表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の松風、朱の早瀬  作者: 帆波
黄金の深淵
8/10

両刃の導き

大坂城本丸、表御殿へと続く廊下には、外の喧騒を一切遮断した、重苦しいまでの静寂が満ちていた。一歩進むごとに、磨き抜かれた床板が、直政の足裏を通して大坂の「富」を伝えてくる。

「井伊殿、これなる障壁画をご覧くだされ。狩野の門弟が総出で、殿下の威光を形にしたものにございます」

直政の横を歩き、立て板に水のごとく言葉を重ねるのは、案内役の一人、片桐助作且元であった。秀吉の命を受け、接待役を任じた且元は、廊下を飾る極彩色の彫刻や、壁を覆い尽くす金箔がいかに比類なきものであるかを、誇らしげに、かつ執拗に語り続ける。それは徳川の使者に対し、豊臣の圧倒的な財力を見せつけ、その心を挫こうとする「言葉の攻防」であった。

直政は「……左様で。誠に、天下の静謐に相応しき煌めきにございますな」と、予測通りの微笑を浮かべて応じた。その「外交官の貌」は一点の曇りもなく、且元の饒舌を優雅に受け流している。だが、直政の瞳の奥は、且元が指し示す金泥の輝きなど一瞥もしていなかった。

(……廊下の曲がり角ごとに、死角がある。あの欄間の裏には、伏兵の気配。この床の鳴り方は、密偵の足音を殺すための仕掛けか)

直政は、無意識のうちに城の構造を「戦場」として解体し、頭の中で攻略の筋道を引いていた。それは、規律という檻に自らを閉じ込めて生きてきた直政の、抗えぬ性であった。

その時である。一団の最後尾から、事務的な、しかし氷のように冷たい足音が直政のすぐ背後で止まった。

「……兵部少輔殿」

名を呼ばれ、直政は足を止めた。もう一人の案内役、石田治部少輔三成である。三成は、且元のように贅を語ることはない。ただ、定規で引いたような正確な動作で直政の隣に並び、周囲に聞こえぬほどの低い、だが確かな芯を持った声で告げた。

「ここは戦場ではございませぬ。殿下の慈悲深き御もてなしの場でございます」

その瞳は、直政が仮面の下に隠していた「獲物(弱点)を検分する眼差し」を、真っ向から射抜いていた。直政の眉が、微かに、本人にしか分からぬ程度に動く。二人の視線が空中で激しく交錯し、火花が散るような緊張が奔った。

直政の背後に控えていた木俣守勝は、その瞬間、二人の間に流れた険しい空気を敏感に察知した。

(……落ち着け、兵部。治部の挑発に乗るな)

守勝は、直政の項が微かに強張るのを見逃さなかった。三成という男は、直政が城の内実を検分していることを見抜いた上で、それを「無礼」であると同時に「無駄な足掻き」であると断じたのだ。守勝は、自分の掌を冷や汗が伝うのを感じながら、この「似た者同士」の凄絶な牽制を、冷徹な観察者として、かつ直政への危惧を抱きながら見守っていた。

「……滅相もございません、治部少輔殿」

直政は、さらに深い微笑を仮面に塗り重ねた。「あまりの美しさに、某のような田舎武士は、どこに目を置けばよいか惑うておるばかりにございます」

三成の目は、直政を「恩人」として敬う色など微塵もなく、ただ「予測不可能な不純物」を排除しようとする管理者の冷徹さに満ちていた。直政もまた、この事務的な男が、自分と同じく「私情を殺して組織に尽くす」同類であることを察し、それゆえにこそ、大坂城のどの武将よりも危険であると胸に刻んだ。

且元が「さあ、こちらへ」と大広間の巨大な扉を仰ぎ見る。三成はそれ以上何も語らず、直政の装いに乱れがないかを一瞥で検分すると、満足げに、しかし一切の感情を排した声で扉の向こうに声を掛けた。

「徳川家使者、井伊兵部少輔直政。これに」

重厚な扉が、音もなく左右に開かれた。立ち込める香木の匂い。その最奥、黄金の座に沈み込むように座る「天下の主」の姿が、逆光の中に浮かび上がった。

直政は、三成が釘を刺した「戦場ではない」という言葉を、心の深淵で嘲笑った。

(いいや、石田殿。こここそが、私にとっての戦場だ)

直政は一歩、黄金の海へと足を踏み出した。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。本作は初めての投稿作品のため、誤字脱字や表現の拙さ、時代考察の拙さ、設定の不整合などがあるかもしれません。

日々推敲しながら加筆修正をしていく予定です。

ブックマーク・評価・感想をいただけますと、

今後の執筆の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ