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銀の松風、朱の早瀬  作者: 帆波
朱の孤独
4/6

鬼の住処

直政の居館へ続く門をくぐった瞬間、守勝は肌を刺すような冷気に身震いした。

そこには、忠勝の陣にあった活気ある土の匂いも、康政の書斎を包んでいた柔らかな静寂もない。ただ、張り詰めた糸が今にも弾けんとするような、重苦しい沈黙だけが支配していた。

廊下を歩む守勝の足音が、板敷きに虚しく響く。行き交う兵たちの表情は一様に硬く、誰もが己の影を踏むように俯いて歩いている。

(これが、兵部の「軍律」か……)

守勝は直政の部屋の前で立ち止まった。

中からは何の音も聞こえない。だが、襖の向こう側からは、喉元に刃を突きつけられているかのような、鋭利な気が漏れ出していた。

守勝は居住まいを正し、静かに声をかけた。

「木俣守勝、戻りましてございます」

一拍。あるいは永遠にも感じられる沈黙ののち、室内から硬い声が響いた。

「……入れ」

襖を開けると、そこは陽光を拒絶したかのような薄暗がりに包まれていた。

部屋の中央、直政は、夥しい書状の山を前にして座していた。

その背後には、闇に溶け込むようにして朱い具足が据えられている。主の殺気に呼応するかのように、それは物言わぬ獣のごとき威圧感を放っていた。

直政の手にあるのは、一通の書状に過ぎない。だが、彼はそれをまるで抜き身の刀でも握っているかのような、凄まじい殺気を纏って手にしていた。その佇まいは、休息を知る武士のそれではなく、戦場の最前線で敵と刃を交えている最中の狂気そのものであった。

「……逃げ走った者たちはどうした」

直政は書状から目を逸らさぬまま、低く問いかけた。燭台の炎が爆ぜる音だけが、不気味に部屋に反鳴する。

「……本多、榊原の両家にて収容されております。本多殿の陣では一兵卒として土を運び、榊原殿の元ではその筆才を活かされ、それぞれが井伊の隊におった時とは異なる顔で過ごしておりました」

守勝が努めて淡々と報告すると、直政の視線がようやく紙面から外れ、ゆっくりと守勝に向けられた。その瞳には、昏い炎が宿っている。

「……異なる顔、だと?」

直政は手にしていた書状を、まるで不要なむくろを捨てるかのように机へ叩きつけた。

「我が隊で『不具者』と断じた屑を、あの二人は拾い、あまつさえ居場所を与えたというのか。家康公の軍に、そのような甘えを許す隙間がどこにある」

直政は立ち上がり、守勝の方へと一歩踏み出した。その体からは、休息を知らぬ者特有の、焦燥と疲弊が混じり合った毒気が漂っている。

「木俣、貴殿もあの者たちの言い分を聞いてきたのだろう。『兵部が厳しすぎる』と。……そうではないか?」

直政の自嘲気味な、しかし拒絶を許さぬ問いに、守勝は康政の言葉を思い出していた。

(あいつは自分を「献上品」だと思い込んでいる……)

「……兵部殿。日はまだ高くございますが、少しばかり筆を置かれては。表は穏やかな風が吹いております。少し戸を開けて光を入れましょう」

守勝の静かな勧告に対し、直政は筆を止めることすらしない。

「光など、この直政には不要だ。……天下に如何なる風が吹こうとも、この眼に映るべきは我が主の武威を示す、赤き旗印のみ」

戸を閉め切り、刻一刻と暮れゆく外の気配すら拒絶する主君の姿に、守勝が密かに溜息をついたその時であった。

廊下を足早に歩む音が響き、襖の向こうで声が上がる。

「兵部様、川手主水にございます。火急の件にて参りました」

直政の筆がようやく止まった。その双眸に、さらに鋭い光が宿る。

「……入れ」

襖が開き、井伊家の重鎮である川手主水が足を踏み入れる。主水の表情もまた、事の重大さを物語るように硬い。部屋に家老格の二人が揃ったのを見届け、直政は手にしていた書状を静かに机へ置いた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。本作は初めての投稿作品のため、誤字脱字や表現の拙さ、時代考察の拙さ、設定の不整合などがあるかもしれません。

日々推敲しながら加筆修正をしていく予定です。

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