがある」
明るく生徒とふざけあうことも多い先生だったが、いつもとは違う雰囲気の様子にクラスの全員が息を吞む。
内容としては、詳しい事情は話せないが前の学校でのトラブルが原因で転校してくるという。その事情もあってサングラスをかけているがあまり詮索しないでやってほしいということ、そして、もしかしたら話しかけても返事が返せないかもしれないけど悪く思わないでやってほしいということだった。
クラスは受け入れた。とりわけ仲がよく団結しているこのクラスは転校生に配慮を求められて拒むはずもなかった。
そしてその当日。転校生は休んだ。来られなかったそうだ。
それを繰り返して何日か経って、ようやく姿を現した。
藍良はその姿と名前に目を見開いた。
そう、転校生は『蛇ノ目灯里』だったのだ。
ようやくお礼が言える、と思える状態ではなかった。彼女は完全に心を閉ざしており、俯いて、声も出ているのか吐息なのかわからないほどの声量しか出てこない。
クラスたちもその様子を見るとさすがに戸惑いに満ちた。
藍良には衝撃が強かった。
自分を助けてくれた少女がこんなにも弱々しい姿になるなんて。藍良の中には怒りすら燃えた。だけど、事情を聞くことは出来ない。詮索することも仕返しなんてもってのほか。ただ彼女をこれ以上傷つけないように見守ることしか出来なかった。
それから休み、遅刻、早退を繰り返して1か月のうちに数えられるほどしか登校出来ない日々が続いていた。
みな声をかけようかかけまいか悩んだ末にあまり関わらない方がいいだろうという結論に至った。
藍良にはそれが寂しく思えた。
普段の彼らならそんな選択はしない、前向きで明るいクラスだった。
でも身をひそめるような灯里の姿は痛々しかった。
意を決した。
登校してきた日、藍良は思い切って挨拶をした。
「蛇ノ目さん、おはようっ」
びっくりした様子で動きが止まり、わずかばかり頭が動いた。会釈のつもりだろう。
藍良が声をかけたことで、クラスも驚いた。どう反応したらいいか迷った。
しかし、誰かが続いた。
「蛇ノ目さんおはよう」
「おはよー」
でも挨拶が返ってくることはなかった。
彼女は自分の席に座って俯いていた。ちょっとまずいことかなと思い、藍良はすぐさま職員室に駆け込んで先生を呼んだ。
灯里は先生に連れられ、保健室へと運ばれていった。
クラスは静まり返った。藍良は青ざめる。自分の行動で彼女を傷つけてしまったのだと自責の念に駆られた。
その日チャイムが鳴ってからしばらくして遅れて先生が戻ってきてホームルームが開始された。
「すまない、俺の配慮が足りなかった」
「先生は悪くないよ私達がっ」
罪悪感に藍良は泣き出してしまう。
「ごめんなさいごめんなさい……」
と呟きながら涙をこぼしていた。周りも寄り添う。
「……だが、校長が蛇ノ目さんから聞き出したことをお前たちに伝える」
「ありがとう、だそうだ」
周りは何のことかわからず、みなが固まって先生の顔を見た。
「みんなが挨拶返されなくて不快じゃなければ挨拶をしてもらいたい」
理解するまで数秒。でもすぐには信じられなかった。
誰かが喜ぶように声を上げてからクラスが湧き上がった。
「じゃあ、俺も挨拶するわ!」
「ばか、男子が我先に言ったら怖がるでしょうが」
「えー」
藍良の横で寄り添ってくれた友達は微笑んだ。
「よかったね、藍良」
「うん……っ」
ただし、と付け加えて
「あまりグイグイ行き過ぎるなよお前ら。そういうところあるからな。男子だけじゃなく女子もだ」
「先生、きびしー」
それからというもの灯里が登校してくるとクラスの誰もが挨拶をするようになった。それでも灯里からは明確な挨拶が返ってこないし、雑談が出来るわけでもなかった。
ただ挨拶するだけ。その程度の距離感が続いていった。
灯里は休みの時間になると必ずと言っていいほど人がいない場所へと移動していく。やはり人がいる場所が苦手なのだろう。
藍良はその様子にお礼が言いたくても言えなかった。彼女は昔のことを思い出したくないかもしれない。
そもそもあの日の出来事は覚えていないかもしれない。
それを伝えるのが怖くなった。
人に怯え、苦しむ灯里に何かをしてあげようと踏み込むのは難しかった。
そうしているうちに数か月が過ぎ、灯里も人前で声が出るようになる。挨拶も返ってくるようになり始めていた。それでも人づきあいは避けている。
藍良はお礼を言うのは諦めかけていた。でも感謝の気持ちはどうにか伝えたかった。
そんな時好機が訪れた。
1か月ほど前に見つけた秘密の教室。
冒険心に火がついて中に入った藍良。誰も来ない静かで現実と切り離されたかのような場所。
一人で考え事するにはうってつけの場所だった。
その時藍良は灯里とどう接触したらいいか考えていた。
だから扉の向こうから灯里がやってきた時には有頂天だった。
これはエゴ。藍良のエゴだ。
今の灯里なら「あの時ありがとう」なんて言っても謙遜して否定されてしまうだけだ。
それじゃ藍良も納得できない。
だからこのお礼は感謝の気持ちに変えて、プレゼントする。
少しでも苦しみから解放されてほしいから。
まだお礼は言わない。
対等な友達として力を貸してあげる。
それだけのこと。
じゃあ、今日も一緒に何しようか。蛇ノ目さん。




