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第七話 ざまあ

 連れていかれたのは、協会本部から少し離れたところにある探索者向けの酒場だった。


 昼間ということもあって客は少なく、奥の席にはほとんど人がいない。


 三人の男が先に座り、遼も向かいの席へ腰を下ろした。


「自己紹介からだな」


 中央に座った男が言う。


「俺は峰岸浩二。A級探索者だ」


「神代遼です」


「知ってる」


「そうですか」


「こっちは俺のパーティーだ」


 隣にいる二人が軽く顎を上げた。


 遼も一応、頭を下げる。


「それで、話って何です?」


 峰岸は机へ肘をついた。


「単刀直入に言う。第零遺跡の情報を売れ」


「情報?」


「地図だ」


「ないです」


「じゃあ道順」


「結構忘れてます」


 峰岸の眉が僅かに動く。


「最深部まで行ったんだろ」


「行きましたよ」


「なら分かるだろ」


「十年かけてですからね。全部は覚えてないです」


「ある程度でいい」


「何に使うんです?」


 峰岸が笑った。


「攻略だよ」


「第零遺跡を?」


「ああ」


 遼は少し考えた。


「やめた方がいいですよ」


 峰岸の笑みが止まる。


「何だと?」


「十二階より下へ行くんですよね」


「ああ」


「危ないです」


「お前は行けたんだろ」


「俺も何度も死にかけましたよ」


「でも生きてる」


「運が良かったんです」


「そういうのはいらねえ」


 峰岸の声が少し低くなった。


「いくらだ」


「いりません」


「金じゃ足りない?」


「違います」


「じゃあ何が欲しい」


「何もいりません」


 遼は置かれていた水を一口飲んだ。


「だから、行かない方がいいですよ」


「俺はA級だ」


「そうなんですね」


「国内でも上位だぞ」


「はい」


 峰岸の顔から完全に笑みが消えた。


「馬鹿にしてんのか?」


「してないですよ」


 遼は普通に答えた。


「たぶん死ぬって言ってるだけです」


 隣の男が机を叩いた。


「てめえ!」


 グラスが小さく揺れる。


 遼はそちらを見た。


「大丈夫ですか?」


「舐めてんじゃねえぞ!」


「舐めてないです」


「お前が生きて出てるだろうが!」


「だからって、あなたたちも生きて出られるとは限らないでしょう」


 峰岸が片手を上げると、舌打ちしながら座り直した。


「神代」


「はい」


「お前、今かなり有名だよな」


「みたいですね」


「世界最強なんて呼ばれてる」


「勝手に言われてます」


「気分いいだろ」


「別に」


「そういう態度だよ」


 峰岸がもう一度笑った。


「嫌われるぞ」


「そうですか」


「ああ」


 峰岸はスマートフォンを机の上へ置いた。


 画面には遼の能力試験の映像が映っている。


「今はみんな面白がってる。十年間最深部にいた男だ、世界最強だってな」


「はい」


「でも」


 指で画面を滑らせる。


 次に表示されたのは別の記事だった。


【S級探索者・黒崎剛志死亡】


【神代遼は救助せず】


「こういうのもある」


 遼の目が止まった。


「お前が人殺しだって言ってる奴もいる」


「俺は殺してませんよ」


「世間はそんな細かいことまで見ねえんだよ」


 峰岸が身を乗り出した。


「俺たちと組め」


「嫌です」


「話を聞け」


「聞いてますよ」


「俺たちが第零遺跡を攻略する。お前は情報を出して、名前も貸す。それだけだ」


「嫌です」


「成功すりゃ、お前も英雄だ」


「別にいらないです」


「金も入る」


「あります」


「女だって寄ってくる」


「結構です」


 峰岸の口元が引きつった。


「何なら欲しいんだよ」


「静かに暮らしたいです」


「だったら俺らに協力した方がいい」


 遼が首を傾げる。


「どうして?」


「敵を作らずに済むからだ」


「敵?」


「この業界はな、一人で好き勝手やっていけるほど甘くねえんだよ」


 遼は少し考えた。


「でも俺、探索者やらないですよ」


「は?」


「しばらく普通に暮らすので」


 峰岸の目つきが変わった。


「お前の都合で決まると思ってんのか?」


 遼の表情も僅かに変わる。


「何が?」


「お前の力だよ。最強だ何だって騒がれて、そのまま一般人に戻れると思ってるのか?」


「戻りますよ」


「無理だ」


「どうして?」


「周りが放っとかねえからだ」


「じゃあ断ります」


「全部か?」


「はい」


「国も?」


「必要なら」


「協会も?」


「嫌なら」


「俺たちも?」


「今、断ってますよ」


 峰岸が笑った。


 今度は笑っていなかった。


「お前さ、黒崎が死んで調子に乗ってねえか?」


「どうしてそうなるんです?」


「S級が一人消えた。今、この国の上位戦力には大きな穴が空いてる」


「そうですか」


「そのタイミングで、お前が出てきた」


「はい」


「みんな怖がってんだよ」


「俺を?」


「そうだ」


「何もしてませんけど」


「何もしてねえからだよ」


 峰岸は遼へ指を向けた。


「何考えてるか分からねえ。どこまで強いかも、何ができるかも分からねえ。だから今のうちに味方を作っとけって言ってるんだ」


「あなたたちを?」


「ああ」


「嫌です」


 即答だった。


 隣の男が勢いよく立ち上がる。


「いい加減にしろ!」


 遼は男を見上げた。


「座った方がいいですよ」


「あ?」


「店ですよ」


「てめ――」


 男の手が遼の胸ぐらへ伸びた。


 服を掴む。


 遼は動かなかった。


「離してもらえます?」


「舐めた口利きやがって」


「離して」


 男が笑った。


「嫌だね」


 遼は男の顔を見た。


「そうですか」


 右手で、男の手首を掴む。


「うっ……!」


 ほんの少しだけ力を入れた。


「いっ……!」


「神代」


 峰岸が立ち上がった。


「やめろ」


 遼は峰岸を見る。


「この人が先ですよ」


「離せ」


「俺に言うんですか?」


「何?」


「俺はもう離してって言いました」


 男の顔が歪む。


「いてえ……!」


「でも嫌だって言われたので」


 遼は自分の胸元を見る。


 男の手はまだ服を掴んだままだった。


「じゃあ、この人も嫌なんじゃないですか?」


「離せ!」


「どっちです?」


「何が!」


「掴むのをやめたいのか、やめたくないのか」


 遼が、もう少しだけ指へ力を入れた。


 鈍い音がした。


「っあああああ!」


 男の悲鳴が店内へ響いた。


 手首が不自然な方向へ曲がっている。


 遼はすぐに手を離した。


 男は手首を抱えたまま床へ崩れる。


「何しやがる!」


 もう一人の男が立ち上がった。


 峰岸も動く。


「待て!」


 間に合わなかった。


 男の拳が遼の顔へ飛ぶ。


 当たった。


 乾いた音がした。


 それでも遼は、椅子から一ミリも動かなかった。


「……え?」


 殴った男が自分の拳を見る。


 遼はゆっくり顔を向けた。


「今、殴りました?」


 男が一歩下がる。


「いや……」


「殴りましたよね」


「……」


「何で?」


「神代」


 峰岸が二人の間へ入った。


「落ち着け」


「俺、落ち着いてますよ」


「こいつも熱くなっただけだ」


「俺もさっき胸ぐら掴まれました」


「謝らせる」


「何であなたが?」


「いいから、ここで終わりにしろ」


 遼が首を傾げる。


「終わり?」


「ああ」


「どういう意味です?」


「手首折っただろ。もう十分だ」


「この人は殴ってきましたよ」


「当たっても何ともねえだろ!」


 遼が止まった。


 峰岸も、口にしてから気づいたようだった。


「痛くなかったら」


 遼はゆっくり聞いた。


「殴っていいんですか?」


 店内が静かになる。


「そういう意味じゃねえ」


「じゃあ何です?」


「……」


「俺が強いから?」


 峰岸は答えない。


「俺には効かないから?」


「神代」


「だったら」


 遼は、自分を殴った男へ視線を移した。


「この人が俺より強かったら、俺が殴ってもいいんですか?」


 男の顔色が変わった。


「待て」


 峰岸が一歩前へ出る。


「神代、やめろ」


「何で?」


「死ぬ」


「でしょうね」


「分かってるなら!」


「この人は、俺が死ぬ可能性を考えなかったんですか?」


「そんなわけねえだろ!」


「何で?」


「お前は――」


 峰岸が止まる。


 遼は待った。


「何です?」


 しばらくして、峰岸が答えた。


「……強いからだ」


 遼は少し笑った。


「ほら。やっぱり同じじゃないですか」


「違う!」


「何が?」


 峰岸は答えない。


 遼には、本当に違いが分からなかった。


「俺が強いから殴ってもいい。でも、俺が弱い人を殴るのは駄目」


「だから違うって言ってるだろ!」


「じゃあ、何で俺は殴られていいんです?」


 答える者はいなかった。


 遼は男を見る。


 拳を握った。


 峰岸が身構える。


 周囲の客も、慌てて席から離れ始めた。


「神代さん!」


 聞き覚えのある声が響く。


 入口に水城が立っていた。


「やめてください!」


 遼が振り返る。


「また監視?」


「今はそれどうでもいいです!」


 水城が急いで駆け寄る。


「手を開いてください」


「何で?」


「お願いだから!」


 遼は自分の拳を見た。


 ただ握っているだけだった。


「殴るつもりないですよ」


「本当に?」


「はい」


 手を開く。


 水城が大きく息を吐いた。


 峰岸も同じだった。


 遼は二人を見る。


「何です?」


「……」


「殴らないって言っただけで、そんなに安心します?」


「します」


「どうして?」


 水城は床へ座り込んでいる男を見る。


「あなたが殴ったら、この人、多分死ぬからです」


「でも、向こうから殴りましたよ」


「分かってます」


「胸ぐらも掴まれた」


「分かってます」


「脅されました」


「聞いています」


「じゃあ俺が悪い?」


「違います」


「なら――」


「でも、殺していいことにはならない!」


 水城の声が店内へ響いた。


 遼は黙った。


「神代さん。あなたは今、普通の人と同じやり返し方をしたら駄目なんです」


「どうして?」


「力が違いすぎるからです」


 遼の声が少しだけ低くなった。


「それ、ずるくないですか?」


「……」


「俺が強いから、殴られても我慢しろってことですか?」


「そうじゃありません」


「でも殴り返すなって」


「警察を呼べばいいんです」


「十年前ならそうしたかもしれません」


「今でもそうしてください」


「何で?」


 遼は本当に分からなかった。


「自分で終わらせられるのに」


 水城の表情が変わった。


 遼は続ける。


「十年間、誰も来ませんでした」


 声は静かだった。


「警察も、救助も来なかった。助けてって言っても、誰も来なかった」


 地下の光景が頭をよぎる。


 暗闇。


 叫び声。


 血。


 空腹。


「だったら」


 遼は言った。


「自分でやるしかないでしょう」


 誰も、すぐには言葉を返せなかった。


 その日の夜、酒場で撮影された映像がネットへ流れた。


 映像は途中から始まっている。


 峰岸の仲間が遼を殴る。


 それでも遼は少しも動かない。


 そして。


『痛くなかったら、殴っていいんですか?』


 数時間で再生数は数百万を超えた。


 コメント欄も、あっという間に埋まっていく。


《神代さん正論》


《先に手出した方が悪い》


《A級イキってて草》


《ざまあwww》


《手首だけで済ませたの優しくね?》


《普通なら殺されてる》


《最強相手に喧嘩売るとか馬鹿だろ》


《やれ神代》


《殴り返せ》


《こういうクズは一回痛い目見ないと分からん》


《スカッとした》


《水城うるさくね?》


《主人公に説教する女いらん》


《神代は何も悪くない》


 遼は自宅代わりに借りたホテルで、その画面を見ていた。


 胸ぐらを掴んだ方が悪い。


 先に殴った方が悪い。


 殺されても文句は言えない。


 自業自得。


 ざまあ。


 似たような言葉が、いくつも並んでいる。


 遼は読み進めるうちに、少しだけ安心していた。


 水城は、普通の人と同じやり返し方をしてはいけないと言った。


 けれど、その普通の人たちは遼を支持している。


「俺、間違ってないじゃん」


 小さく呟いた。


 その時、新しいコメントが一つ表示された。


《神代さん、あそこで殺してたらもっとスカッとしたのに》


 遼の指が止まった。


 数秒後。


 一万を超える「いいね」がついた。

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