第八話 強いから
翌朝、遼が目を覚ますと、スマートフォンの通知が埋まっていた。
着信、メッセージ、ニュース通知、動画の切り抜き。見知らぬアカウントからの連絡まで、画面を埋め尽くしている。
「……多いな」
ベッドへ身体を起こし、画面を滑らせた。
昨日の酒場で撮影された映像は、まだ伸び続けていた。
再生数は四千八百万。
関連動画には切り抜き、解説、反応集が並び、すでに海外字幕までついている。
その中で、遼は昨日最後に見たコメントを見つけた。
《神代さん、あそこで殺してたらもっとスカッとしたのに》
ついている「いいね」は十二万。
「……増えてる」
昨夜見た時は一万だった。
遼はベッドへ背を預け、そのコメントについた返信を開く。
《分かる》
《ああいうクズ生かしとく意味ある?》
《どうせまた誰かに絡むだろ》
《見せしめに一人くらいやっとけ》
《最強なのに甘すぎ》
《神代なら警察いらんだろ》
《自分で裁けるんだから裁けばいい》
《神代さんが法律でよくね?》
そこで遼の指が止まった。
「俺が法律」
声に出してみる。
変な言葉だった。
だが、まったく意味が分からないわけでもない。
地下では決まりなどなかった。
警察もいない。裁判もない。誰かに訴えたところで、助けに来る人間はいない。
何が正しいのか。
何をしていいのか。
生きるために何を捨てるのか。
最初の頃は六人で決めていた。
最後には、遼一人で決めるしかなくなった。
スマートフォンが鳴った。
表示された名前は水城だった。
「はい」
『起きてました?』
「今起きたところです」
『今日、外出する予定ありますか?』
「何で?」
『……聞いただけです』
「監視のため?」
『否定すると怒りますよね』
「正直でいいですね」
『少し慣れました』
遼は笑った。
「今日は買い物します」
『何を?』
「家」
『家!?』
声が大きくなる。
「ホテル高いので」
『一億以上持ってる人がそこ気にします?』
「無駄なものに金使いたくないです」
『……分かりました』
「あと家具も見ようかな」
『同行しましょうか?』
「いらないです」
『ですよね』
「でも」
『はい?』
「スマホの使い方、あとで教えてください」
少しだけ間があった。
『……それくらいなら』
「お願いします」
電話を切った。
シャワーを浴び、着替えてから鏡を見る。
髪は短く切った。
髭も剃った。
服も地上で買った新しいものだ。
鏡に映っているのは、少し痩せた四十二歳の男にしか見えない。
世界最強。
神。
法律。
そんな言葉とは、どう考えても釣り合わなかった。
午前十時。
遼は不動産会社の相談席に座っていた。
「ご予算はどの程度をお考えですか?」
「特に」
「ご希望の地域は?」
「静かなところがいいです」
「広さは?」
「一人なので、そんなにいらないです」
「眺望などにご希望は?」
「別に」
「駅からの距離は?」
「歩ければ」
担当者が少し困った顔をした。
「神代様」
「はい」
「もう少し条件を絞っていただけると探しやすいのですが」
「じゃあ……」
遼は考えた。
広さ。
駅。
値段。
どれも大した問題ではない。
その中で一つだけ、すぐに浮かんだ。
「地下室がない家」
「……地下室ですか?」
「嫌なので」
「ああ」
担当者は何かを察したらしい。
「承知しました」
それ以上は聞いてこなかった。
数件の候補を見せてもらい、遼は一軒ずつ写真を見る。
そのうち、一枚の写真で指を止めた。
「これ」
「はい」
「庭あります?」
「小さいですが、あります」
「ここがいいです」
「内見は?」
「必要ですか?」
「できれば、一度ご覧いただいた方が」
「じゃあ行きます」
担当者が目を丸くした。
「もう少しほかの物件も見なくてよろしいんですか?」
「住めればいいので」
「……」
「何です?」
「いえ」
担当者が少し笑った。
「噂で聞いていたより、普通の方だなと思いまして」
遼も笑った。
「よく言われます」
本当は、ほとんど言われていない。
物件は郊外にある二階建ての一戸建てだった。
広すぎず、小さすぎない。
庭があり、隣家との間にも少し距離がある。
何より静かだった。
「ここにします」
家を一周したところで、遼は言った。
「早いですね」
「気に入りました」
庭へ出る。
土がある。
木がある。
見上げれば空がある。
地下にはなかったものばかりだった。
「契約についてですが、まず身分証と――」
担当者の説明を聞いていた時、家の前で車の止まる音がした。
一台ではない。
三台。
遼が窓を見る。
「誰か来ましたね」
担当者も外を確認した。
「お知り合いですか?」
「違うと思います」
その直後、玄関のチャイムが鳴った。
担当者が応対に向かい、数分後に戻ってくる。
「神代様」
「はい」
「お客様がいらっしゃっています」
玄関近くへ行くと、四人の男が立っていた。
三人はスーツ姿。
そして一人だけ、見覚えがある。
「昨日の」
峰岸浩二。
昨日、酒場で遼と揉めたA級探索者だった。
今日は装備もつけていない。
表情も、昨日とは随分違っている。
「神代」
「こんにちは」
「少し話せるか」
「また?」
「昨日とは違う」
「何が?」
峰岸の後ろにいた男が前へ出た。
五十代くらいだろうか。
高そうなスーツに、整えられた髪。営業用のものだとすぐに分かる笑顔を浮かべている。
「初めまして」
男は名刺を差し出した。
「日本ダンジョン産業連盟、理事の倉田と申します」
「神代です」
「存じております」
遼は名刺を受け取った。
「何の用ですか?」
「昨日の件について、まずお詫びを申し上げたく」
倉田が頭を下げる。
そして峰岸を見る。
「峰岸」
峰岸も遼へ頭を下げた。
「悪かった」
「何が?」
「全部だ」
遼は少し考えた。
「手首折った人は?」
「病院だ」
「治ります?」
「治療スキルで問題ない」
「ならよかった」
峰岸の頬が僅かに引きつった。
倉田が懐から封筒を取り出す。
「それから、こちらを」
「何です?」
「迷惑料です」
「いりません」
「ですが――」
「謝ったんですよね?」
「はい」
「なら終わりでいいです」
遼は封筒を受け取らなかった。
倉田が一瞬だけ動きを止める。
「……寛大ですな」
「別に」
「では、ありがたくお言葉に甘えさせていただきます」
「用件はそれだけですか?」
「いえ」
やっぱり。
遼は心の中でそう思った。
「第零遺跡についてです」
「情報なら売りませんよ」
「今回は情報の売買ではありません」
「じゃあ?」
倉田が遼を見る。
「深層調査に同行していただきたい」
「嫌です」
すぐに断った。
「神代さん」
「行きたくないので」
「もちろん条件については、可能な限りご希望に――」
「条件の問題じゃないです」
「ですが、世界中が第零遺跡の深層に何があるのか知りたがっています」
「俺は知ってますけど」
「だからこそです。あなたなら調査隊を最深部まで連れていける」
「たぶんできます」
「なら――」
「だから何です?」
倉田が黙った。
遼は単純に疑問だった。
「できる人が、やらなきゃ駄目なんですか?」
「社会には、力を持つ者にしか果たせない役割があります」
倉田は言葉を慎重に選んでいるようだった。
「役割?」
「責任とも言えます」
「誰が決めたの?」
「……」
「俺が強いから、俺に仕事をさせる?」
「そういう意味ではありません」
「昨日は」
遼は峰岸を見る。
「俺が強いから、殴られても我慢しろって言われました」
「それは昨日の――」
「今日は強いから働け?」
「違います」
「結構便利ですね」
倉田の笑顔が少しだけ薄くなった。
「神代さん」
「はい」
「世界では今も、ダンジョンによって多くの人が亡くなっています」
「知ってます」
「あなたが動けば救える命がある」
「そうでしょうね」
「それでも動かない?」
「今は」
「なぜです?」
「嫌だから」
峰岸が顔を上げた。
「お前――」
「峰岸」
倉田がすぐに止める。
「でもよ」
「黙っていろ」
峰岸が歯を食いしばった。
遼はその顔を見る。
「何です?」
「……」
「言っていいですよ」
峰岸が遼を見る。
「お前、どれだけ人が死んでも何とも思わねえのか?」
「思いますよ」
「なら!」
「でも」
遼は窓の外へ目を向けた。
庭が見える。
木がある。
その向こうには青い空が広がっていた。
「俺も十年、助けてもらえなかったので」
峰岸の口が止まった。
「誰も来なかったんです」
「……」
「世界は俺を十年放っておいたでしょう」
「それは、誰もお前が生きてるなんて――」
「知らなかったから?」
「そうだ」
「助けに行けなかったから?」
「ああ」
「じゃあ、俺も同じでいいじゃないですか」
峰岸の眉が寄る。
「何が同じなんだよ」
「俺は、知らない人全員を助けに行けません」
「でも、お前なら――」
「できるから?」
峰岸が言葉を止めた。
遼は少しだけ笑った。
「またそれですね」
さっきから、ずっと同じだった。
昨日も。
今日も。
言い方が違うだけで、結局同じところへ戻ってくる。
「できるから、やれ」
倉田は黙っている。
「強いから、我慢しろ」
峰岸も何も言わない。
「強いから、助けろ」
誰も答えない。
「強いから、責任を持て」
遼は二人を見た。
「何で?」
答えは出なかった。




