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第九話 正しい人

 その日の午後、遼の発言はまたネットへ流れていた。


 誰が撮影していたのかは分からない。


 家の内見中だったはずなのに、倉田たちとの会話はかなり鮮明に録音されていた。


『できる人が、やらなきゃ駄目なんですか?』


『俺も十年、助けてもらえなかったので』


『できるから、やれ。強いから、我慢しろ。強いから、助けろ。強いから、責任を持て』


『何で?』


 動画のタイトルは、


【世界最強・神代遼、大手探索者組織を完全論破】


 になっていた。


「論破してないんだけど」


 遼は協会の休憩スペースで、その動画を眺めていた。


 隣にいる水城が頭を抱える。


「お願いですから、コメント欄を見ないでください」


「何で?」


「絶対ろくなことにならないので」


「昨日も言ってましたね」


「言いました」


「でも面白いですよ」


「神代さん」


「はい?」


 水城の声が少し真面目になる。


「今のネットでは、あなたが何を言ってもかなりの人が肯定します」


「どうして?」


「強いからです」


 遼は笑った。


「それだけ?」


「それだけで十分な人もいます」


「変なの」


「本当にそう思います?」


「はい」


 水城はしばらく遼を見ていた。


「なら、一つだけ覚えておいてください」


「何です?」


「あなたが正しいから賛成している人と、あなたが強いから賛成している人は」


 そこで少し間を置く。


「同じ顔をします」


 遼の指が止まった。


「……どういう意味?」


「今は分からなくていいです」


「気になるな」


「そのうち分かります」


 遼は再び画面を見る。


 コメントは止まる気配がなかった。


《神代さん正論》


《そりゃ十年放置されたら世界なんてどうでもよくなる》


《強者に責任押し付けるな》


《好きに生きろ》


《世界最強なんだから誰の命令も聞く必要ない》


《神代がやりたいようにやればいい》


《法律とか国とか神代には関係なくね?》


《逆らう奴が悪い》


《この人が王でよくない?》


《むしろ日本政府が神代に従え》


 遼は一つずつ読んでいく。


「俺が王」


 呟いた瞬間、水城が遼の手からスマートフォンを奪った。


「はい、終わりです」


「何するんです?」


「もう見せません」


「俺のスマホですよ」


「今だけ没収します」


「返してください」


「嫌です」


 遼が水城を見る。


 水城も見返した。


「嫌って言いましたね」


「言いました」


「俺が取り返そうと思えば取れますよ」


「知ってます」


「止められないですよ」


「それも知ってます」


「怖くない?」


 水城は少しだけ考えた。


「怖いです」


 遼の笑みが僅かに消えた。


「でも返さない?」


「返しません」


「どうして?」


「あなたに『嫌だ』って言う人が必要だと思うからです」


 遼は黙った。


「俺に?」


「はい」


「何で?」


 水城は周囲を見た。


 協会職員。


 警備員。


 研究員。


 何人かは二人のやり取りを気にしているようだったが、遼が顔を向けるとすぐに目を逸らした。


「みんな、あなたに嫌われたくないんです」


「……」


「そのうち、誰も本当のことを言わなくなる」


「大袈裟ですよ」


「そうでしょうか」


「俺、別に何もしませんよ」


「神代さん」


「はい」


「昨日、峰岸さんたちをどう思いました?」


「嫌いでした」


「今日、峰岸さんはあなたに頭を下げました」


「そうですね」


「なぜだと思います?」


「反省したから?」


「違います」


 即答だった。


 遼の表情が止まる。


「怖いからです」


「俺が?」


「はい。あなたに嫌われたくないから」


 水城は遼を見る。


「殺されたくないから」


「俺、殺すなんて言ってませんよ」


「言わなくていいんです」


「……」


「できると、みんな知ってるから」


 遼は何も言わなかった。


 言われている意味は分かる。


 でも、自分が誰かを殺そうとしているわけでもない。


 昨日だって、あの男を殺していない。


 なのに。


 なぜ自分がそこまで恐れられるのか。


 まだ実感できなかった。


 その時、廊下の向こうから一人の男が歩いてきた。


 峰岸だった。


 一人だった。


 遼を見つけると、ほんの一瞬だけ足が止まる。


 それだけだった。


 だが、遼は初めて気づいた。


 昨日の峰岸とは顔が違う。


 怒っていない。


 睨んでもいない。


 笑っている。


「神代さん」


 峰岸が頭を下げた。


「先ほどは失礼しました」


「……」


「今後とも、よろしくお願いします」


 笑顔だった。


 遼は何も言えなかった。


 峰岸はもう一度軽く頭を下げ、そのまま廊下の向こうへ消えていく。


 姿が見えなくなってから、遼は水城を見た。


「今の」


「はい」


「本当に?」


「たぶん」


 水城は答えた。


「昨日の峰岸さんと、今日の峰岸さん」


 遼は閉じた扉を見る。


「どっちが本物だと思います?」


 答えられなかった。


 その夜。


 遼は一人でホテルのレストランにいた。


 家の契約手続きには少し時間がかかるらしく、今日もホテルへ戻っている。


 夕食に頼んだのはステーキだった。


 柔らかい。


 肉の味もいい。


 地下で食べていた魔物の肉とは比べものにならない。


 値段も高かった。


 遼は一口食べ、少しだけ首を傾げた。


「……ちょっと焼きすぎだな」


 独り言だった。


 文句を言うつもりもない。


 普通に食べられる。


 だが、近くにいた店員がぴくりと反応した。


「申し訳ございません!」


「え?」


 店員がすぐに遼の席へ来る。


「ただちに作り直させます!」


「いや、いいですよ」


「シェフを呼んでまいります」


「呼ばなくていいです」


「ですが――」


「普通に美味しいですよ。ちょっと焼きすぎだと思っただけなので」


 店員は何度も頭を下げた。


「本当に申し訳ございません」


「だから大丈夫ですって」


「……」


 それでも店員は動かなかった。


 顔色が少し悪い。


 遼は水城に言われたことを思い出した。


 あなたが正しいから賛成している人と。


 あなたが強いから賛成している人は。


 同じ顔をします。


 遼はフォークを置いた。


「本当に怒ってないですよ」


「はい!」


 店員は即答した。


 あまりにも早かった。


「……そう」


 遼は再びステーキを食べ始めた。


 さっきまでは美味かった。


 なのに、なぜか少しだけ味が分からなくなった。


 翌朝。


 遼は朝食を食べながら、水城から届いたメッセージを開いた。


『昨日、ホテルで何かありました?』


「何か?」


 続けて送られてきた記事を開く。


【世界最強・神代遼氏への料理提供を巡りホテルが謝罪】


 遼の手が止まった。


 記事を読み進める。


 昨夜のレストラン。


 提供した料理に不備があったとして、ホテル側が謝罪。


 責任者である総料理長との契約も解除したという。


「……何で?」


 苦情は言っていない。


 作り直せとも言っていない。


 誰かを辞めさせろなんて、もちろん言っていない。


 遼は何も頼んでいなかった。

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