プリン半分、求愛は本気
居住区と勤務区画を繋ぐ共用プロムナードには人がまばらで、カシウスはその一角で何度目か携帯端末に視線を落とした。液晶の中では美人猫がこちらを見上げている。その頭上のデジタル時計は、ちょうど十五時手前を指していた。
くすんだ灰色の回廊を進むと、壁に埋め込まれた真鍮色のプレートが現れた。細い金属枠に囲まれたガラス扉の上には手書き風の看板。「止まり木」と名の付く憩いの場だ。扉の外まで挽きたてのコーヒーの香りが漂ってくる。
かろんかろん。店内に足を踏み入れると、扉のてっぺんでベルが涼しげな音色を奏でた。スピーカーから聞こえてくるフレンチ・ポップスが気だるげに愛の駆け引きを歌っていた。
飴色のランプの下には、勤務を終えたエンジニアや見知った医療スタッフ、非番の士官がいた。その中に会いたいお猫様の姿を見つけた。
半円形のソファにバーナビーがちょこんと座り、ふさふさの前足でメニューの両端を押さえている。尻尾がゆっくりと左右に揺れていた。ご機嫌だ。
カシウスは近づいてメニュー越しに声をかけた。
「クロス専門官、お待たせしました」
「お疲れ様ですにゃ」
ぴんと三角耳を立て、猫がメニューから顔を上げた。社交辞令であっても愛でたい、この笑顔。
向かいのティールグリーンのソファに腰掛ける。
「タリク君たちは結局ベビーシッターの元へ?」
「はい。ライラは同級生の家にお泊りにゃ」
カシウスは開かれていたメニューをちらりと見た。名物プリンの写真がでかでかとページに広がっている。
「誘ったのは私です。ここは私にごちそうさせてください」
「えっ、よろしいんですかにゃ?……ではノンカフェインのカフェオレと、この名物プリンを」
「お目が高い。ここのは固めで伝統的です」
「にゃあん! それは楽しみです」
甘えるような鳴き声。うっかり何でも買ってあげたくなる。胸を押さえ、カシウスは小さな呼出ベルを振った。
間もなく石ころを人型にしたような店員が注文を取りにきた。
「ご注文はお決まりですか?」
「私にはブルマン。向かいの彼にはノンカフェインのカフェオレ。あとプリンを二つ」
「申し訳ありません。プリンは大変人気で最後の一つしかなくて! ほかにお好きなものはございますか?」
チーズケーキでも頼もうかと考えた時、袖を引かれる感触がした。
「ドクター。はんぶんこしませんか?」
「素晴らしいご判断です」
気づいたら即答していた。バーナビーが店員に向き直った。
「プリンを一つとスプーンを二本。一本はカフ型を用意してください。カフェオレはぬるめ、無糖で」
「かしこまりました」
カシウスが胸の徽章を店員に向けると、ペン型スキャナーがかざされた。店員はタブレットを操作して決済を済ませた。
バックヤードへと戻っていく店員は間違いなく生き物だった。自律ロボットが配膳をしないのは、旧地球のフレンチカフェを意識しているからだろう。
「地球風というやつですか? こういうのも悪くないですね。ここを選んでよかったですにゃ」
「はは、私の知る地球はここまで洒落てはいないですよ」
艦長の実家でのBBQを思い出した。
「へぇ? ああ、カラメルやお菓子のバターの匂い……」
バーナビーのピンクの鼻先がひくひく動く。
「ここは焼き菓子も美味しいんですよ」
「チビたちにお土産を買っていこうかにゃ?」
ほどなくして、コーヒーとカフェオレ、それに一皿のプリンが運ばれた。
右前足にカフ型のスプーンを着け、バーナビーが銀のアイスカップに乗ったプリンを突く。卵をたっぷり使ったそれはふるりと震えて崩れた。
薄いピンクの舌が、スプーンのプリンをさらっていく。
「ん、カラメルのほろ苦さがちゃんとあって美味しいですにゃあ! 甘いもの、お好きですよね。ドクターもどうぞ」
バーナビーが銀の皿をこちらに寄せた。
「もちろん、あとでいただきます」
今はお猫様が満たされる姿を見るだけで、腹いっぱいなのだ。
コーヒーカップを口に運び、蛇の間からこっそり正面を眺める。ぴちゃぴちゃ、湯気の立っていないボウルからバーナビーがカフェオレを舌ですくっていた。
思ったとおり猫舌なのか。雄叫びを上げたくなり、唇を引き結ぶ。カップを握る指に力が入り、取っ手がかすかに鳴った。
不意に丸っこい瞳がこちらを見上げてきた。ぬいぐるみじみた顔が近づいてくる。
「ドクター、一つ質問をしてもいいですかにゃ?」
「はい、なんでしょう」
「ぼくを見てなぜ『もっこり』させるのかにゃ?」
ぼく。プライベートでは、ぼくというのか。いや、待て――。
「……今、なんと?」
「そんなにぼくが気になりますかにゃ?」
カシウスがテーブルの下で内股を擦り合わせると、長い膝がテーブルの脚に当たり、かすかな音を立てる。それはどちらのもっこりを言っているのか。
猫が「にゃふん」と、ちょっと意地悪そうに目を細めた。小さな牙がにんまりと笑う口端から覗く。なんだそれ、いいぞ……じゃない。からかわれているのだろうか。
軽く咳払いして、真っ向からサファイア色の瞳を覗き込んだ。
「……正直に申し上げます。私は根っからのケモノ好きです」
「ふんふん」
「ですが! あなたに惹かれるのは単に猫だからとか、それだけではありません」
「ふぅん?」
髭が一斉にカシウスへと向いた。この小悪魔にゃんこは、爆散寸前の自分をどうしたいのか。
慎重に言葉を選んだ。
「一人の魅力的な男性として口説いているんです」
胸元で端末が震えた。自分も緊急事態だというのに、このタイミングでの呼出はやめてくれ。通知を開くとコーディから飲みの誘いだった。
「失礼。友人からです」
画面を上にして端末を卓に置いた。壁紙とデジタル時計が液晶に浮かぶ。返信を後回しにしようとすると、バーナビーの視線がそこに留まっているのに気づいた。
「綺麗な猫さんですにゃ」
「地球で会った猫ですよ。艦長の実家で撮ったものでして」
バーナビーはもう一度画面を見た。尻尾の先が、ふと止まる。
「……それでドクターは、ぼくのどこがお好きなんですか?」
左腕にまだ残っている爪痕が疼く。美しいケモノならほかにもいた。だが、この男は――。
大切な者を守るために命がけで牙を剝く男を、カシウスは忘れられない。
「気丈で、航法士として誇りがあり、タリク君たちを大切にしているところが好ましい」
バーナビーは笑みを消し、黙り込んだ。まずい、口説き方を間違えたか。
そう思った時、バーナビーがソファを蹴ってテーブルに乗り上げた。プリンの両脇に小さな前足。カシウスは咄嗟にその身体を支えた。
次の瞬間、ひやりと湿った鼻先が触れた。
「……」
「……」
視線が交錯する。蛇たちは異様に静かだった。
凍りついたカシウスから顔を離したバーナビーは、何事もなかったかのようにソファに戻った。尻尾の先だけはくねくねと揺れている。
カップやベルの鳴る音と店内BGM、笑い声が響いた。
「早く食べないと独り占めしてしまいますよ?」
バーナビーはカフ型のスプーンでプリンをすくった。小さな前足がこちらに伸びる。
「先生の分ですにゃ。ほら、あーん」
カシウスは身を乗り出し、差し出されたひとさじを口にした。ほろ苦いカラメルが舌の上に広がる。鼻先にはまだあの冷たさが残っていた。
「美味しいですかにゃ?」
ごちん。カシウスはテーブルに額を落とした。




